第54話……狙撃の左目、燃ゆる補給線
太陽が真上に昇り、メニシコフの補給拠点は白光に照らされていた。
幾重にも並ぶ天幕と荷馬車。兵士たちが汗を拭いながら穀物袋を積み、蒸気馬車がひっきりなしに出入りしている。
まるで巨大な市のような喧噪から3ラトル離れた茂みに、私は魔動機を潜ませていた。
蒸気圧を絞り、草原の茂みに身を伏せる。わずかに開いた視界の先に、銀糸を縫い込んだ軍服が光っていた。
――モルドフ将軍。
在りし日の連邦軍の英雄にして、老齢の名将。彼が今日、補給拠点を視察するという事前情報はなかった。
私は深く息を吐き、背部に固定していた長身の蒸気銃を引き出した。
ユンカース社の工場長ラングに頼んであった、唯一無二の精巧な作りの特注品。
人間が扱えばその重さに押し潰される、魔動機用の巨大ライフルである。口径は二十ミリ。素早い連射は出来ぬが、その威力は多砲塔戦車の前面装甲をも貫ける設計だった。
操縦席にて、私はゆっくりと左目を閉じた。
瞬間、網膜の裏で燐光が走り、世界が別の相貌を見せ始める。
光と影の輪郭は崩れ、代わりに浮かび上がるのは――数多の数値。
風向、湿度、距離、物体の輪郭、鉄骨の中を流れる熱の脈動までも。
通常の兵士なら測距器や望遠鏡を必要とする遠距離射撃も、私にとってはただ視るだけで数値が割り出される。
風に流れる草のしなりから風速を読み、敵兵のわずかな動きから重心の傾きを補正する。
――まるで私の左目そのものが一騎当千の火器管制装置だったのだ。
そして、その左目はモルドフ将軍の姿を正確に捉えた。
「……狙いは外さん」
タイタンの鉄指が重い引き金を絞る。
――ダァンッ!
轟音が青空を震わせ、真鍮の薬莢が弾き飛ばされた。
弾丸は直線を描き、約三ラトルという遠距離の先の将軍を正確に射抜くはずだった。
だが運命はわずかに逸れ、弾丸は彼の左肩を掠めた。
血飛沫が白い陽光に散り、英雄の巨体が地に倒れる。
「将軍っ! 敵襲だ!」
幕僚や護衛たちが一斉に駆け寄り、陣営は瞬く間に混乱へ包まれる。
「ちっ、しくじったか……」
私は狙撃を諦め、即座に次の段取りに移った。
タイタンの外装に組み込まれていた部材を展開し、組み立て式の大型迫撃砲を構築する。蒸気の唸りと歯車の回転が響き、数分もかからず殺戮の砲が完成した。
「……」
巨大な榴弾が唸りを上げて飛び、補給拠点の中央で爆ぜた。
荷馬車が宙に舞い、物資が炎に呑まれ、黒煙が空を覆う。
続けざまに二発、三発。
榴弾が次々と着弾し、各所で誘爆を引き起こした。
補給基地は一面、火と煙に沈んだ。
「工作員だ! 探せ、殺せ!」
「潜入者がいるぞ!」
兵士たちの怒号が飛び交う。
この補給基地は、常識的な狙撃距離である一ラトル以内に遮蔽物はなく、彼らは基地内部に潜む破壊工作班を疑っていた。
遠く草むらの陰に潜む、この巨体の存在には、誰ひとり気づいていない。
「……これで充分だな」
私は左目で戦果を視認。
作戦目標が概ね焼け落ちていることを確認した。
重たい蒸気式の迫撃砲をその場に放棄し、私は脱出予定地へと駆け出した。
茂みを抜ければ一面の草原。隠蔽の余地はない。敵の追撃を覚悟したが――。
奇妙なことに、敵は追ってこなかった。
怒号は背後に渦巻いているのに、弾丸も砲火も飛んでこない。
訝しみつつも、私は夕刻には会合地に到着。夜半、小型飛行船が静かに降り立ち、私は無事に味方陣地への帰投を果たしたのであった。
◇◇◇◇◇
――遡ること八時間前。
メニシコフの補給拠点は火の海だった。
倒れたモルドフ将軍を衛生兵が担ぎ出し、兵士たちは炎に追われながら混乱の中を走る。
「犯人を探せ!」
「内部に工作員がいるぞ!」
怒号が響き渡り、近隣から連邦軍第29大隊が駆けつけた。
大隊長のレズニン大佐は、血に染まった将軍を見て息を呑み、叫ぶ。
「将軍、今すぐに敵への追撃を!」
しかし将軍は蒼白な顔で彼を睨みつけた。
「……追うな。まずは消火だ。物資を守れ。最優先だ……」
「しかし敵を逃がしては――」
「命令だ!」
将軍は血を流しながらも声を張り上げ、その直後、意識を失った。
指揮を引き継いだ大佐は、将軍の命令に従い消火を最優先に行う。そして周辺に潜んでいるであろう敵への反撃は、ほぼ諦めたのであった。
怒号と蒸気の唸り、兵士たちの走り回る音。
やがて二つの太陽が傾く頃には、火勢は鎮まりつつあった。だが残されたのは焼け焦げた物資の山。補給基地の被害は壊滅的だった。
「……これでは、前線への物資の補給ができぬな」
そう呻く大佐の目に、焼け跡の一角に家屋が映る。
なぜか気になった大佐が近づき、中に入ると、崩れた床の下から、地下通路が覗いていた。
大佐は鯨油ランプを掲げ、ひとりで足を踏み入れる。
……湿った土の匂い。
通路の奥の部屋には、砕け散った謎の透明のカプセルがいくつも転がっていた。
そして、その中から這い出た“もの”が一体――。
胎児。だが人の子ではない。
異様に膨らんだ頭、焼けただれた四肢。巨大で、歪な肉塊が苦しげに蠢いていた。
「……タ、タスケテ」
掠れた声が、闇に響く。
だが、次の瞬間、異形の胎児は息絶え、動かなくなった。
大佐は絶句した。
補給基地の地下で、連邦が極秘に保管していたもの――その正体を、大佐は直視することができなかった。




