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蒸気の覇権 ――魔導機パイロット、帝国戦線を駆ける――  作者: 黒鯛の刺身♪


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第39話……空の神兵

「……ん?」


 けたたましい歓声が耳を打つ。意識が薄れる中、どれほど眠っていたのか。

 慌てて腕時計の針を確認するも、わずか五秒しか経っていない。


 眼下には、友軍の陣営が広がっていた。工業都市アキュラの外縁部、包囲された第六師団の旗が風に揺れていたのだ。


 私は血まみれの手で降下レバーを力一杯引いた。

 超大型商用飛行船ロイヤルホテル号の蒸気タービンが唸りを上げ、甲高い汽笛が夜空を切り裂く。船体が傾き、ゆっくりと降下を始める。


 敵の対空砲火が遠くで閃く中、操縦席のガラス窓を拭くと、気化エーテルの甘く鋭い香りが漂い、私の蒼白な顔が映しだされたのであった。


「……何とか、着いたか」


 ロイヤルホテル号が地に着くや否や、意識は再びまどろみへと急降下したのであった。



「おお! 目覚めたか、フォーク中尉!」


 再び目を開けると、煤けた顔の兵士たちが周囲に集まっていた。機械油の香りが立ち込める中、彼らの瞳には希望の光が宿っている。


「救世主が目覚めたぞ!」

「空の神兵様だ!」


 視線を向けると、ロイヤルホテル号が不時着した姿が見える。

 かつての豪華な外装は剥がれ、船体は無数の弾痕に刻まれ、帆布もぼろぼろだ。


 それでも、広大な船倉からは大量の補給物資――食料、弾薬、医薬品――が次々と引き出されている。兵士たちは歓声を上げ、物資を運び出す手を休めない。


「……成功したのか?」


 私の呟きは、血と汗でかすれている。


「大成功だよ、フォーク中尉!」


 高級参謀らしき男が、破顔一笑で応える。


「君は我が第六師団の救世主だ!」


 その言葉を合図に、兵士たちが帝国軍歌を高らかに歌い始めた。低く響く旋律が、工業都市の真鍮と石の街並みにこだまする。

 私は担ぎ上げられ、傷だらけの体を揺らされながら、アキュラの大通りを進んだ。


 窓から身を乗り出した市民が、花や紙テープを投げ、歓声を送ってくれた。

 痛みは全身を苛む。肩を貫ぬかれた銃創が疼き、肋骨が軋む。


 それでも、私は歯を食いしばり、右手をゆっくりと振って応えた。笑顔を浮かべるのは、少しは英雄らしくするための精いっぱいの努力であったのだ。



 この功績により、私はダイヤモンド付きの一等帝国鷲章を授けられることとなった。

 授賞式では、進行役の将校が私に尋ねた。


「フォーク中尉、望むものは何か?」


 未だ血を失い、意識が朦朧とする中、私は真剣に答えた。


「……血が足りないので、ヤギの乳を腹一杯飲みたい」


 場にいた第四、第六師団の兵士たちがどっと笑った。……だが、私には冗談のつもりはなかった。

 式場に響く笑い声の中、私は気まずく照れ笑いを浮かべるしかなかった。


 なお、包囲下の戦地ゆえに、勲章は直接運ばれず、ダイモス村のユンカース子爵家の邸に届けられたと後で聞く。……子爵様は喜んでくれたであろうか?


