第35話……騎兵隊のサーベル
第26機械化傭兵大隊の騎兵部隊は、馬蹄の響きと蒸気の唸りを従えて戦場を駆け抜けた。
彼ら騎兵を構成するのは帝国軍の精鋭中の精鋭、厳選された兵士たちであった。
特に傭兵団の騎兵たちは、退役した歴戦の勇士たちで編成されており、その戦術の冴えと勇猛さは、まるで熟練工が生み出すネジのように精緻で揺るぎなかった。
汗と土埃にまみれた馬たちが、戦場を疾走する。騎兵たちのサーベルが陽光を反射し、ヴィクトリア朝風の真鍮製の装具が馬具に輝きを添えた。
彼らは共和国軍の左翼後背に、風のように素早く回り込み、戦列歩兵の背後から斬りかかった。馬のいななきと蹄の轟音が、戦場の空気を切り裂いた。
「全軍、突撃せよ!」
騎兵隊の突撃の成功を見るや、ヘルダーソン中佐は全隊に総攻撃を司令。
帝国の旗が風に翻り、戦列歩兵たちは一気に突進した。
馬の息づかいと、鞍の革が軋む音が混じる中、蒸気機関の補助を受けた軽量な装甲馬車が後方から支援に動き、戦場は鉄と血の嵐と化していく。
正面と側背からの猛攻に、共和国の戦列歩兵たちは大混乱に陥った。
整然と並んでいた彼らの隊列は、まるで狂った機械のように崩れ去っていく。
歩兵の叫び声と馬の嘶きが交錯する中、騎兵たちは次なる標的――共和国の蒸気砲兵隊――へと突進した。
近づくのを阻むように、巨大な蒸気砲が白煙を上げながら火を噴くが、馬の俊敏な動きはそれをかわしていく。
だがその時、共和国の騎兵隊が援軍として現れた。彼らの馬もまた、厳しく鍛え上げられた軍馬で人馬一体で突っ込んでくる。
「味方を助けよ!」
両軍の騎兵が激突し、剣戟の火花と馬の嘶きが交錯する。サーベルがぶつかり合い、馬具の真鍮が陽光に輝く中、戦場は一瞬にして混沌の坩堝と化した。
だが悲しいかな、戦いの流れはすでに帝国側に傾いていた。一度崩れた戦局は、共和国の騎兵といえども容易に覆すことはできなかった。
「退却! 全軍退却せよ!」
状況に悲観した共和国の若い指揮官の声は、絶望に震えていた。
陣地の防衛はもはや不可能と判断した彼は、部下たちに後退を命じる。蒸気砲の残骸が煙を上げ、戦列歩兵たちは散り散りに逃げ惑った。
共和国兵が逃げ去った後。遠くに新たな旗が翻っているのが見えた。
「味方の旗だ!」
「援軍だ! 助かったぞ!」
ついに、第26機械化傭兵大隊は、帝国第10師団の先遣部隊と合流を果たしたのだ。
双方の兵士たちは、血と汗で装飾された軍服をまとったまま抱き合う。
この合流を機に、帝国軍は各所で一斉に攻勢に転じた。
城塞都市ブリュンヒルトを包囲していた共和国軍は、帝国軍の猛攻の前に次々と後退。ついにその包囲網は破られた。
ブリュンヒルトの城壁の上では、勝利を祝う汽笛が長く鳴り響いた。
帝国の旗が再び風に翻り、馬の嘶きと蒸気の響きが織りなす勝利の雄叫びが、戦場の残響を飲み込んでいったのであった。
◇◇◇◇◇
それから十日後のことである。
シュライヒ中将とバーレ少将は、周囲の懸念をよそに善戦を重ね、共和国軍を国境近くまで押し返すことに成功していた。
帝国の馬蹄が地を蹴り、蒸気機関の装甲車が白煙を吐きながら進軍する中、彼らの戦略は見事に功を奏していたのだ。
だが、勝利の余韻も冷めやらぬうちに、両者は作戦を巡って激しい衝突を起こした。なんでも、バーレ少将がシュライヒ中将を「ボコボコ」にしてしまい、中将は全治二週間の負傷を負ったという。
この報告を受けた帝国軍総司令部は、ただちにバーレ少将率いる第1混成旅団に北上を命じ、急遽配置換えを行った。騒動の中心にいるバーレ少将を、戦場から遠ざける意図もあったのかもしれない。
「つまらん男だな……」
「申し訳ありません、閣下」
私は今、蒸気列車の特等車に揺られている。
車輪がレールを叩く単調な音と、時折響く汽笛が、旅の厳粛さを際立たせていた。
個室の向かいに座るのは、バーレ少将その人だ。
彼女の真鍮製の肩章が、窓から差し込む光を反射し、まるで小さな星のように輝いている。
どうやら私はこの少将に気に入られているらしく、今は側近としてそばにおかれていた。
彼女の存在感は強烈だ。軍服の上からでもわかるダイナマイトなボディ。真鍮と革で装飾された制服は、彼女の存在を一層際立たせるが、目のやり場に困るのも事実だった。
「……いや、貴様のことではない。あの髭だるまのシュトルヒ将軍のことよ。」
バーレ少将は、深いため息とともに言葉を吐き出した。
彼女の声は明瞭だが、どこか翳りを帯びている。賢明で大胆と噂高い指揮官でありながら、その瞳の奥には何か重いものが潜んでいるように感じられた。
「貴様、次の目的地についてどう思う?」
彼女が唐突に尋ねてきた。
「工業都市アキュラでありますか?」
私は慎重に答えた。
「そうだ」
工業都市アキュラ。
ガーランド帝国第三の都市であり、蒸気機関と魔炎石の力によって動く帝国の工業力の心臓部だ。
すぐ南には、魔炎石鉱山が広がり、青く揺らめく結晶が帝国の機械文明を支えている。
しかし、二週間前から共和国軍による包囲が続いており、帝国第四・第六師団、総勢約三万の兵が孤立していた。これは帝国軍常備戦力の約15%に相当する。
「総司令部の方針はどうなのですか?」
私は彼女の表情を窺いながら尋ねた。
「どうも総司令部は、師団長たちにアキュラの死守を命じているらしい。」
彼女の声には、わずかな苛立ちが混じっていた。
「二個師団がやられたら、西部戦線は崩壊するのでは?」
私が率直に問うと、彼女は皮肉な笑みを浮かべた。
「その通りだ。だが、アキュラを失えば現政権は持たない。首相と昵懇の参謀総長にとっては、『退却』という言葉は存在しないらしい」
「……それで、守り切れるのですか?」
私は核心を突く質問を投げかけた。
「兵力には問題ない。だが、燃料と食料がな……」
バーレ少将は窓の外に目をやり、遠くの煙突から立ち上る黒煙を見つめた。
アキュラのような巨大な工業都市は、魔炎石と食料を膨大に消費する。ましてや三万の兵を抱えての籠城戦だ。物資が足りるはずがない。
工業都市としては、蒸気機関を動かす魔炎石が枯渇すれば、溶鉱炉などの都市経済が破綻してしまう恐れもあった。
「……で、総司令部は我々に何をしろと?」
私はさらに踏み込んで尋ねた。
「物資を届けろ、だと」
少将は重いため息とともに言葉を吐き捨てた。その声は、まるで蒸気機関の排気音のように低く響いた。
窓の外では、広大な平原を縫うように鉄路が延び、遠くにアキュラの煙突群が見え隠れしていたように思えた。




