第70話……帝都暗闘
前線に赴任後、私は極秘裏にバーレ少将の天幕に呼ばれた。
驚くべきことに、机の上には、ザームエルから届けられたという数枚の写真が並んでいた。
それは、あの洋館で見た胎児の水槽と寸分違わぬ光景だった。
「……やはり、お前が見たものは真実だったようだな?」
少将は低く言った。
ザームエルのヤツは、密かにバーレ少将とこの件での接触を図ったらしい。
そして少将もまだ、誰にもこのことを話していないとのことだ。
「今、膠着した戦線を打開するべく、精鋭魔動機四機で、首都ラスプーチンを急襲する作戦を上申しているところだ。そのついでと言っては何だが、その件も調べてきて欲しい」
驚く私に、少将は淡々と告げた。
――三日後。
その上申は通り、正式に作戦は認可された。
「今回の作戦は、ただの奇襲ではない。フォーク中佐、貴官の《タイタン》の能力の神髄を示せ!」
私は静かに頷いた。
◇◇◇◇◇
――さらに二日後の夜。
野営地の外れに、暗闇に溶けるような巨影が待っていた。
空中要塞。
黒鉄の船体に蒸気が吐き出され、推進器の低い唸りが大地を震わせている。
格納庫の灯が一斉に点き、搭乗員や整備兵たちが走り回る。
魔動機四機が黒塗りの外装を纏い、巨躯を揺らして搬入口へと進む。
蒸気が白く舞い上がり、兵士たちは無言で見送っていた。
「全機、準備完了!」
管制将校の声が夜気を裂く。
私はコックピットに身を沈め、深く息を吸い込んだ。
巨体が《ラグナロク》の腹に収まると、甲板が震え、空中要塞はゆっくりと上昇を始めた。
窓外の景色はたちまち点となり、やがて一面の闇に変わる。
風の唸りと機関の振動が全身を貫き、心臓がそれに合わせて高鳴る。
二時間の飛翔ののち、眼下に光の海が広がった。
ラスプーチン――パニキア連邦の首都。
「全機、降下開始!」
通信機に声が響く。
「了解!」
巨大な絹の落下傘が花開き、私は、今回の夜襲用に塗装された漆黒の《タイタン》ごと夜空を滑り落ちていった。
その瞬間、左目の能力を起動する。
視界が一変した。
闇の中、熱源が赤い光点として浮かび上がり、地形は透過映像のように輪郭を描き出す。
まるで最新鋭の戦闘機ヘルメットの視野――夜を切り裂く“もう一つの目”が、私を導いていた。
◇◇◇◇◇
降下の風は想像以上に荒れ狂っていた。
私の左目には、僚機たちが次々と流されていく姿が赤い光点となって映っていた。
「こちら第二号機、方位がずれる! 修正不能!」
「……第三号機も流される!」
通信に混じる焦りの声。
やがて私の視界から、味方の光点はすべて散り消えた。
――敵の中央政庁の敷地に届いたのは、《タイタン》ただ一機。
漆黒の機体が石畳に着地した瞬間、轟音が夜の静寂を引き裂いた。
衛兵たちが松明と銃を手に集まり、怒号が四方から押し寄せる。
私はすかさず大型の煙幕弾を投げ放った。
白い霧が政庁前庭を覆い、兵たちの影は霞に沈んでいく。
「――これで見えるのは私だけだ」
左目の視界には、煙の中を走る敵兵が赤外線の残光で浮かび上がっていた。
私は《タイタン》を塀に取りつかせ、巨斧で屋根を割り、上から建物内へと侵入する。
瓦礫と漆喰が崩れ落ち、驚愕の叫びが下から上がった。
いくつかの部屋を突き抜けるうち、ついに見つけた。
老齢の高級官僚が暖炉に書類を放り込んでいる場面に遭遇したのだ。
「そこまでだ!」
私はコックピットを飛び出し、老人を取り押さえた。
首筋に短剣を当てて脅すと、男は震えながら口を開いた。
「……わかりました。政庁の主の下に……、案内いたしますじゃ……」
その言葉を信じ、私は老人を盾に地下へ降りた。
冷たい石段を下り、大扉の前に立つ。
老人を縛り上げてから離し、扉に手をかける。
重々しい音と共に開かれた先――そこには無数の水槽が並び、胎児が漂っていた。
そして、その奥に鎮座する一体の巨大な存在。
青白い肌、全身に浮き出る静脈。
まるで大地に沈む魔王のような異形が、私を見下ろしていた。
◇◇◇◇◇
「……ソノ左目。貴様ハ、我ガ同胞デハナイカ?」
声は低く、しかし驚くほど柔らかかった。
響きは口からではなく、頭の奥へ直接注ぎ込まれる。
私は息を呑んだ。
青白い巨体には静脈が浮かび上がり、皮膚は老いた人間のように弛んでいる。
その目は深い闇のようでありながら、どこか慈しみにも似た光を湛えていた。
「……聞きたいことがある」
私は、洋館でレズニン大佐に告げられた秘密――魔炎石の枯渇と穀倉地帯の不作の原因――を問い質した。
異形は、まるで遠い過去を懐かしむように答えた。
「フム……ソノ通リダ。連邦ノ人間ハ我ラニ利用サレタ。魔炎石ハ大地ノ源。人間ハソレヲ掘リ尽クシ、己ノ地ヲ飢エニ変エタ……」
その声音には怒りよりも、疲労と諦めが滲んでいた。
私は更に踏み込んだ。
「では、なぜ私をここへ? なぜ、この戦乱に巻き込んだ?」
異形は、青白い巨腕をわずかに動かし、掠れ声で告げた。
「ソノ左目……覚エテイルカ? 違ウ世界カラ君ヲ転移サセタ時、我ガ授ケタ“印”ダ。君ニハ、人間ヲ憎ム素質ガアッタ。ソノ憎悪ヲ力ニ換エ、我ラノ願イ――人間ノ終焉ヲ導クト思ッタノダ」
脳裏に稲妻が走った。
私の左目――戦場で敵を見通すこの能力は、やはりこいつから授けられたものか。
冷たい汗が背を流れた。
「……だが……」
異形の声は急に掠れ、弱々しくなった。
「長イ時ヲ生キ過ギ……私ハ疲レ果テタ……。人間モ、我ラモ……皆、スマナイ……」
巨体は大きく息を吐き、静かに沈み込む。
水槽の胎児たちが淡く揺れ、やがて全てが静止した。
――戦いではなく、ただの老衰。
私の宿命を語った存在は、呆気なく、穏やかに最期を迎えたのだった。




