第71話……爆炎の凱旋
私は冷静に爆薬の配置を確認した。
水槽の脇、研究机の下、資料棚の継ぎ目――目に見えぬところに高性能エーテル爆薬を仕込み、導火線を慎重に延ばす。
熱と圧力で一度に吹き飛ぶように、連鎖爆破のタイミングも合わせておいた。
研究室には火を放った。古い燭台を蹴り、油を撒いて炎を拡げる。書類棚は瞬く間に黒煙をあげ、薄汚れた政務文書がくすぶり始めた。
内部の混乱を誘い、離れた地点で点火するために、私は急いで通路を戻った。
途中、老官僚を見つけ、抱えて引きずり出した。
死なれては困る。命は助けてやるのが彼との約束だ。
彼の体は決して軽くはなかったが、私は素早く担ぎ上げ、乱暴にかつ無言で運んだ。
タイタンのコックピットの奥に、老官僚を押し込み、荒縄と猿轡で確実に縛る。
周囲を見渡すと、僚機たちが街の各所で暴れているらしく、こちらには衛兵の姿は見えない。
ならば、と私は残りの爆薬を素早く所定の位置に置き、導火線に点火して蒸気式タイマーを刻んだ。
再びタイタンに乗り込み、街道へ駆け出す。
蒸気自動車を踏み潰し、街灯を巨斧で叩き折りつつ西へと疾走した。
石畳が振動し、夜の静寂が砕け散る。
計画どおり、空が唸った。
上空に《ラグナロク》の巨影――敵の注意は空へと向かう。
眩い鯨油式サーチライトが、忙しなく空を巡る。
私はその視線の逆を突いた。
街の外郭の城壁へと向かい、勢い良く駆け上がる。
巨躯が塀を越えると、後ろで連鎖爆破が地鳴りのように響いた。
城外へ出ると、眼前に広大で縦深の陣地が広がっていた。
タイタンは暗闇の中に身をひそめ、息を殺す。
空や街での騒ぎを聞きつけた連邦の兵士たちは北側や西側へ目を向け、私は南東側から忍び寄った。
私はタイタンで敵の野戦司令部区画へと忍び込み、足元の機器を踏み潰す。
通信盤の箱をひっくり返して潰し、伸びていた通信線の束を、大斧で次々と切断した。
灯りのついた指令室の窓から高級将校たちが逃げ惑うのが見える。
彼らの叫びは、周囲の喧噪と混ざり合って消えていく。
その混乱の隙に、タイタンで補給集積地へと身を潜めた。
積まれた弾薬袋の隙間から大型蒸気砲弾を引き抜き、爆発させないよう慎重に抱える。
投擲距離を計り、タイタンの剛腕で、砲弾を連邦の兵舎や火点めがけて投げつけた。
大きな鉄塊が屋根を突き破り、木造の宿舎は一気に炎に包まれる。
一斉に火点が爆発し、夜空に赤い火柱と黒煙が立ち上った。
これに呼応して、味方の砲兵部隊が射撃を始めたらしい。
通信線は既に断たれていたが、各所で指揮系統の混乱がさらに拡大していく。
「……そろそろ引き時だな」
私は、最後の煙草を取り出しながら、そう呟いた。
◇◇◇◇◇
夜の炎と黒煙の迷路を抜け、私の《タイタン》は混乱に満ちた連邦の縦深陣地を西へと横切った。
瓦礫に躓きつつも、崩れかけた塹壕をまたいで進む。
燃え盛る兵舎の脇をすり抜けるたびに、巨斧で木製の柵を叩き割り、粗末な土塀を砕く。
左目の視界は赤く点滅する熱源の海を映し出し、味方の光点を探しながら、私は冷静に進路を取った。
遠巻きの散発射撃が依然として耳を打つが、指揮系統を失った敵兵の動きは、もはや烏合の衆と化している。
やがて空が白み始め、夜明けの薄い蒼が炎の朱を押し上げるころ、崩れた通りの向こうに我が軍の旗が見えた。
見慣れた隊列の輪郭、塹壕の端にいる偵察兵の小さな人影――それが「安全圏」の印であることを、身体が直感で告げる。
私はタイタンの出力を落とし、最後の障害を押し潰して進むと、味方の前線陣地へと音を立てて凱旋したのだった。
……歓声が上がった。
泥と煤にまみれた兵たちが、私の機体を取り巻く。
皆が肩を叩き、拳を突き上げる。
私は安堵感に包まれながら、各種計器類を点検し、操縦席の天井から滴る油を拭き取った後、ずっしりと重たいハッチを開け、外へ出た。
夜明けの光がまだ薄い中、整備兵と連絡将校が駆け寄ってきた。私はタイタンの操縦席から老官僚を引き出す。
「捕虜を頼む!」
「こっちだ! 引き取る!」
私の声に応じ、若い将校が声を張る。
彼は猿轡を外すと、怯えた老人の手を優しく握った。
「……おい、しっかりしろ。お前の安全は約束する。大人しく帝都まで来てもらおう」
老人は震える声で答える。
「わしは……わしはただ、書類を焼いていただけでしてのう……孫娘を……」
引き渡しの際、別の参謀が私に詰め寄ってきた。
「中佐、前線司令部へ報告を頼む。敵の中央政庁の司令設備は、いくらか破壊されたか?」
私は息を整え、背後のタイタンの大斧を指さして答えた。
「通信線は断ちました。司令設備の大半は爆破できたと思います。概ね書類は焼いたのですが、いくつかの書類は持ち帰りました」
整備班が急いでタイタンの損傷を点検し、班長が報告に来る。
「中佐、よくぞ戻りました! 各種蒸気管の損傷は軽微です!」
私は班長に礼を言い、うずくまる老官僚の顔をもう一度見下ろし、短く言った。
「情報を渡せば、孫にはすぐに会えるさ……」
将校が老人を引いて行く背中を見送り、私は深く一礼した。
戦場の喧騒がまだ耳に残るうち、私は書類の束を抱えて前線司令部へと歩き出した。
凱旋の栄光は確かにあった。しかし、朝焼けの影が長く伸びるその路上で、私はただ静かに自らの行為の重さを噛みしめていた。




