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第21話……自由労働党のメンゲンベルク党首

 聖帝国歴916年4月初旬。

 私は男爵の目に留まり、彼に連れられて様々な場所を巡り、学ぶ機会を与えられていた。

 今の私の肩書は本部長。多くの仕事を任される立場だが、傭兵団との契約はまだ切れておらず、休暇中の身でもあった。

 共和国との休戦により、帝国中の傭兵団員の多くが休暇を取っていた。彼らはリゾート地でバカンスを満喫したり、故郷の村に帰省したりしていた。


 その日、男爵に連れられて、私は選挙演説の会場に足を踏み入れた。熱気あふれる民衆の前で、候補者が声を張り上げていた。

 我がガーランド帝国は一応の立憲君主制を敷いており、帝国議会には100名の代議士が名を連ねる。今はその改選の時期で、候補者たちは街を駆け巡っていた。


 男爵が支持する候補者は誰かは私は知らなかった。ただ、今日の演説者は自由労働党の党首であるメンゲンベルク氏。人気急上昇中の人物だ。会場は人で溢れ、その熱弁に引き込まれていた。


「我々は今、塗炭の苦しみに喘いでいる!」


 メンゲンベルク氏の声が響き渡る。共和国との休戦で戦時好況が終わり、大企業の売り上げは落ち込み、不況が街を覆っていた。雇用条件は悪化し、失業者が溢れ、帝国中の都市部では政府が炊き出しを始めていた。

 しかし、そんなものは焼け石に水。家族を養えない親たちは飢えるか、賊となるしかなかった。治安は悪化し、夜になると野党や暴徒が跳梁跋扈する街も増えていた。


「共和国を支える農場主たちは悪鬼だ! 彼らが抱える奴隷は、我々の解放を待ちわびている!」


 メンゲンベルク氏の言葉に、会場がどよめいた。


 西に位置するジラール共和国は農業を主産業とし、遠方の支配地から多くの出稼ぎ者を集めていた。その労働環境は劣悪で、奴隷と呼んでも差し支えないほどだった。


 一方、我が帝国は土地が痩せているため工業を主としていたが、他国からの出稼ぎ者は少なかった。それは人権の問題ではなく、単に海軍力が弱く、支配地をあまり持たないからに過ぎなかったのだが……。


「今こそ我が国は、再び銃器を手に、西の悪鬼を滅ぼすべきだ!」


 メンゲンベルク氏の声は大きく響き渡り、まるで雷鳴のようだった。

 ……交戦の再開。それは再びの戦時好況を求める資本家や、仕事にありつきたい失業者の本音を代弁しているのかもしれなかった。


 男爵の後に従い、私は静かに会場を後にした。


 多くの創作劇では、主人公たちは戦いに勝ち、平和を勝ち取る。そして、お話はめでたくそこで終わりだ。

 だが、その世界に住む人たちには当然続きがある。私はこのような不況からの解を与えてくれた物語には出会ったことがなかった。


 私は、第2の人生でも、大きな社会の流れに抗えない小さな存在であることを、改めて自覚するしかなかったのだった。




◇◇◇◇◇


 講演会を終え、男爵と共にダイモス村の彼の屋敷へと戻った。玄関の扉が開くなり、愛らしい声が響く。


「お父様、フォークさん、お帰りなさいアル!」


 男爵の愛娘であるミンレイお嬢様が、弾けるような笑顔で出迎えてくれた。

 彼女の金色の髪が夕暮れの光に揺れる。執事のシュモルケさんが男爵の外套や荷物をそつなく預かり、静かに部屋へと案内していく。


「フォークさん、今日はお父様とどこへ行ったアル?」


 ミンレイお嬢様が私の腕にしがみつき、好奇心いっぱいの瞳で問いかけてくる。深窓の令嬢とはいえ、彼女にはどこか無邪気で不思議な魅力があった。

 だが、ダイモス村も帝国の治安悪化の余波を受け、彼女はめったに外出できずにいた。私の話がお嬢様にとって、外の世界との数少ない接点なのかもしれない。



「フォーク様、そろそろお食事の時間でございます。」


 シュモルケさんの落ち着いた声に礼を述べ、私は一階の大広間へと向かった。

 テーブルには、まるで祝宴のような豪華な料理が並んでいる。鳩の丸焼き、鹿肉のソテー、大きな蟹を茹で上げた一品まで。

 ……いったい何の記念日だろうか?


 席に着き、食事が始まるや否や、男爵が重々しく口を開いた。


「ミンレイ、話がある。」


「なにアル?」


 お嬢様が小首をかしげる。


「実はな、西の京大国に新たに赴任するマイネッケ都督が、お前をご所望なのだ。一度会ってみてはどうだ?」


「……わかったアル。」


 彼女の声は小さく、どこか力がない。


「うむ。三日後、帝都エーレンベルクのマイネッケ家の屋敷に招かれている。そのつもりで準備をしておけ。」


「……はい。」


 ミンレイお嬢様は俯き、フォークを握る手が止まった。明らかに気乗りしない様子だ。

 だが20歳を過ぎれば、貴族の娘は行き遅れと囁かれかねないこの帝国。ましてや、名門の仕来りに縛られた彼女に、選択の余地は少ないのだろう。

 私は気まずさを覚えつつ、口を挟める立場ではないと悟り、黙々と料理に箸を伸ばした。だが、心のどこかで、彼女の小さな溜息が引っかかって離れなかった。




◇◇◇◇◇


 夜、自室で書類を整理していると、ドアを軽く叩く音がした。扉を開けると、執事のシュモルケさんが立っていた。


「旦那様がお呼びでございます。」


 彼の後に続き、男爵の書斎へと足を踏み入れる。暖炉の火が部屋を照らす中、男爵の顔はいつもより険しく、眉間に深い皺が刻まれていた。


「フォーク、ミンレイに手を出しておらぬな?」


 男爵の声は低く、鋭い。

 私は一瞬息を呑んだが、迷わず答えた。


「はい、決してそのようなことは」


 きっぱりと断言した。かつて彩に裏切られて以来、女には心を閉ざしていた。ミンレイお嬢様は確かに可愛い。だが、私にとって彼女は妹のような存在でしかないのだ。


「そうか、よろしい」


 男爵は少し肩の力を抜いたが、なおも慎重な口調で続けた。


「君は知らぬかもしれんが、我が国では宗教の教えにより、女性の純潔は極めて重んじられる。特に貴族の娘ともなれば…」


「はぁ。」


 私は曖昧に頷いた。

 貴族のしがらみは複雑で面倒だ。男爵の事業には協力したいが、家同士のややこしい問題には関わりたくない。それが私の本音だった。


 男爵はしばし黙り込み、暖炉の炎を見つめた後、ゆっくりと口を開いた。


「まあ、君にはミンレイの素性について話しておいた方がよさそうだな……」


 そう言って、男爵はミンレイお嬢様の出生や背負う運命について語り始めた。


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