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第23話……結婚式と造船所

 聖帝国歴916年、5月中旬。

 首都エーレンベルクの壮麗な教会で、今日はお嬢様の結婚式が執り行われる日であった。


 お嬢様とマイネッケ伯爵との婚約が決まった折、ユンカース男爵家は子爵へと昇格していた。これはもちろん、マイネッケ家の宮廷での巧みな工作による特例に他ならない。


 私は、試験の合格と定期昇進が重なり、ガーランド帝国軍の中尉に昇進していた。

 貴族枠の予備役とはいえ、正式に尉官となったことで、将校用の軍服の着用が許されるようになったのだ。

 この軍服は、儀礼の場にふさわしく、一定の身分を示すのに都合が良かった。



 教会の控室から、


「新婦様がお呼びです」


 との声がかかった。私は足早にその部屋へと向かった。


「お嬢様、ご用でしょうか?」


 控室に入ると、そこにはいつもの青いチャイナドレスではなく、純白のウェディングドレスに身を包んだお嬢様が立っていた。

 その姿は、まるで絵画から抜け出したような美しさだった。


「……もう会えなくなると思うと、なんだか寂しいアルネ」


 と、彼女が囁くように言った。


「……まぁ、死ぬわけではないですから、いつかはまたお会いできますよ」


 と、私は答えた。

 だが、心のどこかで寂しさがこみ上げるのを抑えきれなかった。


 ふと思いつき、私は懐から以前の戦功で授かった褒章の懐中時計を取り出した。金を含有した金属でできた、精巧な高級品だ。


「これを差し上げます」


 と、私は彼女に手渡した。


「……あ、ありがとう、アル。大切にするアルネ」


 彼女の瞳がわずかに潤むのを見て、私も胸が熱くなった。

  なにしろ、この世界で初めてできた友達なのだ。


 だが、この瞬間、初めて彼女に女性としての魅力を感じたのかもしれない。西洋風のドレスに身を包んだ彼女は、それほどまでに気高く、美しかったのだ。


「そろそろ式が始まりますよ」


 会場係に急かされ、私は控室を後にして会場へ向かった。親戚でも賓客でもない私は、会場の後方、目立たぬ席に腰を下ろした。


 会場には高位の貴族のみならず、王族さえも列席していた。

 マイネッケ伯爵家の権勢をまざまざと見せつけられる光景に、どこか場違いな気分が否めなかった。


 やがて、華燭の典が厳かに始まった。

 荘厳な音楽が響き、新郎新婦が誓いの言葉を交わす。

 式の後には盛大なパーティーが催され、会場は華やかな笑顔と祝福の声で満ち溢れたのだった。


 私は遠くからその様子を眺めながら、懐中時計を握りしめた彼女の姿を思い出し、静かに微笑んだ。


 新しい人生を歩み始めたお嬢様の幸せは喜ばしい。

 ……だが、なんだか少し、寂しい思い出になるような予感がしたのであった。




◇◇◇◇◇


 春の柔らかな陽気が、ユンカース子爵家の館を優しく包み込んでいた。

 だが、戦火が遠のいた今、傭兵団からの依頼も途絶え、館は静けさに満ちていた。


 また、お嬢様の結婚式以降、子爵様は多くの貴族家との交流に追われ、ほとんど屋敷に戻らぬ日々が続いていたのだ。


「お出かけですか?」


 執事のシュモルケさんが、穏やかな笑みを浮かべて尋ねてきた。


「ええ、海でも見に行こうかと……」


「それは良いご計画ですな」


 そんな会話を交わした後、私は少ない荷物をまとめ、蒸気機関車に揺られて北部の港町フォボスへと向かった。



 フォボスに着いた私は、港へと足を運んだ。

 空はどこまでも晴れ渡り、春の風が心地よく頬を撫でる。


 だが、港から眺める海は、相変わらず赤茶けた色をしていた。この世界の海がなぜ赤いのか、その理由は誰も詳しく知らない。


 ただ、遠い昔に栄えた文明が海を汚染したという言い伝えが残るのみだ。

 そのため、フォボス近海の海産物は食用に適さず、漁業はほとんど行われていなかった。


 しかも海中には、かつての文明の遺跡が数多く沈んでいる。

 それゆえ、座礁事故が後を絶たず、海上輸送は前の世界ほど栄えはしていなかった。今も湾内では座礁した大型船の救出作業が慌ただしく行われている最中である。


 私はその光景をしばし眺め、胸に複雑な思いを抱いたのだった。



 次に、私は造船所へと向かった。

 だが、不況の影響で、かつて響き合ったハンマーの音は鳴りを潜め、造船所はまるで眠っているかのように静まり返っていた。


 気が向いたため、さらに足を伸ばし、造船所の近くにある小さな鉄工所に立ち寄ってみた。


「あんた、何しに来た? 仕事でもくれるのか?」


 白髪で小太りの老人が、鋭い目つきで私に声をかけてきた。


「お爺さんは、この鉄工所の工員さんですか?」


 私は尋ねた。


「工員兼工場長で、かつ社長だがな」


 老人が笑みを浮かべる。


「それは失礼しました。もしよろしければ、この工場を案内していただけませんか?」


 私は少し気まずそうに頭をかきながら、駄目元で頼んでみた。さすがに社長さんにチップを渡すわけにもいかない。


「いいぞ、どうせ暇じゃしの……」


 老人の気さくな返事に、私はほっと胸を撫で下ろした。

 こうして、白髪の老人に導かれ、私は小さな鉄工所の内部を見学させてもらった。


 古びた機械と鉄の匂いに満ちたその場所は、まるでこの世界の栄枯盛衰を静かに物語っているようであったのだ。

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