第24話……ラング工場長
薄暗い霧が町を覆う中、私は鉄工所の門をくぐった。
錆びた銅と鉄の匂いと、どこか懐かしい油の香りが鼻をつく。
敷地内には、蒸気ボイラーの巨体がそびえ立ち、複雑な配管が蜘蛛の巣のように絡み合っていた。
大小さまざまな工作機械が並び、そのどれもが静寂に沈んでいる。ボイラーの火は消え、戦時活況の喧騒は遠い記憶のようだった。
「操業はされていないのですか?」
私は、そばに立つ工場主に尋ねた。
彼は煤けた作業着に身を包み、額に刻まれた深い皺が苦労を物語っていた。
「ああ、不況のせいでな。開店休業も同然じゃよ。」
その声は、まるで古い蒸気機関の唸りのように重かった。
ふと、敷地の片隅に積み上げられた奇妙な鉄の塊が目に入った。ねじれた金属と歯車が無造作に重なり、まるで機械の墓場だ。
「あれはなんですか、社長さん?」
「ん? ワシはラングじゃ、社長なんて堅苦しい呼び方はよせ」
彼は目を細め、遠くを見つめるように言った。
「あれは軍が放棄した魔動機の残骸さ。修理できんかと、10年以上前からやっておる」
「修理できるのですか?」
私は思わず身を乗り出した。
「少しはな……だが、もう終わりじゃ。この工場、売らねばならぬことになった」
ラングの声は震え、言葉の途中で彼の目から涙が溢れ出した。
「ワシの人生そのものだったこの工場が、他人の手に渡るなんて……」
その様子から、借金の重圧が彼を追い詰めたのだろうと察した。不況の嵐は、この小さな鉄工所をも飲み込んでいたのだ。
……だが、もし魔動機の修理が可能なら?
希望の欠片が私の胸に灯った。
「ラングさん、修理したものを見せていただけますか?」
彼は涙をぬぐい、投げやりに手を振った。
「あそこに転がっとる。好きに見てこい!」
私は積み上げられた魔動機の残骸へと近づいた。
無骨な鉄の塊は、かつて戦場を駆け抜けた機械の亡魂のようだった。
私は、異能を誇る左目につけた単眼鏡を調整し、内部の構造を仔細に観察する。
この単眼鏡は、軍学校で学んだ技術を応用した自作の品だ。
とても小さな歯車の摩耗具合や、極めて細い蒸気管の状態でさえ細かく観察できる代物である。
中枢部の損傷は、この世界の技術的なレベルが足りず、予想通り修理はほぼ不可能のようだった。
だが、周辺の駆動部や補助機構には、驚くほど丁寧な修繕の跡が見られたのだ。
ラングの手によるものだろう。彼の技術は、素人目にも確かなものだった。
軍学校での学びが脳裏をよぎる。魔動機は、蒸気機関と魔導技術の融合により、戦場で驚異的な力を発揮する。
しかし、外殻以外の部品は複雑すぎて修理が難しく、故障すれば即座に廃棄されるのが常だった。
そのため、運用コストは膨大で、魔動機は決戦兵器としてしか使われない。口の悪い用兵家曰く『使い捨ての豪華な玩具』それが魔動機の現実だった。
「……完全な修理は難しいが、周辺部品なら価値があるかもしれない。」
私は独り呟く。
金になるかどうかはわからないが、ラングの技術を活かせば、やり方次第で可能性はゼロではない。
子爵が私的に持つ魔動機も修理ができるに越したことはないのだ。
◇◇◇◇◇
翌日、私は決断を下した。
銀行の重い扉を押し開き、多額の融資を受けた。
銀行員が提示する金利は厳しく、背筋が冷える思いだったが、退くという選択はなかった。
その後、私はラング鉄工所の債権者を訪ね、交渉の末、工場を買い取った。
不況のおかげで、驚くほど安く手に入った。だが、内心では不安が渦巻いていたのだ。
製造業は低迷し、景気が上向かなければ利益など望めない。売り上げのない工場の運営資金は私の借金を膨らませ、やがては破産の淵に立つかもしれない。
それでも、彼が遺した技術の欠片が、私を突き動かしていたのであった。
前の世界で「モノつくり」が賞賛されていたが、こういうことかもしれない。
工場に戻ると、ラングが呆然と立っていた。
「お前……本当に買い取ったのか?」
「ええ、ラングさん。この工場には、まだ未来があると信じています」
私は単眼鏡を手に持ち、魔動機の残骸を指さした。
「一緒に、こいつらを甦らせませんか?」
彼は抱き着いてきて、大粒の涙をボロボロと流す。
「……お前、気でも狂ったか? だが……、ううう、一生感謝するぞ……」
涙を拭いた彼の眼には、再び野望を秘めた生気が戻っていたのだ。
ラング鉄工所に、蒸気ボイラーの火が再び灯り、繁盛するのを夢見て、私は新たな一歩を踏み出した。
借金の重圧にも、不況の暗雲にも、胃薬が欠かせなくなっていたのだが……。
◇◇◇◇◇
あれから一週間が過ぎた。
未だに工場に仕事を発注する者は皆無だった。
静寂に包まれた工場内で、蒸気ボイラーの火は冷めたまま、ただ錆と油の匂いだけが漂っている。
私はといえば、借金の利子が頭をよぎるたびに胸が締め付けられるが、今はそんなことを考える暇もない。
なぜなら、工場長のラングが私の「師匠」となり、魔動機のメンテナンス方法を叩き込み始めたからだ。
「若造。どうせなら、ワシの技を教えてやるか!」
ラングは煤けた作業着の袖をまくり、ニヤリと笑った。
彼の目は、かつて涙に濡れていた時とは別人のように、炎のような情熱が輝いていた。
こうして、私の修業の日々が始まった。ラングの指導は、軍学校の教科書とはまるで異なる、我流の極みだった。
だが、その一つ一つが、まるで歯車が噛み合うように理にかなっていた。どの専門書にも載っていない、革新的な手法がそこにはあったのだ。
特に彼が得意としたのは、魔動機の各部を流れる『魔導配線』の扱いだった。魔導配線とは、蒸気や魔導エネルギーを信号として伝える、極めて繊細な仕組みだ。
軍では「壊れたら交換」としか教わらなかったこの部品を、ラングはまるで生き物のように再生させたのだ。
「ほれ、見てみぃ。この配線、ただの銅の束やない。エネルギーの流れを『感じる』んじゃ。」
彼はそう言うと、使い込まれた工具を手に、配線の束を解き始めた。
細い銅線一本一本に魔導エネルギーを流し、微妙な振動や熱の変化を指先で確かめる。その手さばきは、まるで楽器を奏でる職人のようだった。
実技も徹底的だった。ラングは私に、壊れた魔動機の残骸から取り出した配線を渡し、
「これを直してみぃ」
と命じた。
最初は手が震え、極小の魔炎石の配列を間違えて小さな火花を散らしてしまった。
だが、ラングは笑いながら肩を叩いた。
「失敗は技術の母よ。若造、焦らずやれ」
彼の指導は厳しくも温かく、夜遅くまで工場の片隅で配線の調整を繰り返した。
ある晩、ついに私が修理した配線が、低い唸りを上げて魔導エネルギーを通し始めた瞬間、ラングは目を細めて頷いた。
「悪くない。だが、まだまだじゃな」




