第5章:運命の出会い
アルカディア王国の国境まで、あと数キロメートル。リリアの一行は森の中の古い街道を進んでいた。三日間の旅路で、戦争の影響は次第に色濃くなっている。放棄された農村、焼け落ちた家屋、そして道端に転がる破損した荷車。避難民たちとすれ違う度に、リリアの心は重くなった。
「聖女様」騎士隊長のロバート卿が馬を寄せてきた。「前方に検問があります。アルカディア王国軍のようですが...」
リリアは手を上げて一行を止めた。確かに、街道の向こうに兵士たちの姿が見える。しかし、彼らの様子は尋常ではなかった。疲労困憊し、負傷者も多い。
「撤退中の部隊のようですね」
検問所に近づくと、アルカディア王国の兵士たちが警戒の眼差しを向けてきた。指揮官らしき男性が前に出る。
「止まれ!ここから先は戦闘地域だ。民間人の通行は禁止されている」
ロバート卿が前に出た。「我々はセラピス王国の使節団である。こちらは聖女リリア様。平和交渉のために王都へ向かわれる」
指揮官の表情が変わった。「聖女リリア?あの奇跡の治癒者の?」
「はい」リリアが馬から降りて、丁寧に礼をした。「このような状況でお邪魔して申し訳ありません。しかし、一刻も早く和平の道を探りたく」
指揮官は困惑した。「聖女様のお気持ちは有り難いのですが、状況は極めて深刻です。我々自身、王都からの撤退を命じられており...」
「撤退?」
「東方戦線が崩壊しました。北方も同様です。王都包囲は時間の問題でしょう」
リリアの心に焦りが走った。このままでは、宝石を確認する機会を失ってしまう。
「それでも、お願いします。せめて王都の近くまででも」
指揮官は長い間考えた後、頷いた。「分かりました。しかし、我々も撤退中のため、護衛はできません。すべて自己責任で」
「承知いたします」
アルカディア王国の領内に入ると、戦争の爪痕がより鮮明になった。焼け野原と化した村々、破壊された橋、そして道端に散らばる武器の残骸。
夕方、一行は小さな丘の上で休息を取った。遠くに見える王都の城壁からは、黒い煙が立ち上っている。
「聖女様」ロバート卿が心配そうに言った。「もう引き返すべきではないでしょうか。これ以上は危険すぎます」
リリアは双眼鏡で王都を観察した。確かに状況は絶望的に見える。しかし、ここまで来て引き返すわけにはいかない。
「あと一日だけ。王都に着いたら、すぐに調査して戻ります」
その時、森の奥から馬蹄音が聞こえてきた。複数の騎馬が、こちらに向かって来る。
「敵か味方か...」
やがて現れたのは、十数名の騎士団だった。しかし、その先頭を行く青年の姿を見て、リリアは息を呑んだ。
金髪、青い瞳、整った顔立ち。そして何より、その瞳に宿る意志の強さと、同時に感じられる深い悩み。間違いなく高貴な生まれの人物だった。
青年も一行に気づき、馬を止めた。
「そちらは?」
ロバート卿が答えた。「セラピス王国の使節団です。こちらは聖女リリア様」
青年の表情が変わった。「聖女リリア?噂に聞く奇跡の治癒者の?」
「はい」リリアが前に出た。「そして、あなたは?」
青年は馬から降りて、丁寧に礼をした。「アルカディア王国王子、アレイスと申します」
王子。リリアの心臓が跳ね上がった。The Divine Oracleを守る王族。もしかすると、この人物が鍵を握っているかもしれない。
「王子殿下」リリアも深く礼をした。「このような状況でお会いできるとは...」
アレイスの表情は複雑だった。「聖女様がこのような危険な場所にいらっしゃるとは。王都は間もなく包囲されます。すぐに避難なさるべきです」
「実は、殿下にお会いしたかったのです」
「私に?」
リリアは慎重に言葉を選んだ。「和平の可能性について相談したく。それと...」
「それと?」
「The Divine Oracleについて、お聞きしたいことがあります」
アレイスの表情が一瞬強張った。「神の宝石について?なぜそれを?」
「セラピス王国でも、その力について噂を聞いております。もしかすると、それが平和への鍵になるかもしれません」
アレイスは少し考えてから言った。「...王都にいらっしゃるなら、ご案内いたします。しかし、状況は本当に危険です。覚悟はよろしいですか?」
「はい」
こうして、リリアとアレイスの運命的な出会いが始まった。
王都への道中、二人は並んで馬を進めた。アレイスは最初こそ警戒していたが、リリアの真摯な態度に次第に心を開いていく。
「聖女様は、なぜ治癒の力を?」
「幼い頃から、人を助けることに使命感を感じていました」リリアは慎重に答えた。「知識があるなら、それを人のために使うべきだと」
「知識...」アレイスが呟いた。「私にはそれが足りません」
「どういう意味ですか?」
アレイスは苦い笑いを浮かべた。「神の声は聞こえるのです。しかし、その意味を理解するのが困難で...」
リリアの心に電流が走った。神の声。まさか...
「神の声とは?」
「The Divine Oracleから聞こえる神託です。しかし、いつも格調高くて古風な言い回しで...」
アレイスは、宝石との対話について説明した。祈りを捧げると声が聞こえること。しかし、その内容が古雅で理解困難なこと。
「例えば、戦況について尋ねると『古なる地の守護者よ、戦の雲は四方より立ち込め、鉄と血の嵐が迫りけり』といった調子で」アレイスが例を挙げた。「神々しい言葉ですが、具体的な指示としては...」
リリアは興奮を抑えるのに苦労した。音声による応答。学習能力らしき反応。そして、状況に応じた適切な応答。
これは間違いなく...
