第13話……南国風味のシチューとカサンドラ要塞
――飛行船。
それはまだ飛行機のないこの世界で生まれた新兵器だ。ヘリウムより軽い謎の気体のおかげで大きな積載力を誇り、推進器には蒸気機関を採用している。
逆風の中でも、全長300メートルを超えるその巨体は、時速50ラトルを簡単にひねり出す。私はその姿に圧倒された。
これまで軍用では偵察や輸送が主だったが、今、私たちの上空に現れた共和国軍の飛行船は違った。黒い塗装が不気味に映るその船体は、ゆっくりと高度を下げてくる。
私は息を呑んだ。なんとその下部には、巨大な連装砲塔が備わっていたのだ。
砲塔は私たちを見定めるように旋回し、俯角を定めると、悪魔のような咆哮を轟かせた。私の耳にも凄まじい衝撃が加わる。
砲弾は断末魔のような音を立てて飛来、帝国軍第二傭兵団の駐屯地を破壊し尽くした。私の目の前が火の海に変わっていく。
「こっちだ!」
「水を持ってこい!」
逃げる仲間たちの中で、火を消そうと奔走する者もいた。私は混乱の中、消火の手伝いでバケツにて水を運ぶ。
しかし、駐屯所の蒸気弾保管庫に火が移ると、にわか仕込みの消火作業ではどうにもならなくなった。私は消火作業に絶望感を感じた。
「早く、逃げろ!」
「火を消すのは諦めろ!」
私は狸のポコリーナを抱え、皆と一緒に蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。服についた火の粉を払うため地面を転がり、近くの川まで避難した。私は冷たい水に浸かりながら、やっと息をつけたのだった。
幸い、傭兵団の練度は高く、人的な被害は少なく私は安堵した。しかし、帝国正規軍の高射砲隊が駆け付けるまでの4時間、共和国の飛行船の砲塔は好き放題に暴れまわったのだった。
翌日の話によると、敵の飛行船の目標は、第二傭兵団の駐屯地から15ラトル先にある帝国正規軍第六師団の本営だったらしい。
……我々は誤爆だったと知って、呆然としたのであった。
また、それは我々傭兵部隊への前線への帰還の合図でもあった。
◇◇◇◇◇
――三日後。
傭兵団の司令部で開かれた会議。
私は緊張した空気の中、司令官のヘルダーソン少佐と参謀たちの前に立っていた。彼らの顔は揃いも揃って不機嫌そうで、見ているだけで胃が締め付けられる思いだった。
「作戦を伝える!」
少佐の声が響き、壁に張り出された大きな作戦マップに視線が集まった。そこには今回の攻撃目標が赤い線で描かれている。先日の飛行船襲撃の対策だ。私は予想通りだと内心で頷いた。
共和国の奥地にある基地から飛んでくる飛行船を根本的に止めることはできない。しかし、迎え撃つために適切な高地を奪うことはできる。私は無意識に、お嬢様からもらったお守りを握りしめ、少佐の言葉に耳を傾けた。
「今回も我々は辛い任務を負う。心してかかってほしい。我々の担当は敵のカサンドル要塞の正面だ!」
その瞬間、ベテラン兵たちの顔が一気に険しくなった。私は彼らの表情を見て、前回の戦役の記憶が蘇るのを感じた。
カサンドル要塞への攻撃はこれまで3度行われ、どれも無残な敗北に終わっていたのだ。私は新聞で読んだだけの知識だったが、思わず息を詰まらせた。
「諸君の気持ちはわかる。だが、この要塞は敵飛行船を迎撃できる格好の高台なのだ」
少佐は拳を振り上げ、熱っぽく語り始めた。私はその言葉に引き込まれるように耳を立てた。
この世界の大砲は、私が知る元の世界のものとはまるで違う。せいぜい明治初期の車輪付き大砲に毛が生えた程度で、砲身は短く、迎撃できる高度も低い。
それに比べて飛行船は高い空を飛べる。普通に考えれば撃墜なんて夢のまた夢だ。
でも、この世界の照準精度はひどく悪く、砲弾の速度も遅い。風に流されるなんて日常茶飯事だ。
だからこそ、飛行船は攻撃のために高度を下げざるを得ない。そして、この世界の飛行船はその高度変更が致命的に遅い。
私はその弱点を聞きながら、なるほどと納得した。敵は撃墜を恐れて高く飛び、目標の手前でゆっくり高度を下げる。その隙に高地から狙い撃ちできるというわけだ。
「ちなみに、今回の作戦参加者には8万マルクの臨時手当てがつくぞ!」
「おおー!」
少佐の言葉に、傭兵団のみんなが一気に活気づいた。私はその勢いに目を丸くした。8万マルク。前の世界の価値で言えば800万円くらいだろうか。しかし、この世界では貧富の差が激しく、感覚的にはもっと価値があるだろう。
私は一瞬、その金で何ができるかを想像してしまった。みんなも同じだったようで、カサンドル要塞の恐ろしさが頭から吹き飛んだらしい。作戦を最後まで真剣に聞いていたのは、私を含めて2割ほどだった気がする。
「……以上である! 諸君の健闘を祈る!」
説明が終わり、みんなが勢いよく部屋を出ていった。私は時計を見る。ちょうど食堂での夕食の時間だ。
作戦前には士気を上げるため、正規兵も非正規兵も関係なく軍から予算が出て、食堂のご飯が豪華になる慣習があるそうだ。
私はその話を聞いて、すでにお腹が鳴っていた。今日のメニューは南方の植民地で採れる貴重なスパイスを使ったシチューらしい。
食堂に着いた私は列に並び、早速そのシチューを口にした。牛肉と野菜がたっぷり入っていて、濃厚なスパイスの香りが広がる。どこか前の世界のカレーを思い出させる味だ。
私は目を閉じて、明治時代での牛肉入りカレーを想像したのだ。あったかどうかはわからないけど、あの時代なら高級品だろう。庶民出身の傭兵たちが狂喜するのも無理はない。私も同じでスプーンを動かす手を止められなかった。
食堂はまさに戦場と化していた。後日、食堂担当の話では、二年前のカサンドル要塞戦に匹敵する騒ぎだったらしい。