第37話……錆びついた帝国の試練
ガーランド帝国は東西両面に敵を抱え、逼迫する戦況に喘いでいた。
工業都市アキュラへの援軍派遣は、戦略上困難を極めていたのだ。だが、補給を絶やすわけにはいかず、総司令部ではその解決策を巡り、古びた歯車のように軋む議論が続いていた。
「いっそ、政府の連中の命令を無視して、アキュラを放棄してはどうでしょう?」
若手の参謀が、歯車と銅板で装飾された司令室の円卓で声を上げた。
彼の目は、蒸気ランプの薄暗い光の下で、希望と不安が入り混じった色彩を放っている。
参謀総長リヒテンシュタイン元帥は、革張りの椅子に深く腰を沈め、灰色の髭を撫でながら目を細めた。
「ふむ。……だが、第四、第六師団が撤退すれば、帝都防衛のための時間はどう稼ぐのだ?」
元帥の声は、低く、まるで蒸気機関の唸りのようだった。参謀は一瞬たじろぎ、書類の束を握りしめた。
「その……、第四、第六師団に機動防御を命じてみては、如何でしょう?」
「馬鹿者!」
元帥が拳を円卓に叩きつけた。
テーブル上の真鍮製の地図模型がガタリと揺れる。
「今の連中に、そんな高度な戦術が実行できると思うのか?」
参謀は言葉を失い、居並ぶ他の参謀たちも俯く。
司令室に響くのは、壁に備え付けられた蒸気パイプの微かな唸りと、時計塔の歯車が時を刻む音だけだった。
……二十年前。
帝国陸軍はアーバレスト大陸にその名を轟かせた無敵の精鋭だった。
だが、今や将軍も将校たちも老い、派閥争いに明け暮れる寄せ集めに成り果てていた。
騎兵隊に至っては、終身雇用の慣習がはびこり、かつての機動力は錆びついた歯車のように失われていたのであった。
軍馬に代わり、蒸気駆動の二輪戦車が配備され始めたが、それもまだ試作段階に過ぎなかったのだ。
「……で、例の第一混成旅団はどうだ? 使い物になりそうか?」
元帥が重い口を開いた。若い参謀は一瞬目を上げ、書類をめくった。
「詳細は不明ですが……、使える戦略予備として、あれしか残っていません。報告によれば、魔動機も一機配備されているとか……」
「ふむ……」
元帥は深いため息をつき、背後の窓から見える帝都の煙突群を眺めた。
煙と蒸気が立ち込める空は、まるで帝国の未来を象徴しているようだった。
魔動機――かつては戦場を支配する決戦兵器だった。
巨大な鉄の巨人は、蒸気と失われた超技術の力で動き、各地で敵を蹂躙した。
しかし、相次ぐ戦乱でその数は激減。維持に必要な部品の遺跡からの供給も減り、各国はまともに運用できなくなっていたのだ。
しかも、近年は砲の技術が飛躍的に進化。新型の大口径蒸気砲は、至近距離や後方からの攻撃で魔動機を破壊可能なほどの威力を持つに至っていた。
さらに、戦場の主役は変わりつつあった。
蒸気機関を搭載した多砲塔戦車――通称「鉄獣」が登場し、魔動機に代わる新たな希望として各国で開発が進められていたのだ。
魔動機は操縦者に特殊な適性を要求するが、鉄獣は熟練した技師と最低限の訓練を受けた兵士で運用可能だった。
各国の軍部での魔動機への信頼は、まるで古びた蒸気管のように、音を立てて崩れつつあったのだ。
◇◇◇◇◇
私とバーレ少将率いる第一混成旅団は、工業都市アキュラから20ラトルの距離にある荒野の駅で、蒸気列車から降り立った。
車輪の軋む音と蒸気の噴出音が静まる中、周囲に広がるイシュタル小麦の畑は、種まきの時期を迎えていた。
農夫たちが歯車仕掛けの播種機を操り、畑を忙しく動き回る姿が遠くに見える。
だが、その穏やかな光景とは裏腹に、私たちの前には補給線を巡る苛烈な戦いが待っていたのだ。
宿営地の幕舎に設けられた作戦会議室は、蒸気ランプの薄暗い光に照らされていた。
幕舎の外では、旅団の蒸気牽引車が低く唸り、兵士たちが銅と木でできた蒸気弾箱を運ぶ音が聞こえる。
室内では、少将の幕僚たちが真鍮枠の地図を広げ、補給計画の進捗について報告を受けていた。
「……、……。情報は以上です。」
報告を終えた情報将校が一歩下がると、幕僚たちは地図を睨みながら唸った。
地図には、敵の陣地を示す赤いピンが無数に刺さり、各道路の細い線が途切れ途切れに描かれていた。
「やはり、空からの補給は無理か。地上からの強行突破しか道はないのか……」
一人の幕僚が、歯車時計の秒針がカチカチと進む中で呟いた。
「だが、兵力差が如何ともしがたい。せめてあと一個歩兵連隊と二個騎兵大隊があれば……」
別の幕僚が、苛立ちを込めて拳を握った。
会議は遅々として進まず、蒸気パイプの微かな唸りだけが、沈黙を埋めていた。
私はバーレ少将の後ろに、護衛兼雑用係として控えていた。
真鍮製の肩章が光る私の制服は、埃と油で薄汚れていたが、怒られないように背筋を伸ばして立っていたのだ。
突然、少将が振り返り、鋭い視線を私に投げかけた。彼女の瞳は、非常に挑戦的な光を宿していた。
「貴様はどう思う、中尉?」
凛とした女性である少将の声に、私は一瞬たじろいだ。
幕僚たちの視線が一斉に私に集まり、室内の空気がピンと張り詰める。
「……やはり、空から行くべきかと存じます」
私は咄嗟にそう答えた。
地上からの進軍は、敵の10倍以上の兵力差を前に、兵を無駄に死なせるだけだ。
頭に浮かんだのは、かつて読んだ巨大な商用飛行船の報告書だった。あの飛行船の構造ならば、あるいは……。
「ほう?」
少将の眉がわずかに上がった。
「では、貴様が空からやってみせろ!」
彼女の声には、試すような響きがあった。
私は少将に気に入られている分、幕僚たちからは疎まれていたのだ。彼らの冷ややかな視線が、まるで顔中に突き刺さるようだった。
そして、少将の目も私を逃がしはしなかった。
「承知しました。作戦プランを準備いたしますので、一両日お待ちください。」
私は胸を張り、落ち着いた声で答えた。
内心では、胃が締め付けられるような不安が渦巻いていたが、ここで怯むわけにはいかなかったのだ。
「よかろう。必要な予算は出してやる。それで皆も文句はないな?」
少将がきっぱりと言い放ち、幕僚たちを一瞥した。
誰も反論せず、会議は一決した。
この失敗続きの補給作戦の成否は、たかだか一中尉である私の双肩に委ねられたのだ。
その日の晩、私は宿営地の外れに停められた蒸気自動車に乗り込み、電話のある最寄りの通信所へと急いだ。
車内の真鍮製メーターがガタガタと震え、蒸気エンジンの振動が骨に響く。窓の外には、星空と延々と拡がるイシュタル小麦の畑が続いていた。
通信所に辿り着いた私は、受話器を握り、ユンカース社にいるはずの事務長バッハシュタインに急ぎ連絡を入れた。
電話線の向こうから聞こえる歯車の音と、彼女の聡明そうな声音が、私の作戦の第一歩を支える唯一の希望だった。




