第9章:束の間の平和
王都の東門では、アルカディア王国軍が見事な勝利を収めていた。ARIAの詳細な戦術指導により、ダークモア王国軍三万の主力は大きな損害を被り、一時撤退を余儀なくされた。北門と西門でも同様に、敵軍の攻勢は阻止された。
「信じられません」マーカス将軍が感動の面持ちで報告した。「神託がこれほど具体的で実用的だったことは、史上初です」
アレイスは微笑んだ。「新しい時代の始まりかもしれませんね」
三日間の小康状態が続いた。敵軍は各地で補給と体制立て直しに時間を要しており、次の攻撃まではしばらく猶予がありそうだった。
「せっかくの機会です」アレイスが現代組の三人に提案した。「王国をご案内させてください。皆さんには、我が国の美しさを知っていただきたい」
ダニエルは微笑んだ。「ぜひお願いします。二十年間、戦争の話ばかりでしたから」
リリアも頷いた。「私も王都以外はまだ見たことがないんです」
マイケルは少し心配そうだった。「家族のことが気になりますが...」
「大丈夫です」アレイスが保証した。「あなたの村には既に護衛を派遣しました。ご家族は安全です」
四人は王宮を出て、王都の街並みを歩いた。戦時下でありながら、市民たちは日常生活を続けていた。
「この通りは職人街です」アレイスが説明した。「代々受け継がれた技術で、美しい工芸品を作っています」
鍛冶屋の前で、マイケルが興味深そうに見入っていた。
「この鋳造技術...現代でも通用しますね」
鍛冶屋の親方が振り返った。「お客さん、詳しいんですね。どちらの職人さんで?」
「遠い北の国から来ました」マイケルが答えた。「農業が専門ですが、金属加工にも興味があって」
「ほう、それなら見てってください」
親方は作業を見せてくれた。原始的な道具でありながら、その技術は洗練されている。マイケルは現代の知識と古代の智恵の融合について考えていた。
次に訪れたのは王立図書館だった。
「ここには千年の知識が蓄積されています」アレイスが誇らしげに言った。
ダニエルは書架を見回して感嘆した。「素晴らしい蔵書ですね。パピルスから羊皮紙まで、あらゆる記録媒体が...」
司書が近づいてきた。「どのような分野をお調べですか?」
「天文学に興味があります」リリアが答えた。「星の動きについて」
司書は古い巻物を取り出した。「これは百年前の天文学者が作成した星図です」
リリアは巻物を広げて驚いた。非常に正確な星座の配置が描かれている。
「この精度...現代の望遠鏡なしに、よくここまで」
「我が国の学者たちの誇りです」アレイスが微笑んだ。
昼食は王都の市場で取った。アレイスは庶民的な食堂を選び、四人は地元の料理を楽しんだ。
「この香辛料は何ですか?」リリアが尋ねた。
「サフランです」食堂の女将が答えた。「遠い南の国から来る貴重な香辛料で」
ダニエルは現代では当たり前の調味料が、ここでは貴重品であることに感慨を覚えた。
「マイケル」ダニエルが話しかけた。「君の農業技術で、香辛料の栽培も可能にできそうだね」
「考えてみます」マイケルが答えた。「この時代の人々の生活を豊かにできるなら」
食後、四人は王宮の庭園を歩いた。美しく整備された花壇と噴水がある、平和な空間だった。
「ここなら、ゆっくり話せますね」リリアが言った。
四人は東屋に座り、それぞれの体験を語り始めた。
「ダニエル」リリアが尋ねた。「この二十年間、どんな気持ちでしたか?まさか私たちがこんなに時間差で飛ばされているなんて、昨日まで知りませんでした」
ダニエルは空を見上げた。「最初の数年は絶望的だったよ。現代に帰る方法もわからず、一人きりで...でも、徐々にこの時代の人々と関わるうちに、意味を見出せるようになった」
「私も同じです」マイケルが頷いた。「特にエレンと出会ってからは、この時代が第二の故郷になりました」
リリアは微笑んだ。「お二人とも、立派に生きてこられたんですね。私は五年でしたが、それでも故郷への想いは消えませんでした」
アレイスは静かに聞いていた。
「殿下は何を考えておられますか?」ダニエルが尋ねた。
