第11話……ガニメデ野砲隊
魔動機のコックピットは薄暗く、蒸気と鉄の匂いが充満していた。モニターの隅に、かすれた文字でこの機体の名前らしきものが映っている。
「……ガニメデかぁ」
私は乾パンを齧りながら呟いた。
遅い夕食には味気ないが、空腹を紛らわすには十分だ。
操縦桿を握る手は汗で湿り、ガニメデの重々しい足音が地面を震わせる。背中に担がれた巨大な車輪付きの蒸気野砲が、軋む音を立てていた。
こいつの移動速度は遅く、人の歩く速さと大差ない。
司令部はこの作戦に私を隊長に任命し、砲を扱える兵士を3名つけてくれた。初めての実戦での隊長職に、緊張で少し手が汗ばむ。
3時間ほどガニメデを歩かせ、目的地である丘の麓に辿り着いた。
だが、そこにそびえる崖は予想以上に急で、岩肌が朝露に濡れて鈍く光っている。
私はコックピットから身を乗り出し、状況を見定めた。
「それでは作業を始めるぞ」
「はっ!」
兵士たちが一斉に応え、ロープを手に動き出す。
計画はこうだ。蒸気野砲にロープを巻き付け、ガニメデが崖を登りきったところで、それを引き上げるのだ。
簡単なはずだったが、崖の斜面は険しく、ガニメデの足が何度も滑りそうになる。
私は神経を集中し、操縦桿を慎重に操った。
蒸気機関が唸りを上げ、金属の関節が軋む中、ようやく頂上に辿り着いたのだった。
ランタンを振って下にいる兵士たちに合図を送る。
ロープがピンと張られ、蒸気野砲と弾薬、そして兵士たちが次々と丘の上に引き上げられる。
息を切らせた一人が、私に敬礼しながら言った。
「隊長、無事に上がりました」
「了解、……さてと」
私は小さく頷き、ガニメデから降りて地面に足をつけた。蒸気野砲をガニメデの背中から慎重に下ろすように兵士たちに指示を出す。
「砲をここに設置しろ。地面をならして安定させろよ」
兵士たちが手際よく砲を地面に据え、私は特殊な左目を意識した。この眼は距離を正確に測定する力を持つ。敵のトーチカまでの距離を計り、兵士たちに具体的な指示を出した。
「距離は約798レトルだ。射角を15度に設定しろ。風向きは東から弱い、方位を2度右に補正だ」
兵士たちが砲の角度を調整し、照準を合わせていく。
私は目を細め、遠くの敵陣を見据えた。
準備が整ったのは、東の地平線に太陽が顔を覗かせる頃だった。薄オレンジの光が丘を染め、冷たい空気が去っていった。
◇◇◇◇◇
私は懐中時計を握り潰さんばかりに見つめ、計画にある砲撃開始の時刻を待った。秒針が刻々と進み、ついにその瞬間が来た。
「砲撃開始!」
私の号令に合わせ、蒸気野砲が咆哮を上げた。初弾が轟音とともに発射され、トーチカのすぐ近くに着弾。土煙が舞い上がる。私は左目で軌道を確認し、すぐに次の指示を出した。
「射角を0.5度上げろ!方位はほぼ完璧だ、そのまま撃て!」
距離と角度を微調整しながら、我々は次々と砲弾を撃ち込んだ。
使うのはこの世界では貴重な炸裂弾。衝撃だけでなく、爆風と破片が周囲を薙ぎ払い、凄まじい破壊力を発揮する。
砲撃によりトーチカのコンクリートが砕け、建物が炎に包まれ、敵の固定砲台が瓦礫と化していくのが遠くからも見て取れた。
敵は混乱しているようだった。どこから攻撃を受けているのか、まるで理解していない様子だ。
それもそのはず。この丘は味方の陣地から遠く離れた高台で、支援を受けることはおろか、敵にとっても死角だった。私は唇の端を吊り上げ、小さく笑った。
「残弾はあとひと箱です!」
兵士の一人が叫んだ。
「残らず撃ってしまえ! 射角はそのままでよい!」
私の命令に、残りの砲弾が次々と発射された。
炸裂音が丘に響き渡り、敵陣の重要施設は壊滅状態に陥った。やがて、味方の本隊による砲撃が始まり、それを合図に歩兵たちが突撃を仕掛けた。
昼過ぎにはトーチカが完全に占領され、敵の生き残りは手製の白旗を掲げて降伏したのであった。
私はガニメデのそばに立ち、焼け焦げた大地と勝利の余韻に沸く味方の兵士たちを眺めた。
左目に心地よい疲労感を感じながら、乾パンの最後の一欠けらを口に放り込んだのだ。
「……まあ、こんなもんですかね」
丘の上に静かに佇む重蒸気砲は、冷えていく砲身からかすかに湯気を上げていた。
その音と、透き通る空気の静寂だけが、私の耳に心地よかったのだ。
◇◇◇◇◇
その日の夕方。私はガニメデと重蒸気砲、そして疲れ切った3人の兵士たちを連れて味方の陣地へと帰還した。
私の体はまだ緊張と興奮の震えを帯びている。
そして、ガニメデの重々しい足音が陣地の入り口に近づくと、待ち構えていた味方の兵士たちから歓声が沸き上がった。
「おかえり、フォーク准尉!」
「やったな、英雄だ!」
彼らの声が夕暮れの空に響き合い、私は照れくさそうに手を振った。
兵士たちに囲まれながら、ガニメデを停め、重蒸気砲を下ろすよう指示を出す。疲労と興奮が全身を包んでいたが、胸の奥は達成感でいっぱいだった。
夕飯時、陣地の簡素な野営テントで祝勝の特別食が振る舞われた。
鹿のシチューだ。濃厚な香りが立ち込め、普段の乾パンとは比べものにならないご馳走だった。
私はスプーンを手に、熱々のシチューを口に運びながら、新しい部下たちと軽い冗談を言い合う。
その時、一人の伝令がテントの入り口に現れた。
「フォーク准尉、敵陣からお帰りになった司令官がお呼びです」
私はスプーンを置いて立ち上がり、軽く敬礼を返した。戦友たちが「行ってこいよ」と背中を叩く中、私は意気揚々と司令部へと向かったのだった。




