第14話……カサンドラ要塞攻略作戦、正面戦線【前編】
「各隊、乗り込め!」
各隊の隊長の声が、煤と油にまみれた駅のホームに響き渡った。
「急げよ!」
我々は戦地へ向かうため、重いブーツを鳴らして最寄りの駅まで歩いた。凍てつく風がコートの裾をはためかせ、背嚢に詰めた装備品と食料が肩に食い込む。
前世の現代社会じゃ、こんな重装備で長く歩くなんて想像もできなかった。
駅に着くと、そこには黒煙を吐き出す巨大な蒸気機関車が待っていた。
歯車が軋み、ピストンがうなるその鉄の獣の引く貨車に乗り込むと、車内は煤けた鉄と革の匂いで満たされていた。
汽笛が耳をつんざくように鳴り響き、我々は揺れる客車の中ですし詰めにされた。
スマホも電車もないこの世界で、こんな移動手段に慣れるなんて、転生した当初は夢にも思わなかった。
数時間後、車輪の軋みが止まり、目的地の駅に降り立った。
そこには正規軍が手配してくれた馬車が並んでいた。真鍮の装飾が施された馬と蒸気ボイラーが共存する奇妙な乗り物だ。
馬蹄が石畳を叩く音と、ボイラーから漏れる蒸気のシューという音が混じり合う。
通常ならこんな贅沢な配慮はありえない。だが、今回の作戦では、私たち傭兵部隊が一刻も早く前線に配備につく必要があったのだ。
馬車に揺られながら辿り着いた担当地域は、見渡す限りの遮蔽物のない平原だった。横殴りの冬風が頬を切りつけ、コートの襟を立てても凍えるような冷たさだ。
私はポケットから真鍮製の双眼鏡を取り出し、レンズを覗いた。
遠くに見えるのはカサンドル要塞——中世の城郭を再利用した軍事施設だ。
石壁には苔が這い、塔の上には風向きを示す錆びた風見鶏が回っている。
前世でゲームや映画で見たような風景だけど、実際に目にするとその迫力に息を呑む。
高い位置にそびえるその要塞は、この時代では絶好の戦略拠点であった。
この世界にはレーダーもミサイルもない。あるのは鉄と蒸気と歯車だけだ。高地に陣取れば遠くまで見渡せ、飛び道具だってより遠くへ飛ばせる。
現代のミサイル戦争を知る私からすれば原始的に思えるが、この19世紀のような世界の戦争では、標高が勝敗を握るのは紛れもない事実だったのだ。
「隊列、整え!」
各隊の小隊長の声が部下たちに届き、皆は慌ただしく動き出した。
私もガニメデの操縦席に乗り込み、最終チェックに入る。
「砲撃準備!」
私は司令部からの発行信号による攻撃合図を確認した。
手元の懐中時計——真鍮とガラスでできたスチームパンクらしい逸品——を一瞥すると、針は作戦開始の時刻を指している。
前世でなら、こんな時計はオシャレなインテリア止まりだっただろうが……。
平原の向こうで、要塞の石壁が黒々としたシルエットとなって聳えている。風が一瞬止み、私は深く深呼吸をしたのであった。
◇◇◇◇◇
「突撃!」
歩兵たちの喊声が平原に響き渡り、それに呼応するように大砲が轟音を上げた。
援護射撃が地面を震わせ、土煙が舞い上がる。
事前に準備射撃を万全にしておきたかったが、この世界の物資事情は現代とは違いすぎた。砲弾は大変に貴重で、余裕なんて全くないからだ。
転生してから何度も思い知った——ここでの砲弾の価値は兵士の命より重い。
「怯むな!」
各隊の小隊長たちが指揮刀を掲げ、部下を鼓舞していた。
刀身が冬の陽光を反射し、鋭い光を放つ。
だが、敵の砲弾も容赦なく降り注ぎ、爆煙が視界を覆った。
戦場は一気に混沌と化していったのだ。
私は突撃には加わらず、大砲部隊の前進を支える役割に徹していた。
なぜかといえば、今の射撃位置では、敵のカサンドル要塞に有効な一撃を与えられる距離ではないからだ。
しかし、だからといって無闇に前進すれば、敵の火砲に食い物にされるのは目に見えている。そのバランスの難しさは筆舌に尽くしがたい。
「いまだ、前進せよ!」
砲兵隊長の鋭い号令が飛んだ。
私はすぐさま魔動機——ガニメデと名付けられた蒸気仕掛けの鉄の巨人を操った。
歯車が軋み、蒸気が噴き出すその機械は、車輪付きの大砲を力強く引っ張っていく。
人力でやれば何人もの兵士が汗と血を流すところを、この魔動機なら一瞬で済むのだ。
それは前世のトラックやクレーンを思い出すけど、この世界の技術は煤と真鍮に彩られた独特の美しさがあった。
「フォーク准尉、次の二号砲も頼む!」
「了解です!」
砲兵隊長が指さす地点へ、私はガニメデを急がせた。そして大砲の位置を素早く調整する——これが遅れれば、突撃中の歩兵部隊が敵の反撃で壊滅するかもしれない。
前世でならドローンや精密誘導兵器で済む話だけど、ここでは私の操縦する魔動機が頼りだ。
焦る気持ちを抑えつつ、蒸気レバーを引き、歯車を動かす。
意外にも、砲兵部隊の前進は順調だった。
だが、カサンドル要塞の前面で戦況が好転し始めたその瞬間、異変が起きた。城門が重々しく開き、そこから「何か」が姿を現したのだ。
「……なんだあいつは!?」
兵士たちの驚愕の声が戦場に響いた。
私も目を疑った。目の前に現れたのは、煤けた装甲に覆われ、蒸気を吐きながら進む金属製の怪物——戦車だ。
戦車!? 現代社会じゃ当たり前の兵器だけど、この19世紀風の世界でそんなものを見るとは思わなかったのだ。
転生者としてこの世界でいろいろな驚きを経験してきたが、これは別格であった。
しかも、前の世界のTVで見たような洗練された姿ではなく、歯車と蒸気ボイラーが組み合わさったような滑稽なデザインで、かつ見たことない位に巨大。そして複数の砲塔が不気味に獲物を探している。
平原に轟くそのエンジン音は、私の知る戦車ともどこか違う、スチームパンクの世界らしい不協和音だった。
要塞の石壁を背に、そいつは履帯を軋ませ、ゆっくりと進み始めた。
歩兵たちの顔に浮かぶ恐怖、私の胸に湧き上がる混乱——この戦場の転換点は、この世界の指揮官たちの想定をはるかに超えていくものだった。