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第3章:崩壊する防衛線

夜明け前の薄暗がりの中、アレイス王子は馬を駆っていた。王都から東へ二十キロ。そこには、ダークモア王国軍との最前線がある。昨夜の緊急軍議で決まった視察だった。


「殿下、危険です」


後ろから追いかけてくる護衛騎士のガレス卿の声が聞こえるが、アレイスは馬の速度を緩めなかった。自分の目で戦況を確認しなければ、適切な判断はできない。それに、安全な王宮にいても神託は得られないのだ。


地平線に朝日が昇り始める頃、戦場の音が聞こえてきた。金属同士がぶつかり合う音、怒号、そして魔法が炸裂する轟音。


丘の上から見下ろした光景に、アレイスは息を呑んだ。


平原一面に広がるダークモア王国軍。黒い軍旗が風にはためき、その数は報告通り三万を超えている。重装歩兵、騎兵隊、攻城兵器。圧倒的な物量が、朝日を背負って威圧的に並んでいる。


対するアルカディア王国軍は、わずか千五百。第一魔法師団の主力だが、数の差は歴然としていた。


しかし、魔法の力は確かに強力だった。


「炎よ、敵を焼き尽くせ!」


魔法使いの一人が詠唱を上げると、巨大な火球が敵陣に向かって飛んでいく。着弾と同時に爆発し、敵兵たちが散り散りになった。


「風の刃よ、我が敵を切り裂け!」


別の魔法使いが風の魔法を放つ。目に見えない刃が空気を切り裂き、敵の攻城兵器を破壊していく。


「すごい...」


アレイスは魔法戦闘の凄まじさに圧倒された。炎が空を舞い、風が敵を薙ぎ払い、土の壁が敵の進撃を阻む。まさに神話の世界だった。


しかし、それでも数の差は埋められない。


「殿下」ガレス卿が隣に馬を寄せた。「第一師団の状況は厳しいようです」


アレイスは望遠鏡を取り出して戦場を詳しく観察した。魔法使いたちは確かに強力だが、疲労の色が見える。連続して魔法を使うことで、体力を消耗しているのだ。


一方、敵軍は物量で押してくる。魔法で前衛が倒されても、後続が次々と現れる。まるで波のように。


「あそこです」ガレス卿が指差した方向を見ると、アルカディア軍の指揮天幕があった。「師団長のマーカス将軍がおられます」


アレイスは馬を駆った。戦場の轟音が次第に大きくなり、魔法の光が目を刺す。


指揮天幕にたどり着くと、マーカス将軍が地図を前に部下たちと作戦を練っていた。五十歳を過ぎた歴戦の勇士だが、その顔には深い疲労が刻まれている。


「殿下!なぜこのような危険な場所に」


「戦況を直接確認したくて」アレイスは馬から降りた。「状況はどうですか?」


マーカス将軍は苦い表情を浮かべた。「正直に申し上げます。このままでは持って半日です」


「半日?」


「我が師団の魔法使いは百二十名。しかし、連続戦闘で既に三十名が魔力を使い果たしています。残る者も、あと数時間が限界でしょう」


アレイスは地図を見た。敵軍の配置、我が軍の陣形。どこから見ても劣勢だった。


「増援の可能性は?」


「第二師団は北方戦線で手一杯。第三師団も王都防衛で動かせません」


その時、天幕の外で大きな爆発音が響いた。


「何事だ!」


斥候が駆け込んできた。「将軍!敵が新型の攻城兵器を投入してきました!」


「新型?」


「見たことのない構造です。魔法の防壁を貫通してきます!」


マーカス将軍の顔が青ざめた。「案内しろ」


天幕の外に出ると、戦場の様相が変わっていた。敵陣から放たれる巨大な石弾が、魔法の防壁を易々と突き破っている。アルカディア軍の魔法使いたちが慌てふためいていた。


「あの攻城兵器...」アレイスは望遠鏡で敵陣を見た。「従来のものとは明らかに違う」


確かに、その攻城兵器は異質だった。木と鉄で作られた従来のものに比べ、より精密で効率的な設計。どこの国の技術なのか、見たことのない構造だった。


「将軍」副官が血相を変えて走ってきた。「左翼が突破されました!敵騎兵隊が回り込んできます!」


マーカス将軍は舌打ちした。「くそ、予想より早い」


戦場全体を見回すと、確かにアルカディア軍の陣形が崩れ始めていた。魔法使いたちの疲労、新型攻城兵器の脅威、そして圧倒的な数の差。すべてが重なって、防衛線が崩壊しつつある。


「殿下、撤退の準備を」ガレス卿が進言した。


しかし、アレイスは首を振った。「まだだ。何か方法があるはず」


「殿下?」


「神託があった。『四つの力が一つとなる時、真の道が開かれん』と」


アレイスは戦場を見渡した。炎、水、風、土。四大元素の魔法使いたちが、それぞれ個別に戦っている。もしこれらを組み合わせることができれば...


