第53話……夜の降下 ―魔動機と共に―
我ら第一混成旅団は、南方の東部国境の防衛任務を拝命し、即座に進軍した。
道すがら村々を荒らす連邦兵を捕捉し、バーレ少将の勇敢な指揮のもと、鎧袖一触。 怒涛の突撃により敵兵を蹴散らし、多数の捕虜を得たのである。
「少将閣下がお呼びです!」
伝令の声に従い、私は蒸気自動車を飛ばして旅団司令部に出向く。
傍らに控える蒸気自動車の運転手である伍長に「ここで待て」と告げ、幕舎にある旅団司令部へと歩みを進めた。
「フォーク大尉、参りました」
「おう、入れ」
幕舎の中は夜更けの静寂に包まれていた。幕僚たちの姿はなく、バーレ少将がひとり葡萄酒を嗜んでいた。
私は敬礼を済ませ、恭しく尋ねる。
「ご用件は?」
「……お前の命をもらおう」
「はっ……!?」
私が息を呑むと、少将は苦笑交じりに杯を置いた。
「実はな、総司令部より急命が下った。二週間のうちに、二百ルメル先のメニシコフにある補給拠点を奪取せよ、とのことだ」
連邦軍は帝国軍に比べ、練度も装備も劣る。
しかし彼らは、それを膨大な徴用兵の数で補ってきたのだ。
結果、彼らの喉を締め上げるのは自らの兵站――膨大な食糧補給であった。
だが二百ラトルの距離といえば、行軍に十日はかかる。交戦を含めれば、二週間では到底及ばぬ距離である。
「……さすがに時間がありませんな」
「その通りだ。だが連邦南翼を統べるモルドフ将軍は、我が帝国軍の宿敵にして稀代の名将。やつの兵站に楔を打ち込まねば、数に劣る我が軍の総攻撃に支障をきたす」
「つまり――敵中を強行突破し、我が魔動機一機で補給線を破壊せよ、というのですか」
「そうだ。この作戦を常道で遂行すれば、三千以上の屍が積み上がろう。それに比べれば、一騎で企図のほうがよほど合理的なのだ。以前、お前は無茶な作戦であっても包囲下の味方を救った。だから今回もやれると信じている。だが勘違いするな。私が可愛がるのは“有能だから”だ。お前が無能なら、その瞬間に見捨てる」
……私は悟った。
この任務は栄誉と死を等しく抱えた試練であると同時に、幕僚たちが望む“都合のいい殉死”でもあることを。
少将が私をお気に入りである事実は、今も彼らの嫉妬を買っていたのだ。
「……承知いたしました。ですが、幾つか用意していただきたいものがございます」
「よし来た! 申してみよ。何でも整えてやるぞ」
その夜、私は少将と共に夜明けまで作戦を練った。
机上に地図を広げ、補給線の隘路を指でなぞりながら、蒸気機械の稼働時間や機関部の限界を洗い出す。
そして結論は――三日後の強襲。
夜が白み始める頃、ワインの杯は空となり、私と少将は最後の晩餐を分かち合った。
幕舎の外へ出たとき、双つの太陽はすでに天空を照らし、遠征の刻が近づいていることを告げていた。
◇◇◇◇◇
――三日後の深夜。
極秘裏に準備された小型飛行船の腹部ハッチが開き、冷気が吹き込んだ。
この小型飛行船は、外殻には遮音布と冷却機構が施され、蒸気を吐き出しても光も音もほとんど漏れない。帝国議会すら存在を知らぬ秘密兵器である。
格納室の中で、私は魔動機の操縦席に深く座り、最後の計器確認を行っていた。頭上には鋼索に繋がれた巨大な落下傘。人間用の十倍はあろう布帆が、今は畳まれた獣のように待機している。
操縦士が合図を送る。
「降下地点、メニシコフ補給拠点近くの丘陵。ここから先はお任せします!」
私は無言で頷き、蒸気バルブを少し開いた。タイタンの心臓部である魔導炉が低く唸りを上げ、視界の端で計器の針が震える。
「投下!」
鋼索が外れると同時に、巨体が重力に引かれて落下を始めた。機体が揺れ、鉄骨が軋む。
すぐに自動展開装置が作動し、背部の巨大落下傘が破裂するように広がった。
布帆が夜空を覆い、轟音が一瞬かき消える。強烈な減速に身体が押し潰されるが、なんとか耐え切った。
下方には暗い丘陵と茂みが広がり、その向こうに灯火が点々と並ぶ。荷馬車の列、物資を運ぶ兵士の影、樽を転がす音。あれが敵の喉笛――補給拠点である。
接地の瞬間、私は脚部の蒸気噴射を全開にした。土と草を巻き上げながら、タイタンの鋼の脚が大地を踏み締める。
衝撃で丘の斜面が揺れ、草木がなぎ倒れた。すぐさま落下傘を切り離し、暗闇に紛れて機体を低く構える。
蒸気の吐息が夜気に白く漂い、やがて消える。耳を澄ませば、遠くで兵士たちの歌声や、焚き火のはぜる音がかすかに聞こえる。
……誰も、この闇にこの魔動機が降り立ったことを知らぬ。
私は操縦桿を握り直した。
ここから始まるのは、一機の魔動機による孤独な戦争。
南方の東部戦線の未来を賭けた、密やかな破壊の旅路であった。
◇◇◇◇◇
東の地平がほのかに紅を帯び、丘陵を覆う朝もやが静かに流れていた。
私は《タイタン》の操縦席にて、真鍮と水晶で組み上げられた望遠システムを起動する。
歯車が小さく回転音を奏で、複眼レンズが霧を切り裂いて、遠方の情景を鮮明に映し出していった。
眼下に広がるのは、連邦軍の補給拠点――メニシコフ。
幾重にも並ぶ天幕の群れ、絶え間なく出入りする荷馬車と蒸気馬車、積み上げられた穀物袋やエーテル蒸気箱。まるで小さな都市のような活気を見せていた。
ここから各戦線へ送られる物資こそ、練度と装備で劣る連邦軍が、帝国を数で押し返す唯一の力の源泉である。もしこの拠点が失われれば、膨大な兵力も数日と持たず干上がるであろう。
さらに視界を絞ると、中央の天幕前に、ひときわ目立つ人物の姿があった。
銀糸を縫い込んだ軍服をまとい、胸には数えきれぬほどの勲章。地図を片手に将校たちへ鋭い指示を飛ばしている。
陽光にきらめくその姿に、私は直感した。――モルドフ将軍。連邦南翼軍を率いる知将にして、幾度も帝国軍を苦しめた男である。
その瞬間、脳裏に昨夜の光景がよぎる。バーレ少将がグラスを傾けながら囁いた言葉、そして彼女の温もり――それは命を賭ける任務を前に、互いを繋ぎ止めるための確かな証でもあった。
私は思わず息を呑む。ここで奴を討てば、帝国の勝利は確実となるかもと……。




