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蒸気の覇権 ――魔導機パイロット、帝国戦線を駆ける――  作者: 黒鯛の刺身♪


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第69話……返事なき書簡

――聖帝国暦九一八年六月下旬。


 空を覆い尽くすほどの飛行船群が、帝国各地の飛行場のから飛び立った。

 大小の船腹が幾重にも重なり、低空に影を落とす。その腹部から轟音と共に火砲が閃き、次々と連邦の陣地を薙ぎ払った。


 帝国軍は民間からも飛行船を徴用し、地上の総攻撃に合わせて一斉投入したのだ。空は炎と黒煙に染まり、昼なお暗い。


 だが連邦も黙してはいなかった。遥か東方の奥地の飛行場から、次々と飛行船を繰り出し、激しい空中戦が夜天を赤く照らした。

 浮遊する巨影同士が砲火を交わす様は、まるで空に第二の戦場が開いたかのようであった。


 その最中、帝国の新造空中戦艦ラグナロクがついに姿を現した。

 全長六百メートルを超える巨艦。その船体は黒鉄の装甲板で覆われ、四基の大型蒸気タービン推進器が雷鳴のごとき轟音を放つ。

 軍の年間予算の四割を投じたとの噂すらある怪物だが、その伝説めいた値札はすぐさま実証された。


 連邦の飛行船群が集中砲火を浴びせかけた。だが、炸裂する砲弾は黒鉄の船体に弾かれ、閃光と火花だけを散らして虚しく落ちていく。

 《ラグナロク》は空の要塞そのものであった。巨砲が唸りを上げ、連邦船団を一隻、また一隻と焼き払い、墜落炎上させていく。


 その姿に、帝国兵の胸は熱狂に包まれた。


 地上でも帝国の威信が轟いていた。

 西部戦線から長駆してきた重装甲列車オーディン。その黒き巨体に並ぶ数十の砲塔が一斉に旋回し、火を噴いた。


 主砲の咆哮は大地を震わせ、副砲の弾幕が敵の火点をなぎ払う。火花と白煙が縦横に走り、まるで地上そのものが巨獣の怒声をあげているかのようだった。

 帝国は制空権を掌握し、地上でも重火力を展開した。


 だが――それでも地上の戦線は好転しない。

 当たり前のように、塹壕は掘り返され、火点は再び築かれ、繰り返される総攻撃の成果は砂の城のごとく崩れ去った。


 そして、季節は移ろう。

 灰色の空から大粒の雨が落ち始め、地面を泥沼へと変えていった。

 恐れていた雨季が、ついに訪れたのだ。




◇◇◇◇◇


――マルコフの臨時庁舎。


 防衛隊長の職務は退屈といえば退屈だったが、あの洋館で見た光景は、心の奥で燃え残ったままだった。


 私は机に向かい、震える手で手紙を書き記した。


 宛先は軍学校時代の同期生にして秀才、今は外務省に勤めるザームエル=ゲルトナー。

 同じ机を囲んで未来を語り合った友――もしかしたら、彼なら、しかるべき手を打てるかもしれない。


 ――異形の胎児、魔炎石の秘密。すべてを記すことにしたのだ。


 〈この書簡は極秘である。内容を他言せぬことを、友として誓ってくれ〉


 私は震える筆跡でそう綴り、封をした。封蝋には帝国の紋章ではなく、私的な印章を用いた。



 その後の私はすることも特になく、報告書と新聞電信をめくる日々を送っていた。

 戦場の空気は遠くにあっても、紙片を通じて否応なく胸に迫ってくる。


 「《ラグナロク》が空を制し、《オーディン》が火を噴いた――」


 偶にやってくる伝令将校は、そう誇らしげに語ったが、その声の裏には、どこか疲労が滲んでいた。

 確かに帝国の誇る巨大兵器は活躍したらしい。連邦の飛行船は夜空から雨のように落ち、地上の火点は轟音と共に吹き飛ばされた。


 だが、続く言葉は重かった。


 「それでも前線は動かない。突破口を開いても、すぐに埋め戻される……」


 私は椅子に沈み込み、窓外を見た。

 マルコフの街は陽気で平穏だった。だが、その穏やかさがかえって戦場との隔たりを突きつけてくる。

 

「……勝利の報せは来ぬ、か」


 声に出すと、空虚さが胸に広がった。

 遠く離れていても、やはり戦場の呻きは耳に届くのだ。



 

◇◇◇◇◇


――聖帝国暦九一八年七月初旬。


 机の引き出しには、すでに送った一通の封筒の控えが入っている。

 宛先は外務省の同期、ザームエル=ゲルトナー。


 いずれ返事が来るだろう、そう信じていた。

 だが、封蝋を割った返信は未だ届かない。


 毎日郵便係の足音に耳を澄ませたが、私の名を呼ぶ声はなかった。

 マルコフの空気は戦場から隔たって穏やかである分、その沈黙が重くのしかかる。



 そんなある日、マルコフの臨時庁舎に伝令将校が駆け込んできた。


「フォーク中佐、至急の命です。貴官はマルコフ防衛隊長の任を解かれ、前線へ召喚されることとなりました」


 胸が強く打ち鳴らされた。


「……交代要員は?」


「明後日には到着します。貴官はそのまま第一混成旅団へ合流し、バーレ少将閣下の直轄に入るようにとのことです」


 私は短く頷いた。

 返事を待たずして前線か……。


 封を出したあの日から、胸の奥に刺さっている不安が抜け落ちない。

 友は果たしてどう動くのか。

 だがそれは、もはや私には知るすべもなかった。


 私は机の引き出しを閉じ、軍服の襟を正した。

 マルコフの街路を濡らす雨粒が窓を打ち、夏の雨季が始まっていることを告げていた。

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雨季がきましたか。
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