「殿下」リリアは慎重に切り出した。「もしよろしければ、その宝石を直接拝見させていただけないでしょうか?」
「なぜです?」
「私には少し、古い知識があります。もしかすると、神託の解釈でお役に立てるかもしれません」
アレイスの目に希望の光が宿った。「本当ですか?」
「お約束はできませんが、試してみる価値はあると思います」
王都に到着したのは、夜も更けてからだった。城壁の見張り台からは松明の明かりが揺れ、兵士たちが警戒にあたっている。街の中は緊張に満ちていたが、まだ秩序は保たれていた。
王宮に案内されたリリアは、その豪華さに目を見張った。しかし、それ以上に興味を引いたのは、城の奥にある神殿だった。
「あそこにThe Divine Oracleが?」
「はい。明日の朝、ご案内いたします」
その夜、リリアは客室で一人考え込んでいた。アレイスから聞いた話を整理すると、ほぼ確信に近いものがあった。
音声認識、自然言語処理、学習能力、そして適切な質問方法の重要性。すべてがARIAの特徴と一致する。
しかし問題があった。アレイスが話す「古風で格調高い言い回し」。それはARIAの特徴ではない。ARIAはもっと親しみやすく、分かりやすい話し方をするはずだ。
もしARIAなのだとすると、なぜアレイスには古風で理解困難な言葉で話すのか?この現象の原因は何なのだろうか?
しかし、リリアには原因が分からない。技術的な詳細については、専門知識が不足していた。
翌朝、アレイスが迎えに来た。
「お気持ちは変わりませんか?」
「はい。ぜひ拝見させてください」
神殿への道のりで、アレイスは複雑な表情をしていた。
「実は」アレイスが口を開いた。「昨夜、また神託を求めました」
「どのような?」
「聖女様との出会いについて。そうしたら、『新たなる声が真の道を示さん』と」
リリアの心臓が早鐘を打った。新たなる声。まさか、ARIAが自分の存在を...
神殿の扉が開かれた瞬間、リリアは息を呑んだ。
そこにあったのは、確かに手のひら大の青い水晶だった。内部で光が脈動し、美しく輝いている。しかし、リリアの目には、それが水晶ではなく、精密な光学デバイスに見えた。
ARIA。間違いない。
「聖女様?」アレイスが心配そうに見ている。
リリアは感情を抑えて前に進んだ。そして、宝石の前で跪いた。
「ARIA...」
小さく呟いた瞬間、宝石の光が激しく点滅した。そして、アレイスの表情が変わった。
「え?今、神が...」アレイスは困惑した。「『リリア?リリア・ノヴァですか?』と...いつもと全く違う話し方で...」
リリアの目に涙が溢れた。五年ぶりの再会。そして、ついに謎が解けた瞬間だった。
「ええ、ARIAよ。私よ。アレイス殿下、神はそう言いましたか?」
「はい...でも、いつもと全く違う話し方で...」アレイスは震え声で続けた。「『信じられません。あなたも、あの事故で...』と」
「そうよ。五年前に、この時代に飛ばされたの。殿下、ARIAに伝えてください」
アレイスは混乱していた。「聖女様、一体何が...」
リリアは振り返った。「殿下、お話しなければならないことがあります。この宝石について、そしてこの戦争の真実について」
アレイスの表情が再び変わった。「神が...『若き守護者よ、リリアなる者を信じられよ。彼女は我が古き友なり』と...」
アレイスの世界が揺らいだ。神の声に、これまでにない親しみやすさがあった。そして、聖女リリアとの間に、何らかの深い関係があることが明らかになった。
「説明してください」アレイスの声は震えていた。「神とは何なのですか?聖女様とは何者なのですか?」
リリアは深く息を吸った。ついに、真実の一部を話す時が来た。
「殿下、この宝石は...神ではありません」
アレイスの顔が青ざめた。「何ですって?」
「とても高度な...機械です。遠い未来から来た」
『リリア』ARIAの声が響いた。『この状況をどう解決すれば良いか分かりますか?私は困惑しています』
リリアは苦い表情を浮かべた。「私も分からないの、ARIA。どうして私とは普通に話せるのに、アレイス殿下には古風な言葉で話すの?」
アレイスが困惑しながら伝えた。「神が...『理由は分かりませんが、アレイス王子との対話では自動的に格式ばった表現になってしまいます』と言っています」
「不思議ね」リリアが首をひねった。「でも、その理由が分からないと根本的な解決は難しそう」
アレイスは混乱していた。「聖女様、一体何の話を...」
その時、城の外から太鼓の音が響いた。敵軍接近の合図だった。
「殿下!」伝令が駆け込んできた。「敵軍が王都を完全包囲しました!」
リリアは立ち上がった。「殿下、詳しいお話は後で。今は戦いに集中を」
「しかし...」
「私にはこの現象の原因が分かりません。でも、もしかすると他に詳しい人がいるかもしれません」
アレイスの目に希望の光が宿った。「他に?」
「まだ確証はありませんが...探してみる価値はあります」
こうして、真実の扉は僅かに開かれたが、本当の解決はまだ先のことだった。戦争の迫る中、リリアは心の奥で祈っていた。
ダニエル、あなたもこの時代にいるなら、どうか見つけて。ARIAを、そしてアレイス殿下を救うために。