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蒸気の覇権 ――魔導機パイロット、帝国戦線を駆ける――  作者: 黒鯛の刺身♪


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第36話……風に散った補給品

 私が蒸気列車に揺られ、煤けた窓から鉄と硝煙の匂いを嗅いでいたその六日前。


 ガーランド帝国の総司令部は、工業都市アキュラにて包囲された第四・第六師団への補給作戦を実行した。

 帝国は広大な大陸国家ゆえ、空軍も海軍も、すべて陸軍の鉄の統制下に組み込まれていた。

 飛行船部隊はその空軍の象徴であり、蒸気と歯車が唸りを上げる巨大な空中要塞は、帝国の威光を空に掲げる存在でもあった。



 四隻の大型飛行船――その名も「鉄鷲一号」から「鉄鷲四号」――は、首都エーレンベルクの飛行場に整然と並んでいた。

 船体は黒光りする鋼板で覆われ、蒸気機関の煙突からは白い蒸気が吐き出される。巨大なプロペラは低く唸りながら回転を始めていた。


 各飛行船の気嚢は、亜麻色の帆布に包まれた特殊な気体で膨らみ、まるで雲を切り裂く巨獣のようだった。

 搭載された物資は総量60トン。医薬品、干し肉や硬パンといった食料、そして兵士たちの心を慰める酒瓶と煙草の束が、木箱に詰め込まれ、落下傘とともに船倉に積み上げられていた。



