第56話……燃える帝国、眠れる葡萄酒
――聖帝国暦九一八年一月。
いまだ氷の張る帝都の街道に、蒸気馬車のホイッスルが響く中、街角の新聞売りが声を張り上げた。
「号外! 号外だ! 連邦、休戦を申し入れ!」
新年の祝砲とともに届けられた報せは、パニキア連邦からの休戦要請であった。
それは帝国軍の大勝利を飾る戦果と並んで紙面を埋め、人々に大きな喝采を呼んだ。
だが、民衆の胸に渦巻く連邦への憤怒は、まだ凍りついたまま消えてはいなかった。
先の戦役で帝国軍は二つの大国による東西両面からの挟撃に屈し、版図は大きく削られた。
工業都市アキュラをはじめとする要衝は、いまだ西のジラール共和国の支配下にあり、蒸気機関に欠かせぬ部品の供給量減少は、帝都の市場で蒸気製品の価格を押し上げたのだ。
さらに、敗戦に伴う多額の賠償金は、帝国市民の暮らしに重い増税としてのしかかっていたのである。
「連邦など滅ぶべし!」
「この機に乗じて奴らの領土を併呑せよ!」
昨年の収穫不作も重なり、民衆の鬱憤は暴風となって街頭を揺るがした。
各地で蒸気掘削機を振りかざした労働者や農夫のデモが起こり、休戦を拒絶し速やかに再攻勢を――それが大衆の声であった。
だが、財政の苦しいメンゲンベルク政権は「条件次第では休戦もやむなし」との姿勢を見せる。
だが帝国議会は民意を汲み取り、激しく反発した。
――二日後。
ついに議会の圧力に押し切られ、政府は休戦案を棄却した。
そして、皇帝陛下の名において勅命が下る――帝国参謀本部に、直ちなる再攻勢を命ずる、と。
「パニキアは国土広大にして鉄路網も複雑。長期戦となれば兵站が耐えませぬ……」
補給参謀の一人は、補給路を担う蒸気機関車や補給諸隊への過負担を危惧した。
だが参謀総長リヒテンシュタイン元帥は、冷ややかな笑みでこれを退けた。
「我らは皇帝の兵。勅命に背くことなどあろうはずがない。また、長期戦など不要だ。いまだ補給の整わぬ連邦軍を素早く蹴散らし、連邦の主要都市を電撃的に掌握する。その上で議会も認めるにふさわしい停戦条件を引き出すのだ!」
「はっ!」
かくして、三方面の帝国の要衝を同時に撃破する攻勢計画が立案され、蒸気を噴き上げる伝令車と伝書鳥によって、直ちに前線へ攻撃命令が届けられたのであった。
◇◇◇◇◇
――三日後。
私の属する第一混成旅団は、中央方面軍に編入され、全面攻勢の先鋒を任ぜられた。
私が指揮する中隊は、バーレ少将の直卒部隊に配され、魔動機を駆って戦端を切り開く役を担っていた。
食料に窮する連邦軍の士気は低く、我らは進むたびに勝利を重ねていった。
「この辺りの地形を教えてくれ」
「へぇ、かしこまりましただべ……」
農家の粗末な小屋で、私は古びた地図を広げ、老いた農夫に周辺の地理を尋ねていた。
荒れ果てた畑に目をやり、ふと疑念が胸を過ぎる。
「……妙だな。去年は不作だったのか?」
「去年に限らずですじゃ。ここ十年、土は痩せて収穫は減る一方ですじゃ……。わしらが若い頃は、蒸気機関の力などなくとも、麦も葡萄も豊かに実ったもんですじゃが」
さらに、私は昔の記憶を思い出し、その場所を農夫に詳しく尋ねた。
軍学校時代に研究したパニキアの古地図に、不自然な地形として記されていた一点が、この近くにあったはずのだ。
司令部に戻り、私は地図を携えてバーレ少将に進言した。
「閣下、この地点を掘削する許可をいただきたい」
椅子に腰掛けた少将は、軍装の襟を整えながら艶やかな桃色の髪を払った。女性将官の威厳と美貌は、兵たちの間で密かに畏敬を集めている。
「理由を聞かせろ!」
「かつて、この近辺で連邦の大補給部隊が消息を絶ったと地図に記録が残っております。私の学生時代の記憶なのですが……」
少将は静かに唇を結び、やがて頷いた。
「……面白い。好きにしろ。ただし三日のうちに報告を持ってこい。よいか?」
「はっ!」
私はすぐに副官アーデルハイトを呼び寄せた。彼女は快活な紅い髪を肩で束ねた女軍人で、エーテル爆薬の知識に長けた才媛だ。
「中隊長、また妙な勘を働かせたんですね。きっと大好きなお酒でも出てくるんじゃないです?」
「勘ではない。地図と記録がそう告げている」
「……はいはい。では、私がスコップを揃えておきます」
彼女の目は呆れながらも、どこか楽しげであった。
こうして我が中隊は、《タイタン》をも動員しながら、掘削作業に着手した。
「フォーク隊長! 何か出ましたぜ!」
土を掘り返して三時間、偵察を得意とする老伍長が、地中から朽ちた馬車の残骸を掘り出した。
そこから次々と、木箱や酒樽が現れてゆく。
「……総じて、馬車二百頭分以上の物資か!?」
封を開ければ、中から溢れる芳香。葡萄酒、ウイスキー――どれも長い眠りを経てなお豊潤な香りを放っていた。
試しに兵らが口を湿らすと、思わず歓声が上がる。
「……これは凄いな」
急報を受け、バーレ少将自ら補給将校を伴って現れた。
軍帽の庇を指で整え、彼女は冷ややかに言い放つ。
「すぐに旅団全体に分配しろ。これは兵の士気を助ける!」
「はっ!」
アーデルハイトが横で囁いた。
「ほら、やっぱり私の勘は正しかったじゃないですか」
「……う~む、良質な魔炎石が出てくるとばかり思っていたのだがな」
「ふふふ」
その晩、第一混成旅団は酒宴に包まれた。
鯨油ランプに照らされた陣営で、兵たちは勝利の歌を響かせ、大きな笑い声を上げる。
私の古い記憶にあった補給部隊の謎は解かれ、そして兵士たちの士気は大いに上がったのであった。