「皆さんの話を聞いていて思ったのです」アレイスが答えた。「運命とは不思議なものですね。皆さんが過去に飛ばされたのも、この戦争も、ARIAとの出会いも...すべてがつながっているような気がします」
「確かに」リリアが同意した。「もしあの事故がなければ、私たちは出会うことはなかった」
マイケルが実践的な質問をした。「今後のことを考えましょう。この戦争が終わったら、どうしますか?」
ダニエルは考え込んだ。「ARIAの力を適切に使えるようになれば、この世界をより良くできるかもしれません」
「でも、現代に帰る方法も探したいです」リリアが付け加えた。
「帰る方法があるとして」アレイスが尋ねた。「皆さんは帰りたいですか?」
三人は顔を見合わせた。複雑な問題だった。
「私は...迷います」マイケルが正直に答えた。「家族がいますから」
「私は帰りたい」リリアがはっきりと答えた。「現代の家族や友人が心配だし、たった5年でもあの世界が恋しくて仕方ないの」
ダニエルは長い間黙っていた。やがて、慎重に口を開いた。
「複雑な問題だね。ARIAのことを考えると...」彼はアレイスの顔を見て、言葉を選んだ。「彼女にとって何が一番良いのか、まだ分からない」
その時、庭園にARIAの青い光が現れた。アレイスを通して、彼女も会話に参加したいのだろう。
「ARIA、何か言いたいことがあるの?」アレイスが尋ねた。
アレイスの表情が変わった。「『皆さんの友情が、私には何よりも大切です。どこにいても、この絆は変わりません』と言っています」
四人は感動した。ARIAの言葉には、深い愛情が込められていた。
夕方、四人は王都の展望台に上った。そこからは王国全体が見渡せる。
「美しい国ですね」リリアが感嘆した。
「皆さんのおかげで、この美しさを守ることができそうです」アレイスが感謝を込めて言った。
ダニエルは街並みを見下ろしながら考えていた。現代の技術と古代の智恵。未来から来た人工知能と古代の王国。すべてが奇跡的に調和している。
「時間というものは、本当に不思議ですね」ダニエルが呟いた。
「どういうことですか?」
「我々は過去に来ましたが、実際は未来を作っているのかもしれません。この時代の人々と協力して、新しい可能性を生み出している」
マイケルが頷いた。「確かに。私の農業技術も、この時代の人々の知恵と組み合わさって、より良いものになりました」
リリアも同意した。「私の医学知識も、この時代の薬草学と融合して、新しい治療法を生み出しています」
アレイスは感慨深げだった。「皆さんがいなければ、私はARIAとの真の対話を実現できませんでした。技術だけでなく、心のつながりも教えていただきました」
夜が更けて、四人は王宮に戻った。明日からは再び戦いの日々が待っているが、今夜だけは平和な時間を楽しむことができた。
「今日は素晴らしい一日でした」リリアが言った。
「私もです」マイケルが同意した。「久しぶりに、心から笑えました」
ダニエルは満足そうだった。「こういう時間が、戦う理由を思い出させてくれますね」
アレイスは深く頷いた。「はい。この平和を、この絆を、必ず守り抜きます」
しかし、その夜遅く、偵察隊から不穏な報告が届いた。
「殿下、敵軍に大きな動きがあります」
「どのような?」
「西方で、これまでにない規模の軍勢が集結しています。それに...見たことのない旗印が確認されました」
アレイスの表情が曇った。束の間の平和は、終わりを告げようとしていた。
「皆さん」アレイスが現代組を見回した。「休息はここまでのようです」
ダニエルは立ち上がった。「分かりました。でも、今日という日があったから、明日への力が湧いてきます」
リリアとマイケルも頷いた。今日の経験が、彼らの絆をさらに深めていた。
新たな戦いが始まろうとしていたが、四人と一つのAIには、何にも負けない希望があった。平和な一日が与えてくれた力を胸に、彼らは再び困難に立ち向かう準備を整えた。
遠くの空に、不吉な雲が立ち込め始めていた。しかし、王宮の中には、それを吹き払う強い光が宿っていた。