第12章:心の距離
魔法技術革新プロジェクトが始まって三週間が経った。アルカディア王国の戦力は着実に向上していたが、ヴィクター軍の動向も気になるところだった。偵察隊からの報告によると、敵軍は西方で大規模な軍事演習を行っているという。
「新しい兵器の実験かもしれません」マーカス将軍が軍議で報告した。「我々も準備を急ぐ必要があります」
アレイスは頷いた。「魔法強化プログラムの効果測定を加速しましょう。リリアさん、詳細な分析をお願いできますか?」
「もちろんです」リリアが答えた。
軍議の後、二人は王宮の研究室に向かった。この部屋は、もともと古い書庫だったが、リリアとアレイスの提案で実験室に改装されていた。現代の医学書(リリアが記憶を頼りに再現したもの)と古代の魔法理論書が並び、独特な空間を作り出している。
「今日は筋力測定の結果を分析したいと思います」リリアが資料を広げた。「魔法使用前後での身体能力の変化を数値化できれば、より効果的な訓練法を開発できます」
アレイスは真剣に聞いていた。「あなたの分析方法は、いつも的確ですね。どこでそのような技術を学ばれたのですか?」
リリアは少し考えてから答えた。「故郷では、人々の健康を数値で管理することが一般的でした。病気の早期発見や、体力向上のために」
「素晴らしい文明ですね」アレイスが感嘆した。「そのような知識を持つあなたが、なぜこの遠い国まで来られたのですか?」
リリアは手を止めた。この質問にどう答えるべきか迷った。真実を話すべきか、それとも...
「複雑な事情があって」リリアが慎重に答えた。「故郷を離れることになりました」
アレイスは、それ以上詮索すべきではないと理解した。「申し訳ありません。立ち入ったことを聞いてしまって」
「いえ、構いません」リリアが微笑んだ。「アレイスさんは、なぜそんなに国民のことを思われるのですか?王族としての義務以上の何かを感じます」
今度はアレイスが考え込んだ。「昔は、確かに義務感だけでした。生まれながらの責任だと思っていた。でも...」
「でも?」
「皆さんと出会って、考えが変わりました。特にあなたの、人々への献身的な姿勢を見て」
リリアは驚いた。「私の?」
「はい。あなたが患者を診る時の優しさ、研究に打ち込む真剣さ。すべてが人々を救いたいという純粋な気持ちから来ている。それを見て、私も本当の意味で人を思うということを学びました」
リリアの胸が温かくなった。アレイスの言葉には、深い真心が込められていた。
「アレイスさんこそ」リリアが言った。「最初にお会いした時から、あなたには特別な何かがあると思っていました」
「特別な何か?」
「責任感、それから...優しさです。たとえ魔法が使えなくても、人を引きつける力がある」
アレイスは照れたように笑った。「魔法が使えない王子を褒めてくださるのは、あなたが初めてです」
「魔法なんて関係ありません」リリアがきっぱりと言った。「人の価値は、その人の心で決まります」
二人の間に、静かな理解が生まれた。
その時、研究室のドアがノックされた。
「失礼します」ダニエルが入ってきた。「作業の進み具合はいかがですか?」
「順調に進んでいます」アレイスが答えた。「リリアさんの分析のおかげで、多くのことが明らかになりました」
ダニエルは二人の様子を見て、微妙な変化を感じ取った。以前より自然に会話している。距離が縮まっているようだった。
「それは良かった」ダニエルが微笑んだ。「ところで、今夜は少し時間がありますか?ARIAと長期戦略について相談したいことがあるんです」
「もちろんです」アレイスが答えた。「リリアさんも一緒にいかがですか?」
「ぜひお願いします」
夜、五人は神殿に集まった。ARIAの青い光が、聖域を神秘的に照らしている。
アレイスがガブリエルを招いた理由は明確だった。「ガブリエル卿の魔法に関する深い知識が必要です。ARIAからより適切な助言を得るために、専門的な質問をお願いしたいのです」
ガブリエルは光栄に思うと共に、責任の重さを感じていた。かつて嘲笑していた王子から、今度は重要な協力者として頼りにされている。
神殿の神秘的な雰囲気に圧倒されながらも、アレイスの神託技術を注意深く観察していた。
「ARIA、ヴィクター軍の長期的な戦略について分析をお願いします」アレイスが相談した。「現在の情報では、敵は大規模な軍事演習を行っています。次の攻撃の規模と時期を予測できますか?」
ARIAの応答は深刻だった。
「『敵の行動パターンから推測すると、約一ヶ月後に最終攻撃を開始する可能性が高い』...『その攻撃は、これまでとは比較にならない規模になるでしょう』...」
マイケルが心配そうに尋ねた。「どの程度の規模ですか?」