「全艦、準備よし!」


 飛行場の管制塔から号令が響き、歯車がカチリと噛み合う音とともに、飛行船団はゆっくりと浮上した。


 エーレンベルクの空は煤と蒸気に霞む。

 遠くの工場群から吐き出される煙がたなびく中、鉄鷲たちは重々しく舞い上がった。

 一路、包囲されたアキュラを目指し、飛行船団は高高度の安全な空域へと進路を取ったのだった。

 プロペラの唸りと、蒸気機関の規則正しい鼓動が、乗組員たちの耳に響いていた。


 アキュラ上空に到着したのは、陽が傾き始めた黄昏時だった。眼下には、戦火に焼かれた工業都市の残骸が広がる。各所から立ち上る黒煙は戦場の苛烈さを物語っていた。

 第四・第六師団は、共和国軍の包囲網に閉ざされ、補給を待ちわびていた。


「投下用意!」


 艦長の声がゴンドラ内に響き、乗組員たちは歯車式の投下装置に取り付いた。木箱に括られた落下傘が、蒸気圧で動くハッチから次々と放たれる。


「投下開始!」


 絹でできた落下傘は白い花のように開き、物資を乗せてゆっくりと降下していった。

 医薬品、食料、そして酒と煙草――それらは帝国兵の士気を支える希望の束だった。乗組員たちは、投下の成功を確信し、互いに頷き合った。


「投下完了!」


「帰投せよ! 全速前進!」


 飛行船団は敵の銃火に一度も遭遇することなく、プロペラを全開にし、蒸気機関を唸らせながらエーレンベルクへと引き返した。


 六時間後、鉄鷲たちは無事に首都の飛行場に帰還し、乗組員たちは勝利の笑みを浮かべた。

 ……だが、彼らの知らぬところで、悲劇が待っていた。



 高高度からの投下作戦は失敗だった。

 強風がアキュラの空を支配し、落下傘は風に翻弄され、物資は帝国軍の陣地から遠く離れた場所へと流されたのだ。

 医薬品も、食料も、そして兵士たちの慰めとなる酒と煙草も、ひと箱すらアキュラの帝国軍には届かなかった。


 その代わり、物資は皮肉にも共和国軍の陣地に舞い降りたのだ。


「おお! 酒だ! 帝国の銘酒じゃないか!」

「煙草もあるぞ! こいつは上等だ!」


 共和国軍の兵士たちは、予期せぬ贈り物に歓声を上げた。帝国の補給物資は、敵の士気を高め、夜の陣地に笑いと酒宴をもたらした。


 ガーランド帝国の飛行船団は、完璧な航行を誇ったにもかかわらず、風と運命に裏切られたのだった。


 エーレンベルクの総司令部に、この失態の報せが届いたとき、帝国軍参謀総長のリヒテンシュタインの顔は、怒りでまるで溶鉱炉の鉄のように赤くなったという。




◇◇◇◇◇




 それから二日後のこと。

 ガーランド帝国の総司令部は、工業都市アキュラへの補給作戦の二度目を決行した。


 前回の失敗を教訓に、今回は大胆な戦術が採用された。アキュラの飛行場に強行着陸し、物資を直接届けるという、帝国の誇る飛行船部隊の勇気を試す作戦でもあった。


 四隻の大型飛行船――「鉄鷲一号」から「鉄鷲四号」――は、前回同様、エーレンベルクの飛行場に並んだ。

 その下部には、敵の地上からの銃弾を弾くべく、輝く真鍮製の装甲板が新たに取り付けられていた。

 装甲は蒸気ハンマーで鍛えられた厚板で、歯車とボルトで船体に固定され、鈍い光を放っていた。


 さらに、今回は地上制圧を担う中型飛行船「雷隼一号」と「雷隼二号」が加わり、計六隻の船団を構成したのだ。

 中型飛行船の船倉には、装薬エーテルと弾丸がぎっしりと詰め込まれ、蒸気砲の砲身が不気味に突き出ていた。



「全艦、離陸せよ!」


 管制塔の号令とともに、蒸気機関が轟音を上げ、プロペラが唸りを響かせた。

 鉄鷲たちは、重々しく浮上し、煤けたエーレンベルクの空を再び切り裂いたのであった。


 船団は一路アキュラを目指し、航路を高高度で進む。

 そして、途中で低高度に移行し、工業都市の侵入経路を見定めた。ゴンドラ内の乗組員たちは、歯車式の操縦桿を握り、蒸気圧の計器を睨みながら、戦場への突入に慎重に備えたのであった。



 ……だがすでに、アキュラの空は、もはや帝国のものではなかった。


「上空に敵影! 共和国軍の飛行船、六隻を確認!」


 見張り台の乗員が、望遠鏡を手に叫んだ。ゴンドラ内は一瞬にして緊張に包まれる。


「何だと!?」


 旗艦「鉄鷲一号」の司令官、グリムハルト大佐が歯を食いしばった。前回のような奇襲効果は失われ、共和国軍は待ち構えていたのだ。


 共和国軍の六隻の中型飛行船――その船体は赤銅色の装甲で覆われ、蒸気砲が牙を剥くように並んでいた――が、有利な高高度で帝国船団を睨みつけていた。


「今さら退けぬ! 全速で突入せよ!」


 グリムハルト大佐の命令が響き、光信号のランタンが点滅し、僚艦に突入の意志を伝えた。鉄鷲たちは、蒸気機関を全開にし、プロペラの回転を加速させた。



「砲撃開始!」


 共和国軍の飛行船が一斉に火を噴いた。

 蒸気圧で発射される砲弾が、唸りを上げて帝国船団に襲いかかる。帝国側も、中型飛行船「雷隼」二隻が応戦し、エーテル装薬の煙と蒸気が空を覆った。

 だが今回、輸送任務の鉄鷲四隻は、物資輸送を優先して武装をほぼ剥がされており、まるで丸腰の家畜のように無防備だったのだ。


「直撃! 鉄鷲二号、気嚢中央に多数被弾!」


 共和国軍の砲弾が、鉄鷲二号の装甲を貫き気嚢に達した。

 空に浮かぶための特殊な気体が噴出し、火花が引火すると、轟音とともに爆炎が上がった。

 船体は真っ二つに折れ、燃え盛る残骸がアキュラの荒野へと墜ちていく。続いて鉄鷲四号も、蒸気砲の連射を受けて爆散し、装甲板が無残に飛び散った。



「作戦は失敗だ! 全機、退却せよ!」


 グリムハルト大佐は、血走った目で叫んだ。旗艦のゴンドラは、砲弾の衝撃で傾き、歯車が軋む音が響いていた。

 光信号が再び点滅し、生き残った船団は一斉に左へ旋回。プロペラを唸らせ、煙幕を張りながら逃走を図ったのだ。


「司令官! 敵が追撃してきます!」


 見張りの声に、大佐は唇を噛んだ。共和国軍の飛行船は、軽快な機動で距離を詰めてくる。鉄鷲たちの巨体は、装甲と物資の重さで鈍重だった。


「やむを得ん! 荷物を投棄しろ!」


「了解!」


 乗組員たちは、涙を呑んで投下装置を操作した。医薬品、食料、酒と煙草の木箱が、落下傘もつけられず、船倉から次々と投棄された。

 物資は無残に風に散り、アキュラの戦場へと落ちていった。


 軽量化された鉄鷲と雷隼は、かろうじて速度を上げ、共和国軍の追撃を振り切った。エーレンベルクの飛行場に帰還したのは、傷だらけの四隻だけだった。



 そして、またも皮肉な結末が待っていた。投棄された貴重な物資は、再び共和国軍の手に渡ったのだ。


「おお! また帝国の酒だ! こいつは上物ぞ!」

「煙草もたっぷりだ! ガーランドの馬鹿どもに感謝せねばな!」


 共和国軍の兵士たちは、戦場の片隅で帝国の物資を手に歓声を上げた。

 ガーランド帝国の飛行船団は、勇気と犠牲を払ったにもかかわらず、またしても敵を喜ばせる結果に終わったのだ。


 エーレンベルクの総司令部では、グリムハルト大佐の報告を聞いた参謀総長が、蒸気ボイラーのように怒りを爆発させたという。

 ……だが、その怒りも、戦場の風に流される物資のように、空しく響くだけだった。


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