第20話……講和会議と帝国国債
翌朝、夜明けの薄光が窓を染める頃、私は男爵から借りた蒸気自動車のキーを握った。実物を見なければ始まらない。
蒸気機関の唸りを聞きながら、ガタガタの道をマーズ鉱山へと急いだのだ。
鉱山に着くと、煤けた作業服の親方が迎えてくれた。「こんにちは」と軽く挨拶し、私は早速案内を頼んだ。坑道の奥へ進むたび、湿った土と石の匂いが鼻をついた。労働者のハンマーが岩を砕く音が、単調に響く。
「…まずいな」
私は呟いた。
特殊な左目の能力を起動させ、掘り出された鉱石をじっと見つめた。視界に浮かぶデータは、魔炎石の成分を示している。
だが、その数値は予想以上に厳しいものだったのだ。Cランクの中でも、特に劣悪な部類。売れる見込みは、想像以上に薄かったのだ。
坑道の奥では地下水が染み出し、排水用の蒸気機関を動かすには新たな投資も必要だった。
私は親方と並んで坑道を歩きながら、頭の中で計算を続けた。2000万マルクと、三年という時間。この鉱山をどうやって黒字に変えるか。
屋敷に戻ると、ポコリーヌが珍しく上機嫌で出かける準備をしているのが、唯一の気休めだった。
「明日はどこ行くポコ?」
彼は何気なく尋ねてきた。
「……え!?」
私は目を丸くした。どうやら明日も出歩くつもりらしい。だが、部屋で悶々と考えていても埒が明かない。私は気分を切り替え、行動を決めた。
翌朝、私は蒸気自動車を飛ばしてダイモス駅へ向かい、北方行きの列車に飛び乗った。
六時間の旅を経て、港湾都市フォボスに降り立った。海風が頬を撫で、潮の匂いが鼻をつく。
「人が多いポコね」
ポコリーヌが呟く。
「……だね」
私は頷き、駅前の大通りを歩いた。
すると、騒がしい人だかりが目に入った。近づくと、そこは証券取引所だった。
中へ足を踏み入れると、熱気と喧騒に圧倒された。元の世界では取引は冷徹なコンピュータ任せだが、この世界は違う。仲介人たちが叫び合い、紙とペンで取引を進めている。
私はしばらくその光景を眺め、ふと一計を案じた
帝国国債が、異様に安く放置されていることに気づいたのだ。
戦時下の好景気で、誰もが株に群がり、国債は見向きもされない。だが、ガーランド帝国のマルクは銀本位制。いつ戦争が終わっても、価値が保証されているのだ。
私は2000万マルクの軍資金を手に、賭けに出た。国債を大量に買い付けたのだ。
取引量が多く、名義変更には翌日までかかるとのことだった。私はその待ち時間を利用し、フォボスの港湾を歩き回った。
巨大なクレーンが荷物を吊り上げ、船員たちが忙しなく動き回る。都市の活況を感じながら、私は自分の賭けが成功することを祈ったのであった。
翌朝、ホテルを出て取引所に戻った。
朝早い立会外の時間帯は、人がまばらだ。
「このトランクに詰めてくれ」
私は、係から受け取った預かり証や書類をカバンにしまい、昼の列車でダイモス村へ戻ることにした。
食堂車でサンドイッチをかじる。窓の外を流れる景色と、蒸気機関車のリズムが心地よかった。旅の風情に浸りながら、私は一瞬、鉱山経営の重圧を忘れたのであった。
屋敷に戻ると、私は自室の金庫に預かり証を仕舞い、鉱山再建に取り掛かった。左目の義眼であちこち鉱脈を調べたが、どれも期待外れ。
……経営は八方塞がりだった。
毎日、焦りが胸を締め付け、背中に嫌な汗が流れたのだった。
一週間後、新聞の一面に講和会議の記事が躍った。
戦争が終わったのだ。駅には戦地から戻る兵士たちと、涙ながらに迎える家族で溢れていた。
だが、平和の訪れは同時に好況の終焉を意味した。復員兵が労働市場に溢れ、帝国中で失業者が急増したのだ。
私のオフィスにも暗い知らせが続いた。
「もう少し何とかならないか?」
「うちも苦しいんだよ」
取引先が次々と魔炎石の契約を打ち切り、頭を下げに来る。鉱山は完全に立ち行かなくなった。
帝国経済は急降下した。
倒産が相次ぎ、株式市場は暴落。
銀行はリスク資産である株を売り払い、安全資産である帝国国債に殺到した。国債の価格は一気に跳ね上がった。
「そろそろ売るポコ?」
ポコリーヌが囁く。
「……そうだね」
私は頷き、再び列車で港湾都市フォボスへ向かった。
取引所で大量の国債を売却すると、短期間で膨大な利益が手に入った。
元の世界ならインサイダー取引で牢屋行きだが、この世界にそんな規則はない。
私はその資金で、不況で暴落した各地の鉱山や工場の経営権を買い漁った。
結果、ユンカース鉄道をしのぐ巨大な子会社が生まれたのであった。
男爵の執務室で、私は報告書を差し出した。
「…なんだと? この短期間でか!?」
男爵は目を白黒させ、書類を何度も読み返した。
虚偽がないとわかると、彼の顔に笑みが広がった。
「うわっはっは! これは凄い。よくやってくれた!」
男爵の声が部屋に響く。
「ありがとうございます」
私は胸を張った。
後日、男爵から褒賞として、給料とは別に親会社の株を分けてもらい、私はちょっとした資産家気分に浸った。
私は元の世界では一度も味わったことのない高揚感と、えも言われぬ達成感に包まれたのであった。