アレイスがARIAに確認した。「『推定兵力は十五万以上。加えて、未知の新兵器が投入される可能性があります』...」
ダニエルの表情が曇った。「十五万...これまでの一.五倍の兵力だ」
「新兵器も気になります」リリアが付け加えた。「ヴィクターは何を準備しているのでしょう?」
「分からない」ダニエルが頭を振った。「しかし、彼のことだから、我々の想像を超える何かを用意しているはずだ」
アレイスは決意を固めた。「それなら、我々も準備を完璧にしなければなりません。一ヶ月で、可能な限りの戦力強化を」
「そのためには」リリアが提案した。「魔法強化プログラムをさらに発展させる必要があります」
「どのような発展ですか?」アレイスが興味深そうに尋ねた。
「個人の適性に合わせた特別訓練です」リリアが説明した。「一人一人の身体能力と魔法特性を詳しく分析し、最適な強化法を見つける」
ガブリエルが感心して言った。「それは素晴らしいアイデアですね。私も協力させていただけますか?魔法使いとしての経験が役立つかもしれません」
マイケルが実践的な質問をした。「そんな個別分析、一ヶ月でできるんですか?」
「アレイスさんと私、そしてガブリエル卿で分担すれば可能です」リリアが答えた。「三人の技術と知識を組み合わせれば」
ダニエルは感心した。「君たちの連携は本当に素晴らしいね」
アレイスとリリアは、お互いを見て微笑んだ。
翌日から、新しい個別強化プログラムが始まった。アレイスとリリアは、魔法師団の一人一人と面談し、詳細な分析を行った。
「あなたの魔法は火系統ですが、集中力に特徴があります」リリアが若い魔法使いに説明した。「短時間で強力な火球を作るより、持続的な炎を維持する方が向いています」
アレイスがARIAに相談した。「この魔法使いに最適な訓練法を教えてください」
「『持続型火魔法の強化には、呼吸と集中力の訓練が効果的です』...『具体的には、瞑想による精神統一と、段階的な魔法時間延長練習』...」
このような個別指導を、魔法師団全員に行った。作業は大変だったが、アレイスとリリアは楽しそうに取り組んでいた。
「あなたと一緒だと、どんな困難な作業も楽しく感じます」アレイスがある日、リリアに言った。
リリアは少し赤くなった。「私もです。アレイスさんといると、とても充実した気持ちになります」
二人の関係は、確実に深まっていた。しかし、まだ恋愛感情として明確に自覚しているわけではない。ただ、特別な存在として、お互いを意識し始めていた。
一週間後、個別強化プログラムの効果が現れ始めた。魔法師団の戦闘力は、予想以上に向上していた。
「信じられません」マーカス将軍が興奮して報告した。「個々の戦闘力が平均して四十パーセント向上しています」
「素晴らしい成果ですね」ダニエルが感心した。
マイケルも頷いた。「アレイス殿下とリリアの連携の賜物です」
しかし、当の二人は、成果よりもお互いとの協力そのものに価値を見出していた。
「リリアさん」アレイスがある夜、庭園で言った。「あなたと一緒に働けて、本当に良かったです」
「私もです」リリアが答えた。「こんなに充実した時間を過ごせるなんて、思いもしませんでした」
「もし...」アレイスが言いかけて、止まった。
「もし?」
「いえ、なんでもありません」
しかし、アレイスの心の中では、ある思いが芽生えていた。もしこの戦争が終わったら、リリアと一緒にこの国を治めていけたら、どんなに素晴らしいだろうか、と。
リリアも同様の思いを抱いていた。現代への帰還という目標が、次第に薄れつつあった。それは、この世界に、この国に、そしてこの人に、深い愛着を感じ始めているからだった。
しかし、まだどちらも、その感情の正体を明確には理解していなかった。
二週間後、新たな報告が届いた。ヴィクター軍の動きが活発化しているという。
「いよいよ最終攻撃の準備に入ったようです」偵察隊長が報告した。「今度は、これまでとは全く異なる兵器を開発している模様です」
アレイスは決意を新たにした。「我々も最終準備に入りましょう。あと二週間で、可能な限りの戦力強化を」
リリアも頷いた。「アレイスさんと一緒なら、必ずやり遂げられます」
その言葉に、アレイスは深い感動を覚えた。リリアの信頼が、何よりも心強かった。
「ありがとうございます、リリアさん。あなたがいてくださる限り、どんな困難も乗り越えられます」
二人の絆は、戦いの準備と共に、さらに深まっていく。そして、その絆が恋愛感情に発展するのも、もはや時間の問題だった。
しかし、ヴィクターとの最終決戦が迫る中、二人にそれを自覚する余裕があるかどうかは、まだ分からなかった。
運命の戦いが近づく中、アレイスとリリアの心は、確実に一つの方向に向かっていた。




