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第18話……靴磨きの少年とオルゴール

 二月の大通りを歩く私は、ちらつく雪に目を細めた。

 冷たい風がコートの裾をはためかせ、首に巻いた毛織のマフラーをそっと引き寄せる。

 通りを埋め尽くす人々はみな、灰色の空の下で足早に過ぎていく。蒸気馬車の排気音が遠くから響き、雪片がその熱に溶けては消える。


 私はお土産を買うため、首都でも指折りの百貨店へ足を踏み入れた。

 その大きな建物は煉瓦と真鍮の骨組みで組み上げられ、天井には巨大な歯車が回り、外に向けられた暖房用の蒸気管はうなりを上げている。


 ……だが、店内の異様な賑わいに私は違和感を覚えた。

 客たちは我先にと高級品を買いあさり、絹のドレスや真鍮製の懐中時計、最新型の蒸気ガジェットを手に争っていたのだ。

 それはまるで、明日が来ないかのような熱狂ぶりだった。


 私は店の中で人込みを描き分け、男爵様には銀製の葉巻入れ、お嬢様には機械仕掛けのオルゴールを選び、紙袋に詰めてもらい店を出た。

 そして帰り道、ふと気が向いて、道端で小さな木箱に座る靴磨きの少年に声をかけた。



「これを頼むよ」


「毎度あり、旦那!」


 私は昨日の授賞式のために新調した革靴を差し出した。

 少年は手慣れた様子でブラシを動かし、煤と泥にまみれた靴を磨き上げていく。蒸気馬車の行き交う音を背に、私は何気なく尋ねた。


「なぁ、みんなやけに羽振りが良いみたいだが、何かあるのか?」


「旦那、当たり前ですぜ!」


 少年は目を輝かせ、磨きながら得意げに答えた。



「戦地での需要で景気はうなぎのぼりですよ。しかも、わが帝国軍は連戦連勝ときたもんだ! 旦那はやってないのかい?」


 彼はポケットからくしゃくしゃの株券を2、3枚取り出し、私に自慢げに見せつけた。金属精錬や蒸気兵器製造の銘柄だろう。

 戦争景気に沸くこの街では、こんな少年までが株に手を出すのか。私は内心で舌を巻いた。


「へぇ、儲かってるんだな。ありがとよ」


 私は磨き上がった靴を受け取り、少年に銅貨を弾いて渡した。彼はそれを器用にキャッチし、ニヤリと笑って手を振った。


 再び中央駅へと向かう道すがら、煤けた空を見上げる。

 重そうな雲により空はどんよりとし、雪がちらほらと落ちてきたのであった。




◇◇◇◇◇


 私は蒸気機関車の引く二等客車に揺られ、5時間ほどかけてダイモス村に向かう。


 車内から煤けた窓の外を眺めれば、雪に覆われた田園が緩やかに流れていく。旦那様が敷設した線路のおかげで、村まで鉄道が通じ、首都からの足は悪くない。


 それでも、元の世界の新幹線のような速さは望むべくもなく、移動には時間がかかるのが常だった。蒸気機関のうなりと車輪の軋みが、私の旅路に寄り添う唯一の音だった。


 列車を降り、駅舎を出ると、冷たい風が頬を刺した。

 私はコートの襟を立て、男爵の館へと歩を進める。


 ダイモス村は以前と変わらぬ姿を保ち、首都の喧騒とは裏腹に、平穏で長閑な空気が漂っていた。

 石畳の道端には薪を積んだ馬車がのんびりと通り、遠くの丘には風車がゆっくりと回っている。まるで時間が止まったような風景に、心が少し軽くなるのを感じた。



 館の玄関をくぐり、私は男爵に挨拶する。


「ただいま帰りました。」


「うむ、よく帰ったな!」


 男爵は暖炉の前の椅子から立ち上がり、太い声で応えた。


「我が家の客人が戦場で手柄を挙げてくれたとあって、うれしい限りじゃ!」


 彼は新聞を広げ、にやりと笑って見せてくれた。見出しには私の授賞の記事が踊っている。

 お土産に渡した銀製の葉巻入れも手に取って眺め、「ほう、いい趣味じゃな」と満足げに頷いてくれた。


 その後、私はお嬢様の部屋へと向かった。木製のドアを軽くノックすると、勢いよく開いた扉の向こうから、彼女の驚きの声が飛び出した。


「わーい! フォークさんだ、お帰りなさいアル!」


 彼女は目を輝かせ、私に抱きついてきた。その無邪気な喜びに、私は思わず笑みをこぼす。

 部屋に招かれ、彼女付きのメイドさんが銀のポットから紅茶を注いでくれた。湯気が立ち上り、ほのかに甘い香りが部屋を満たす。

 私はソファに腰を下ろし、一息ついた。


「そういえば、友人を紹介するよ」


 私は革製の鞄を開け、狸のポコリーナを取り出した。彼は窮屈そうに丸まっていたが、出てくるなり不機嫌そうな顔で周りを見回し、お嬢様に小さく会釈した。


「おいしそうな狸アルネ。」


 お嬢様はいたずらっぽい笑みを浮かべ、目を細めてポコリーナを見つめた。


「食べちゃダメポコ!」


 ポコリーナは慌てて両手を振って抗議し、その必死な様子に部屋中が笑いに包まれた。

 冗談だと分かると、彼は再び不機嫌そうに鼻を鳴らし、私の肩によじ登って毛繕いを始めた。小さな爪がコートに引っかかりながらも、彼なりに落ち着こうとしているようだった。


 私は紅茶を啜りながら、お嬢様の笑顔をぼんやりと眺める。



「……あ、お土産があるんだった」


 私はお嬢様に小さなオルゴールを渡すと、彼女は目を丸くして箱を手に取った。


「わぁ、素敵アル!」


 彼女は声を弾ませ、そっと蓋を開ける。蒸気仕掛けの歯車が回り始め、澄んだ音色が部屋に響き渡った。彼女は耳を傾け、


「まるで妖精が歌ってるみたい」


 と呟いた。メイドさんも微笑みながら手を止める。

 私は彼女の喜ぶ姿に、気に入ってもらえて良かったと安堵した。


 オルゴールは小さな宝物のように、彼女の手の中で輝いているように見える。

 遠くの戦場や首都の喧騒から離れ、この館で過ごす時間が、私にはとても心地よく感じられたのであった。

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