第9話……小さい狸のポコリーヌ
しばらくして、モコモコな茶色い毛に包まれた小さな狸が目を覚まし、私の方をじっと見つめてくる。
突然、その狸がゆっくりと二足歩行で立ち上がった。全長わずか16センチほどの小さな体がまるで人間のように動いていたのだ。
腰を抜かして驚くが、以前にお嬢様に「この世界には妖精という希少な生き物が存在する」と聞かされていたのを思い出す。
「助けてくれて、ありがとうポコ」
その小さな口から出た言葉に、さらに驚きが重なった。狸はなんと人間の言葉を話していたのだ。
「お前……、話せるのか?」
と、私は信じられない気持ちで問いかけた。
狸は頷き、
「そうだよ。僕は特別な存在なんだポコ」
と、答えた。
その声には穏やかさと能天気ぶりが感じられる。
「狼に襲われたけど、あなたのおかげで助かったポコ。本当に感謝しているポコ」
と、狸は丁寧に続けた。
ちなみに彼の名前はポコリーヌというらしい。妖精でも人間の言葉をしゃべるのは非常に稀有。私が救った命は、どうやら特別な存在らしいことを実感したのだった。
その夜、私はポコリーヌと共に多くの話をした。地球ではありえない不思議な出会いに戸惑いながらも、私にとって忘れられない出来事となったのだった。
◇◇◇◇◇
二日後の夜。
ヨーゼフ基地の小さな司令部で、五日後の作戦説明が行われた。
薄暗い照明に壁に掛けられた地図や戦略ボードをぼんやりと照らされており、重厚な木製のテーブルが部屋の中央に置かれていた。その周りに沢山の傭兵たちが集まっている。
私は緊張感を感じながら椅子に座り、目の前のテーブルに置かれた資料に目を通した。
その後に、司令官が作戦参謀を連れで静かに部屋に入ってくる。その厳格な様子に傭兵たちは私語をやめた。
「五日後の作戦について説明する」
ヘルダーソン司令官の声が部屋に響き渡る。
彼の手が大きな地図を指し示し、参謀たちにサポートされながら敵の配置や我々の進行ルートが詳述された。私はその言葉に耳を傾け、緊張しながらも情報を頭の中に叩き込んだのだった。
「今回の主目的は正規軍の作戦を成功させるべく、我々の部隊は陽動作戦を行うことだ。そのためには、この重要ポイントの占領が必要だ。それにより他方面に配備されている敵軍の目を我々に引き付けるのだ」
彼の言葉に皆が唾をのむ。彼が指し示したのは分厚いコンクリートに覆われた巨大なトーチカであった。しかも各所には、最新鋭の武器であるガトリング砲が備え付けられているらしいのだ。
「激しい戦いになるであろうが、各部隊は役割を遵守せよ。君たちの任務は正規軍の正面攻勢において大変重要なのだ。以上」
司令官の目が一人ひとりに向けられる。私はその鋭い視線に一瞬たじろぐも、すぐに応えるように頷いた。
作戦説明が終わり、ベテランの傭兵たちから部屋を去る。新米の私が作戦要綱を飲み込めたころには皆が退出しており、部屋が静寂に包まれていたのだった。
◇◇◇◇◇
翌日に作戦開始控え、夜の帳が降りる。
小さな村の片隅にある、木と石で築かれた傭兵団の宿営地では、その日の最後の陽が消えかけていた。
基地の内部は、昼間の喧騒とは打って変わり、静寂が支配していた。
ランプの柔らかな灯りが揺れる中、傭兵たちはそれぞれの方法で翌日の作戦開始に備える。
ベテラン兵は寝入っていたが、新米兵は不安で寝付けず、地図に描かれた敵陣の位置や危険なルートを復習していた。
貴重な魔導士なので、私は下士官ながら個室を与えられていた。
私はテーブルで疲れた目をこすりながら、武器の最後の点検を行う。私の目の前には老男爵から買ってもらった最新鋭のライフル銃があり、それは分解された状態にあった。
ちなみにこの世界の歩兵の主要武器は、ライフル溝のない後装式のマスケット銃だ。そのため命中精度が悪く、突撃も散兵せずに整列したまま行うこともあるほどだったのだ。
また、この世界の銃や大砲は火薬の代わりに、点火すると多量の蒸気に姿を変える特殊な砂を用いていた。
私は、ひとつひとつの部品を丁寧に磨き、動作確認をしながら、眠れない自分自身の心を落ち着けていったのだった。
薬草や包帯の整理も大切だ。作戦参謀からもらった古い医術書には、様々な応急処置の方法が書かれており、私はその一節一節を確認しながらカバンに詰めていく。
「眠れないポコ?」
「ああ、こういう時、豪胆な人がうらやましいね……」
眠れない私は、ポコリーヌを連れて基地の敷地を散歩することにした。
基地の見張り塔には見張り担当がおり、彼らは双眼鏡を使って、遠くの暗闇の中に敵が潜んでいないか確認していた。
冷たい風が私の頬を撫で、防水用のコートの裾が風に揺れる。
……戦争など怖くはないと思っていたが、初めて味わう戦場特異の緊張感が私の心を締めあげる。
困ったことに寝付けたのは、早朝の集合時間の一時間前だった。