「将軍」アレイスは振り返った。「四大元素の連携攻撃は可能ですか?」


「連携攻撃?」


「炎と風、水と土。元素同士を組み合わせた魔法です」


マーカス将軍は困惑した。「理論的には可能ですが、実戦では...調整が非常に難しく...」


「やってみましょう」


「しかし殿下、失敗すれば我が軍に被害が...」


その時、また大きな爆発音が響いた。敵の新型攻城兵器が、アルカディア軍の防御拠点を次々と破壊している。


「このままでは全滅です」アレイスは決断した。「賭けてみましょう」


マーカス将軍は少し考えてから頷いた。「分かりました。しかし、誰が指揮を?連携攻撃には高度な調整が...」


「私がやります」


「殿下?しかし殿下は魔法が...」


「使えません」アレイスは苦笑した。「しかし、調整役ならできるかもしれません」


アレイスは天幕の中に戻り、地図を広げた。敵軍の配置、風向き、地形。すべてを考慮して、最適な連携攻撃の計画を立てる。


「まず炎の魔法で敵の攻城兵器を破壊。同時に風の魔法で炎を拡大」


「次に土の魔法で地面を隆起させ、敵の進路を阻害」


「最後に水の魔法で土を泥濘に変え、敵の機動力を奪う」


マーカス将軍は感心した。「見事な戦術です。しかし、実行には完璧なタイミングが...」


「やってみます」


アレイスは天幕の外に出て、魔法使いたちを集めた。疲労困憊の彼らだったが、王子の登場に希望の光が宿る。


「みなさん」アレイスは大きな声で呼びかけた。「今から連携攻撃を行います。私の合図に従ってください」


炎の魔法使い十名、風の魔法使い八名、土の魔法使い十二名、水の魔法使い六名。合計三十六名の精鋭が、アレイスの前に並んだ。


「まず炎班、敵の攻城兵器群を狙ってください。私の合図で一斉に」


アレイスは戦場を見渡した。敵の攻城兵器が次の一斉射撃の準備をしている。今がチャンスだった。


「炎班、準備!」


炎の魔法使いたちが詠唱を始める。「炎よ、我が意志に従い...」


「風班、準備!」


風の魔法使いたちも詠唱に入る。「風よ、我が命に応えて...」


「今だ!」


十の火球が同時に敵陣に向かって飛んでいく。それと同時に、風の魔法が炎を増幅させた。火球は巨大な炎の嵐となって、敵の攻城兵器群を呑み込んだ。


「成功だ!」


敵の攻城兵器が次々と炎に包まれ、爆発していく。しかし、敵軍はすぐに反撃に転じた。騎兵隊が突撃を開始する。


「土班、地面隆起!」


土の魔法使いたちが詠唱を上げると、敵騎兵隊の進路に土の壁が次々と立ち上がった。馬たちが混乱し、隊形が乱れる。


「水班、泥濘化!」


水の魔法使いたちが魔法を放つと、土の壁の周辺が泥の沼に変わった。敵騎兵隊が動けなくなる。


「やった!」


魔法使いたちから歓声が上がった。連携攻撃は見事に成功し、敵軍の攻勢が一時的に止まった。


しかし、喜びは長くは続かなかった。


「殿下!」斥候が駆け寄ってきた。「敵軍が分散配置に変更しました!それに...」


「それに?」


「敵陣の後方に、新たな軍勢が現れました。約一万の増援です!」


アレイスの表情が曇った。望遠鏡で確認すると、確かに新しい軍旗が見える。ダークモア王国の第二軍だった。


