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蒸気の覇権 ――魔導機パイロット、帝国戦線を駆ける――  作者: 黒鯛の刺身♪


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第44話……婚約

「謹んでお受けいたします」


 私は、遠くの蒸気機関の低い音が響くユンカース子爵邸の応接室で、大きな決心とともにそう答えた。


 ……だが、心は嵐のように乱れていた。

 戦場で敵の銃弾を前にした決断とは異なり、この選択は私の心臓を締め付けるような緊張を伴ったのだ。


 私の前世――いや、この世界に転生する前の人生でも、婚姻の縁に結ばれたことはなかった。

 鉄と煤に塗れたこのスチームパンクの世界で、なおさらそんな縁は遠い夢だと思っていた。

 それなのに、今、こうして新たな運命を切り開く決断を下したのだ。


 ……ふと、脳裏に彩の顔が浮かんだ。


 あの娘は、果たしてあの男と結ばれたのだろうか?

 自分の人生が大きく変わるこの瞬間に、なぜか他人の事が気にかかった。白い霧のように、ぼんやりとした思いが胸に漂う。


「フォークさん、ありがとう!」


 突然、背後の重厚な木製の扉が軋みながら開き、ミンレイ嬢が勢いよく私の背に飛びついてきた。

 彼女の華奢な腕が私のコートを掴み、頬に触れる髪からはかすかにラベンダーの香りが漂う。


 そして、彼女の声には、涙が混じっているように感じられた。私の心は、まるで歯車が空転するような、複雑な感情に揺れた。


「よし、決まりじゃ!」


 ユンカース子爵が、革張りの椅子から立ち上がり、満足げに髭を撫でながら言った。


「フォーク君、今日より君は我がユンカース子爵家の婿となる。我が子爵家に素晴らしい未来を築いてくれよ!」


「こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。」


 私は深く一礼し、胸に手を当てた。

 背筋を伸ばすと、壁の時計がカチリと音を立てた。


「それと、フォークという姓は、名に改めなさい」


 子爵が続けた。


「これからは、フォーク=ユンカースとして生きていくのだ」


 私の名は、こうして「フォーク=ユンカース」と定まった。かつて日本的な響きを持っていた私の名は、この世界の歯車と鉄の文化に飲み込まれた。

 この瞬間、私はこのスチームパンクの世界に骨を埋める覚悟を決めたのだった。


 部屋の窓から見える、煤けた空にそびえる巨大な煙突と、遠くで響く汽笛の音が、その決意を静かに祝福しているようだった。




◇◇◇◇◇


 歯車が静かに回る音が浴室全体に響く。真鍮と大理石で装飾された大きな浴槽には、濃厚な香草湯が満たされている。圧力計と管が壁に並び、湯温は機械仕掛けで調節されていた。


 私は、夕食の後の風呂の時間がとても好きだった。

 普通の家では到底味わえぬ贅沢で、豊かな貴族家に居候しているのを実感する。


 私がゆっくり湯船に浸かっていると、浴室のドアがゆっくりと開いた。


「……お背中、流していいアルカ?」


 なんと入ってきたのはミンレイ嬢であった。

 透けるような小さな薄絹のみを纏い、頬を染め、俯きながらモジモジとしている。

 私は息を呑み、湯気越しにその姿を見つめた。


「よかったら、一緒に入りませんか?」


「……はい」


 彼女は恥ずかしそうに、湯船の縁に腰掛けた。


「お邪魔するアル」


 その言葉と同時に、透き通るような白い肢体が、すぐ目の前に。

 ミンレイ嬢はそっと湯に足を入れ、私の隣へと滑り込む。湯面が揺れ、真鍮の蛇口から滴る水音が響いた。


「フォークさん、私と一緒になって……、本当にいいアルカ?」


 彼女の声は、湯気のように儚い。


「もちろんです」


 と私は答え、できる限り温かな笑みを浮かべた。

 彼女は目を伏せ、


「この屋敷でも、居場所がない気がして…不安だったアル」


 と囁く。

 私はそっと彼女の肩に手を置き、


「大丈夫だよ、ミンレイ」


 と励ました。


 その夜の風呂は、笑顔と語らいに満ち、長湯のせいで湯あたりしてしまった。歯車の響きと湯気の舞う中、二人の絆が静かに深まった瞬間だった。




◇◇◇◇◇


――聖帝国歴917年、7月初旬。


 ユンカース商会の事務所は、お屋敷の敷地の一角にある木造建築物である。

 室内はで蒸気管の小さなうなりと歯車の響きに包まれていた。真鍮製の自動整理機が書類をカタカタと仕分け、窓の外では飛行船の影が煤けた空を横切る。


 そんな中、私、フォーク=ユンカース宛に速達郵便が届いた。

 封蝋を切り開くと、差出人は旧知のゲルトナーだった。


 煤けた羊皮紙には、ガーランド帝国軍の戦況が綴られていた。


 東部戦線では、連邦に対する防御戦が順調に進むものの、西部戦線では共和国軍に連敗を喫している。

 特に工業都市アキュラでは、第四・第六蒸気師団が降伏。指揮官以下、三万の兵が捕虜となり、皇帝から授かった真鍮製の師団旗まで奪われる屈辱を味わったと記されていた。

 帝国政府は戦況の好転を諦め、講和交渉の準備に追われているという。


 手紙の末尾には、ゲルトナーらしい金の無心が厚かましく並んでいた。


 私は苦笑しつつ、机上の通信管に手を伸ばした。


「エミリアを呼んでくれ」


 と短く告げる。事務所の隅では、蒸気式自動インクペンがカタカタと動き、伝言を記録する。


 事務長エミリア=バッハシュタインは、遠方の蒸気鉄道網の視察先にいる。

 手紙の件について相談するため、急いで呼び戻さねばならなかった。


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― 新着の感想 ―
経営者でもあるんですよね。
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