次に行くのはファルベ大教会
紅茶の香しい匂いが俺の鼻腔をくすぐる。
白いカップに入った紅茶は朱色に染まって非常に魅惑的に見えた。
湯気を立てるその様はまるで周囲に幸せを配り歩いているかのようで、俺は我慢ならずカップの取っ手を二本の指で持ち上げ、紅茶を口元へと誘う。
口の中で仄かな甘みが広がった。先程まで気が立っていた自分が嘘のように澄み渡る。
後ろで控えるメイド服を着た黒髪の少女が笑みを深めるのが見て取れた。
「…流石だ。エウノミヤ、またお茶の入れ方がうまくなったな。」
「いえいえこんなことしかできなくて申し訳ないです。もう少し時間があれば最高のおもてなしを披露してご覧頂けたのですが」
彼女は申し訳なさそうにこちらに頭を下げた。
黒と白のコントラストが映えるロングスカートのメイド服に影を落とす。
机に置かれた白いポットは、鮮やかな朱色をその身に宿している。
向かいの元白の王(現在の名前をロクタヌ=ラグウンディというらしい)は喜色満面だ。
隣のモルナさんは上品にカップを持ち、舌を転がし深く味わうようにして愉しんでいた。
そして俺も勿論愉しんでいる。とっても美味しい紅茶。
それだけでこんなにも嬉しくなるなど、能力の一つであると言ってもいいのではないか。
だから彼女が責任を感じる必要など、ない。
「…そう責任を感じる必要はないぞエウノミヤ。俺がここに来たのだって半ばついでのようなもので、お前が謝ることはないんだ。」
「…まっマスターがそういうのなら。」
頭を上げるエウノミヤ。
その顔は羞恥の色に染まっている。まるで先程頂いた紅茶のように見事な朱色である。
俺はこれ以上このままではいたら不味いだろうと、ロクタヌに話を振った。
「…時間もない、再び説明をよろしく頼むロクタヌ。」
「…んっそうだなァ。そうするかい。」
俺はエウノミヤに断わりを入れ、説明役であるロクタヌの説明を仰ぐ。
いや誤魔化したわけではないのだ。あのままでいたらこちらも赤面してしまい、会話も続かなくなるとかそんなことを思ったわけでは断じてない。
ただ俺は聞きたかった。世界のこと、俺ら自身の立場どうなっているのか、そして今回の転移のカギとなるだろう『敵』を明確にすることだ。
それは早ければ早いほどいいだろう。事前の備えが十二分に出来るのだ。
森の中では簡単な説明しか受けなかった。勿論それで大方の敵は判明したが、あのゲルプを真似た道化師が諸悪の根源であるとはけしていえない。
彼は所詮道化師に過ぎないのだ。顧客に合わせて面白おかしく動き出す道化でしかない。
彼をも操る者がきっといるはず、それを俺らは叩く。
さすれば元の世界へと帰る扉が開かれるだろう。そう、いつものようにね。
「あんたが築いた王国だっけ?『ファルベ大聖国』それがあんたがいなくなってこっちのエウッチが請け負ったわけだけどよぉこの子政治関係に疎くて疎くてあっという間に崩壊寸前まで陥ってしまったらしい。全く不甲斐ないったらありゃしないねぇ。」
「…すみませんマスター。」
「…いやいや謝るな。今もこうしてこの王国は無事なんだ。ならそれでいい。」
元々エウノミヤは精霊族でも少々頭の弱い子だった。
魔法の腕は大したものだったが、他のこととなると上手くいかずに失敗ばかり。
ならなぜそのような子を代理にしたのかというと彼女には強い、確固たる意志があったからだ。
当時何処からこのような感情が流れてくるんだろうと不思議に思ったものだが今ならわかる気がする。
彼女の源は何かに尽くそうとする自己犠牲の精神。
自分を顧みず尽くす相手に最高の結果をもたらす。ただそれだけが生きがいであり、彼女の根源そのもの。
道理で脇目も振らずこちらの要求に頷いたはずである。他の使い魔にはかなり渋られて、断られてしまったというのに。
だから彼女のせいにはできない。きっと彼女は自分の身も顧みずこの国を守ろうとしてくれた。
その結果が崩壊であったとしても俺に攻め入る権限はない。
所詮この世界を去った者、罪はあれど介入する権利は存在しない。
ならばどのようなことが起きていたとしても受け入れるしかない。それがどんなに辛くとも、受け止めるべきだ。
「まあなんというかその時雷鳴が鳴り響いた!みたいな感じではねぇと思うが、俺様たちが着ていたやつがあっただろう。ええっとなんだっけか?」
「…七狂王鎧だ。覚えておけ馬鹿者。」
「おうおうそれそれ!ははっ懐かしくてなァついついド忘れしちまったぜ。」
がははっと豪快に笑って見せるロクタヌ。
七狂王鎧、その鎧は神をも凌駕し悪を打ち滅ぼす絶体の力。
俺らがそれに触れたのはいつだっただろう。
七人が初めて顔を合わせたころだろうか、それとも王となった時に行われた最初で最後の協議の時だっただろうか。
全ては時が置いて行った記憶と共に有る。忘却の彼方に誘われた出会いの記憶。
しかしその絶大なる力の欠片を俺たちは既にこの身に宿していた。
思えば俺のスキルの一つ『空間操作』は鎧から受け継いだ力である。
今では過去使用した武器を手元に呼び寄せたり、異世界に存在する物体を呼び寄せるだけに過ぎない力だがじゃしんをこの身に宿す前は違っていた。
空間を捻じ曲げたり、世界丸ごと作成することも出来たのだ。
俺の七狂王鎧『黒』は絶対防御の鎧。
