わたくしのご主人様はヴァンパイアでございます
わたくしのご主人様は、ヴァンパイアでございます。
はい。人間の血をすすり、棺桶の中で眠る、あのヴァンパイアでございます。
ご主人様の一日は陽も落ちかけた黄昏どきより始まります。城の大食堂、血のように赤い絨毯と豪華なシャンデリア。長い長いテーブルの上座にご主人様がおつきになると、わたくしは給仕服を着て朝食をお運びします。すなわち、グラス一杯の人肌に暖めた血でございます。
ご主人様は紳士でありますので、決して音を立ててすすったりはなさいません。見惚れるほどの典雅な仕草で杯を乾し、次いでひと振りのナイフを手になさいます。刃の部分を強く握ると、たくましき手から蜜のように血液がこぼれ、それをわたくしは小皿でお受けします。
舌を濡らす程度の、ほんの僅かなご主人様の血。それがわたくしの糧なのでございます。
皿に舌をそわせますと、ああ――永き刻に朽ちかけたわたくしの肉体にも、奇跡のように力が湧いてまいります。御身を傷つけられてまでこのような下僕に情けを下さるご主人様。これほど慈悲深きお方が他におられるでしょうか。席を立たれるご主人様に頭を垂れながら、わたくしは末永くお仕えできる幸せを噛み締めるのでございます。
さて、ご主人様の城は都より遥か遠く、山を越え川を越え谷を越えた森の中にございますが、それでも時々はお客様がいらっしゃいます。ある日のこと、都より怪物退治にと、勇ましき鎧姿の女戦士様が訪ねてこられました。まだ太陽の高きころ。ご主人様は御休みになっておられましたが、普段より客人が来られたときはお起こしするよう仰せつかっておりましたゆえ、わたくしは寝室のご主人様をお呼びいたしました。
城の中心にある大広間にて対峙されるご主人様と女戦士様。わたくしはいつものようにかたわらに控え、失礼と存じつつもお客様の風体を観察させていただきました。
眼光鋭く、ただならぬ覇気に満ちたお方でございます。ですが戦いに身を置かれるゆえ、身だしなみに気を使われる暇が無かったのでしょう。長く赤い髪はほつれ、日焼けしたお肌は手入れされぬまま。そう言えば、鎧の着こなし方もどこか品に欠けておりました。
わたくしは、この方がご主人様にふさわしいとは思いませんでした。
ですが、貴人のお心はわたくしのごとき下賎には到底理解できぬもの。ご主人様は戦士様をいたく気に入られたようで、一つ礼をされてから決闘に入られました。臆病者のわたくしはあまりのおそろしさに目を瞑り耳も塞いでおりましたので決闘がどのような様であったかは存じません。目を開けたとき、戦士様はご主人様の足元で苦しそうにうずくまっておられました。
ご主人様はひざまずきますと、優雅な仕草で戦士様の手をとり、口付けをなされました。戦士様のお顔は、ああ、今でもよく覚えております、屈辱と恐怖に満ちた形相でございました。あれほど優しく扱われておられるというにそのようなお顔をなされるとは。わたくしは大変悲しく思ったものでございますが、寛大なご主人様は気にした様子も無く、戦士様の両の頬に接吻をなさった後、象牙のような美しい牙を首筋に突き立てられました。
戦士様は広間の隅にまで響く声を上げ強く抵抗されましたが、やがて強張ったお顔を恍惚に染められ自ら血の契りを求めてゆかれました。鎧を脱ぎ捨て身も心もご主人様に捧げてゆかれる戦士様のお顔は、それはそれはうつくしゅうございました。最後にご主人様が噛み傷を一舐めされた後、そこには至福の表情でかしずかれる戦士様の姿がございました。
数日後、今度は黒衣に緑の髪の女魔術師様がいらっしゃいました。