 この作戦の成功は、帝国中の新聞に大々的に報じられたらしい。だが、記事には私が口にしたことのない、勇猛果敢な台詞が並んでいたようだった。

 「我が身命を賭し、帝国の栄光を守る!」などと、まるで私がそんな大仰なことを叫んだかのように……。


 その夜、私は故郷を懐かしむ兵士たちと焚火を囲んだ。

 私はヤギの乳を腹一杯飲み、硬い干し肉を次々に貪った。気化エーテルの香りがかすかに漂う中、仲間たちの笑い声が響く。


 二週間後、驚異的な回復力を持つ私の体は、ほぼ不自由なく動けるまでになったのであった。



 その頃、帝国軍人事局からの通達が届く。私は大尉に昇進し、新たな任務が言い渡された。

 それは悪天候の闇夜を選び、単身で共和国の包囲網を突破し、包囲下での帝国軍情勢の報告書をバーレ少将に届けるというものだった。




◇◇◇◇◇


 おあつらえ向きの天候は、わずか三日で訪れた。

 厚い雲が月を覆い、夜空を裂くのは稲光のみ。雷鳴が遠くで唸り、ひどく湿った香りの漂う闇夜は、敵の目を欺くに絶好の状況だった。


「気を付けろよ、フォーク大尉!」


「了解しました!」


 第四師団参謀のハインツ少佐から、油紙に包まれた極秘報告書を受け取る。

 私はそれを軍服の内側に仕舞い、闇夜の敵陣へと走り出した。周囲は漆黒に閉ざされていたが、私の左目は優れた暗視の能力も持ちえた。

 だが、念には念を入れ、相棒の小さな狸のポコリーヌに先導を任せていた。


「ぽこ~♪」


 ポコリーヌの小さな鳴き声が響く。

 彼は歩哨の死角を見極め、瓦礫の影を縫うように私を導いた。砲撃で崩れた石壁や鉄骨の残骸を伝い、敵の分厚い陣地を進んだのだ。

 ロイヤルホテル号の不時着以来、第六師団の補給が改善したとはいえ、共和国軍の包囲網は依然として固い鉄の檻だった。


「……冷たいな」


 雷雨の中、軍用犬や追跡者の鼻を欺くため、濁流と化した小川を進む。

 水流は私の足音も匂いも消し去り、遠くに敵の見張りの灯だけが微かに漂う。時に身を伏せ、時に駆け抜け、私は夜明けまでに敵陣を突破した。



「フォーク大尉殿か!?」


「いかにも」


 約束の地点で待つ男――農夫に偽装した特務伍長と落ち合う。

 彼の背後には、納屋に隠された蒸気自動車が待っていた。車載用のタービンが低く唸り、車体から燃焼する魔炎石の香りが漏れる。


 私は助手席に滑り込み、帝国軍第一混成旅団の司令部へと急いだ。車輪が泥濘を跳ね上げ、雷光が真鍮製の車体を照らす中、伍長は無言でハンドルを握り続けた。



「よくぞ帰ってきた!」


 司令部の天幕に足を踏み入れると、歴戦の女傑バーレ少将が目を丸くして出迎えてくれた。居並ぶ幕僚たちも、言葉を失っている。


 私は泥と血にまみれ、肩の銃創からは包帯が血で染まっていた。

 全身はくまなく傷だらけだ。麦畑の土の香りが私の軍服に染みつき、疲弊した顔を一層異様に見せていたようだ。


「報告書です」


 油紙にぐるぐる巻きの封筒を少将に差し出す。彼女は厳粛にそれを受け取り、頷いた。


「よくやってくれた。すぐに休め!」


「はっ!」


 私は少将と幕僚たちに敬礼し、用意されたテントへと向かった。そこには、戦場ではあり得ない贅沢が待っていた。

 ドラム缶に湯が沸かされ、立ち上る湯気が天幕を満たす。私は血と泥を洗い流し、温かな湯に身を委ねた。傷口が疼くが、心は安堵に満ちていた。



 翌日、辞令が下った。

 傷の回復のため、休暇を言い渡されたのだ。


 夕刻、私は蒸気機関車に乗り込んだ。煤と機械油の香りに包まれた列車は、帝国の副首都バルバロッサを目指す。

 そこで列車を乗り換え、故郷のダイモス村へ向かう予定だった。


 車窓の外、雷雲が遠ざかり、工業都市の煙突が吐く蒸気が夜空に溶ける。私の左目は故郷の緑を思い浮かべながら、静かに光を宿していた。


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