「四万を超えました」マーカス将軍が呟いた。「これは...」


連携攻撃で敵に打撃を与えたものの、根本的な数の差は解決していない。むしろ悪化していた。


「殿下」ガレス卿が進言した。「もはや撤退しかありません」


アレイスは悩んだ。ここで撤退すれば、敵軍は王都に向けて一気に進軍してくるだろう。しかし、このまま戦い続けても全滅するだけだ。


その時、天空に奇妙な影が現れた。


「あれは...」


空を見上げると、大きな風船のような物体が風に流されて飛んでいる。布でできた袋に籠が吊り下げられ、ゆっくりと戦場の上を漂っていた。


「気球?」誰かが呟いた。


しかし、アルカディア王国にそのような技術はない。ということは...


気球から、何かが投下された。それは戦場に落下すると、紙片が風に舞い散った。


一枚の紙片がアレイスの足元に落ちた。それを拾い上げて読むと、こう書かれていた。


『アルカディア王国アレイス王子へ。The Divine Oracleの真実について重要な情報がある。今夜、王都の西の森の古い祠で待つ。一人で来られたし。神の宝石に関わる者より』


アレイスの心臓が早鐘を打った。The Divine Oracle。神の宝石の本当の名前を知る者がいる。


「殿下?」マーカス将軍が心配そうに見ている。


「...撤退です」アレイスは決断した。「王都に戻ります」


「承知いたしました」


アルカディア軍は戦場から撤退を開始した。しかし、アレイスの頭の中は謎の飛行物体と、その紙片のことでいっぱいだった。


『The Divine Oracleの真実』


それは何を意味するのか。そして、あの紙片を書いたのは誰なのか。


王都への帰路、アレイスは何度もその紙片を読み返した。今夜。謎の人物との接触。それは希望なのか、それとも罠なのか。


しかし、確実に言えることが一つあった。この戦争には、まだ知らない秘密が隠されている。そして、その秘密がすべての鍵を握っているのかもしれない。


夕日が西の空に沈む頃、王都の城壁が見えてきた。しかし、アレイスの心は既に、今夜の密会のことでいっぱいだった。


城門で待機していた伝令が、アレイスの馬に駆け寄った。


「殿下!北方戦線が崩壊しました!第二師団が壊滅的な損害を受け、マールズ公国軍が王都に向けて進軍中です!」


アレイスの世界が揺らいだ。東方戦線の撤退、北方戦線の崩壊。そして西方では、カルト侯国軍がまだ健在だ。


完全に包囲される。それは、王国の終焉を意味していた。


しかし、アレイスの手の中には、まだ一枚の紙片があった。謎の希望が、そこに託されていた。


その夜、アレイスは密かに王宮を抜け出し、西の森へ向かった。古い祠は月明かりに照らされ、神秘的な雰囲気を醸し出していた。


しかし、約束の時間になっても誰も現れなかった。アレイスは一時間ほど待ったが、結局誰とも会うことはできなかった。


「やはり罠だったのか...」


失意のアレイスは王宮に戻った。その頃、神殿では別の出来事が起こっていることを、彼はまだ知らなかった。

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