一見それには関係ないように見えるが実は絶対防御とは鎧周辺に薄い別空間を作り出し、現世のいかなる事象にも影響されないもの。
それを長年着てきたからこそスキルが失われたとて空間を操る才能は消えなかったと見える。
きっと他のみなも同じ事だろうと思う。
七狂王鎧の影響で単体でもスキルを得るようになった。
強大な力の前に体が浸食されて行く。それはきっと世界を救うための力。
スキルは才能の開花だがそれを使う者もまた人を超過した存在であると言える。
普通とはやはり難しいものだなと俺は改めて思い返した。
「…まァその、七狂王鎧?が突如上空から王座に降りてきて回り始めたかと思ったら全能の力により大地を揺らし、背くものは全て命を刈られた。」
「鎧は名の通り狂う運命であったかのよう。それからの国政は見ての通り、平和そのものだぜ。まあ表面上は、だけどなァ」
呆れたような物言いの彼女に俺も顔を下げずにいられなかった。
元々黒一色となっていた服にさらに俺の影が合わさり、更に黒を増す。
全ての種族の希望であった鎧が何故そのようなことになったのか。詳細は分からずじまいだと言う。
信じられない話だった。今も俺の中に燻る黒が大災害を引き起こしていたなどすぐに信じられる話ではないだろう。
しかし現実とは無慈悲なものだ。認めなくてはならない。
例えそれにどんな理由があろうと、犯した罪は償わなくてはいけないのだ。
俺は今も空間の狭間に存在する黒を想い、そう思考するに至った。
「政権を再び得ることによって密かに燻った反対の意思を持つ団体『アポピス』、彼らの打倒こそが今のファルベ大聖国の悲願と言ってもいい。」
「シュバルツ様にはそれの調査にあたってもらいたいのです。彼らの足取りは未だつかめていません。」
「まずは王都にあるファルベ大教会を尋ねるといいぜ。あそこにはお前もよく知る緑王がいるからなァ」
新たに出てきた名前、緑の王『無知の緑娘』ことグリュン=ア=セルフィム。
あの無邪気で天真爛漫な彼女も転生したということだろうか。
「んー今は修道女をやってんだっけ?アイツは」
「…そうだ。しかもただの修道女ではなく大司教の座についておるらしいぞ。全く奴は何をしているのだか」
「マスターの教えを綴ったバルツ教の大司教として日々の生活を邁進しているらしいですよモルナさん。彼女はかなりの熱狂的信者と言うか最早妄信的異端者といってもいいかもしれません。私にはその気持ち分からなくもないですがね。」
なんということだ。俺は身体中に悪寒が駆け巡った。
1000年の時を経て辿り着いた彼女は俺の未熟だった詭弁を今も忠実に守っているというのか。
なんと愚かな、昔の自分は正義と言う名で暴力を振りかざしただけの偽善でしかないというのに。
今すぐに彼女を正す必要がある。その教えは間違っていると、糾弾するのだ。
俺は立ち上がった。まだ説明は終わっていなかったが、過去の罪が暴かれた。
俺にはそれに絡まる因果を正す、早急な対応が求められている。
俺の足は気づくと扉へ向かっていた。ロクタヌやエウノミヤは慌ててこの場に留まるように叫ぶが聞く耳持たぬ。
「…おい、てめぇまだ説明は終わってねぇんだぞ?行くならそれからでも遅くはねぇだろう!」
「マスターお待ちください!どうか説明を、解説を聞いてください。でなければ皆に誤解を生むばかりですよ?!」
扉の前に立つロクタヌと涙ながら押しとどめようとするエウノミヤ。
邪魔だ邪魔だ、そこをどけ。俺はいかねばならん。
自らの過ちを今すぐにでも正さねば気がすまんのだ。だからそこをどけ二人とも!
「行かせてやれ。どうせお前たちには止められんよ、バルツァは」
モルナが未だにソファーへと腰かけながらこちらに目をくれることもなく言い放った。
至極興味もなさそうな瞳でカップをくるりと回し見る。
それに反論するのはエウノミヤだった。
「しかしモルナさん、マスターにもこちらの事情を事細かく話さないことには次に進みませんよ?」
「…はぁ分かっていないなエウノミヤ。お前はそれでもバルツァの元使い魔かッちっともお主のマスターとやらのことを見ておらん。」
ため息交じりにモルナは見回していたカップを下ろす。
髪と同じ薄紫の瞳がエウノミヤを捉える。
この場での反論はもう出なかった。エウノミヤはその口を閉ざした。
俺がどうするべきかと迷うこともないだろう。俺は扉へと手をかけた。
ドアノブは異様に冷たくこの扉を開けさせんと拒絶しているかのようだ。
だが行かねばならん。俺と言う男は昔からそういう性分なのである。
「説明は私が代わりに聞いておこう。急げよバルツァ、奴の帰宅時間は思ったほど早い。」
「…ありがとうモルナ。」
こちらに顔も見せないモルナの華奢な背中が映る。
それはどこにでもいるもやし男の頼りない背中とは比べ物にならないほどに、頼りとなりえる。
俺は安心してこの場を去ることが出来た。最後に聞こえたモルナの独白、それだけを残して
「バルツァはああいう男さ。冷静に見えて熱血漢であり、冷淡に見えて誰よりも人のことを思う。過ちを見過ごすことが出来ない考えなしの怖いもの知らず。私が惚れたのはそんな純粋なところなのかもしれないなバルツァ。」
次回予告
モルナさんとロクタヌさんによる説明回
どんな種族がいるだとかの詳しい説明になると思います