お話をお聞きするにその方は戦士様のご友人で、戻らぬことを心配に思い来られたそうでございます。わたくしがご案内さしあげる前に魔術師様は強引に広間に入ってゆかれ、大声でご主人様をお呼び立てになりました。その騒がしきこと、ご就寝中のご主人様がお出でになったほどでございます。
わたくしは、この方がご主人様にふさわしいとは思いませんでした。
ですが、貴人のお心はわたくしのごとき下賎には到底理解できぬもの。ご主人様は魔術師様をいたく気に入られたようで、一つ礼をされてから決闘に入られました。臆病者のわたくしはあまりのおそろしさに目を瞑り耳も塞いでおりましたので決闘がどのような様であったかは存じません。目を開けたとき、魔術師様はご主人様の足元で苦しそうにうずくまっておられました。ご主人様はひざまずきますと象牙のような美しい牙を首筋に突き立てられました。
最後にご主人様が噛み傷を一舐めされた後、そこには至福の表情でかしずかれる魔術師様の姿がございました。
それからまた数日後。修道衣の若きシスター様がお城にいらっしゃいました。
シスター様は丁寧な物腰でご主人様の在否を尋ねられました。ご就寝中であることをお伝えすると、起床されるまで待つとおっしゃいます。それでは失礼になると思い幾度もご主人様をお呼びしようと致しましたが、シスター様は頑としてお聞きになりません。
携えた手槍を見るに、このお方もご主人様を滅せんと来られたはず。しかしてこの礼儀正しさはどうでしょうか。やがてご主人様が起床なさいますと、シスター様はまずお休みのおりに訪ねた非礼を詫び、次にご自分の名を名乗り、教会より討伐の命を受けたが堂々と決闘を行った上で打ち倒したい、との旨をお伝えになりました。
わたくしは、この方こそご主人様にふさわしいと思いました。
ご主人様はたいそう嬉しそうに笑い、決闘に入られました。臆病者のわたくしはおそろしさのあまり目を瞑り耳も塞いでおりましたので、決闘がどのような様であったかは存じません。目を開けたとき、ご主人様はシスター様の足元で事切れておられました。
死闘でありましたのでしょう。シスター様は血を吐くのに続いて、その場に膝をつかれました。苦しげに息をつくその背に、わたくしはそっと近づき、そのお顔を覗き込みました。頭巾から覗く絢爛たる金髪、澄み切った蒼の瞳、白きお顔に絵画のように整った鼻と口。後ろよりお体を抱きすくめ、流るる血を一舐めいたしますと、ああ、なんと甘美なる味わい、そしてなんと素晴らしき生命力。
わたくしは、やはり、この方こそご主人様にふさわしいと思いました。
ゆっくりと、牙を柔らかき首筋に突き立てます。シスター様は大変に驚かれ、次いで抵抗の意志を示されたようでございますが、なにしろ戦いの後でありましたのでまともに動かれようはずもありません。なにがしかのお声も聞こえましたが、恥ずかしいことにわたくしはその時まったく興奮してしまっており、言葉の中身をはっきりと知ることはできませんでした。
ただ、どくどくと耳の奥で響く血流の向こうに聞こえたのは。
「まさか…………あなた、が……」
それが新しいご主人様の、人間として最後の言葉でございました。
わたくしのご主人様は、ヴァンパイアでございます。
ご主人様の一日は陽も落ちかけた黄昏どきより始まります。
しなやかな手からこぼるる蜜のような血液を、わたくしは小皿でお受けします。
皿に舌をそわせますと、ああ――永き刻に朽ちかけたわたくしの肉体にも、奇跡のように力が湧いてまいります。御身を傷つけられてまでこのような下僕に情けを下さるご主人様。これほど慈悲深きお方が他におられるでしょうか。席を立たれるご主人様に頭を垂れながら、わたくしは末永くお仕えできる幸せを噛み締めるのでございます。
なんちゃって叙述トリック。
短編の中ではかなりお気に入りです。