7 無理難題
暴力、暴言、横暴。
この屋敷で使用人たちを最も酷く扱うのは、同じ雇われの身である執事だった。では、執事の行った虐待とも言える行為を原則不問とする旦那様の責任はどうなるのだろうか?答えの出ない疑問を、少年は心の中にしまい込む。
貴族ではないが、地元の名家の出身で、まともな教育を受け、執事まで上り詰めたその初老の男は、旦那様の前では礼儀作法が完璧な紳士そのもの。しかし、使用人たちの前では全くの別人に変わる。些細なことで癇癪を起こし、気に食わなければ殴ったり蹴ったりする。
領地の経済状況が悪化してから、旦那様から使用人の管理を一任された執事は、すぐに暴君のように振る舞い始めた。使用人の食事が質素になったのも、その食材費を執事が横領しているという噂があるほどだ。
「昔は普通の人だったのに」
少年よりも長く屋敷に勤めている使用人のひとりが、ふと漏らすように嘆いた。昔というのは、もちろん、領地が豊かだった頃のこと。使用人たちとは違って、執事の待遇はさほど変わっていないはずだ。
腐ったパンを食べて飢えをしのぐ必要もなかっただろうに、なぜ?果たして普通の人間はそう簡単に、そう楽しそうに、他人を痛めつけることができるのだろうか。
何もかも、不思議で仕方がなかった。
執事の暴力を受け、頭を打って死んだ使用人も一人いた。だが、執事が旦那様からその件で罰を受けた形跡はなく、その後も暴力をやめることはなかった。さすがに、旦那様の所有物を「壊した」となると、やりすぎかもしれないと思ったのか、暴力をやめずとも、蹴っても死にはしない、ただ死ぬほど痛い場所を狙うようになった。
その中で、執事は特に新人を苛むことを好むらしい。
「また腫れちゃったよ」と、エリーもよく平手打ちされていた。井戸の水で腫れ上がった頬を冷やそうとしていた少女の姿を思い出す。
恐怖に慣れていない新人が、いつも格好の餌食になる。予想通り、エドリックはすぐに標的になった。
「今日中に終わらないと飯抜きだ」
昨日のエドリックの初仕事は、屋敷中の厠掃除だった。便器を真っ白に磨き、タイルとタイルの隙間まですべてきれいにするという執事の過剰な要求を、かろうじて満たし終えたのは深夜近く。
井戸の水を汲んで、少年はエドリックの身体と服をできるだけきれいに洗い流してあげてた。その間に、「ほら、食べろ」と取っておいた食事をエドリックに渡した。
食事と言ってもそれほど大層な代物ではない。ただ、支給された固くなったパンで野菜や燻製肉の切れ端を挟んだ、サンドイッチもどきのようなもの。エドリックは凄まじい速度で無心にそれを平らげて、まるで気絶したように眠りに落ちた。
そして今日は、エドリックは朝からどぶさらいを命じられていた。もちろん、すべてエドリック一人でやるようにと命じられて。
夕方、中庭の噴水掃除を終えて屋敷へ戻る途中、少年は裏側にある使用人用の入口の前で、全身泥まみれのエドリックを発見した。無垢さが残る幼い顔が、日に日に汚れて、やつれていく。
「どれくらい時間かかる気だ、このクソたれが。」
隣には執事が立ち、自分の鼻を手で覆いながら、エドリックを罵倒していた。クソたれ、穀潰し、馬鹿野郎、阿呆。執事の罵倒の語彙は割と貧弱なので、少年には慣れたものだが、エドリックにはまだ酷すぎたようだ。
「まったく、汚いガキだな。臭すぎて反吐が出る」
エドリックは涙目になって俯いている。
「みんなが屋敷のために血の汗を流して頑張ってるんだぞ。お前は?それっぽっちの簡単な仕事で悲鳴をあげるのか?恥知らずめ」
その姿がさらに嗜虐心を煽ったのか、執事はさらに声を上げた。
「そうだ、お前には訓練と覚悟が足りないな。その舐めた態度を鍛え上げるために、私がとびっきりのメニューを考えてあげよう。」
執事は壁際にあった空の麻袋をエドリックに投げつけた。袋がエドリックの胸に当たると、軽い音がした。
「奥様は明日の朝食に焼いた栗をご所望だ。屋敷の裏の森に行って、朝食の準備が始まるまでにこの袋いっぱいの栗を拾ってこい」と、執事は冷淡に言い放った。
一部始終を聞いていた少年は、驚いて目を見開いた。確かに、今はギリギリ栗が拾える時期かもしれない。だが、肝心な屋敷の裏の森にはほとんど栗の木がない。
じゃがいも用の大きな袋を栗でいっぱいにするには、二三日かけても難しいだろう。
いや、最初から達成するのが無理だとわかった上で出された課題なのだ。奥様が栗を召し上がりたいというのも、おそらく嘘だろう。エドリックを苦しめ、追い詰めるためだけの指示なのだ。少年は悟った。
「失敗なんてして奥様をがっかりさせたら承知しないぞ。」
執事は最初から、失敗した後の懲罰を楽しむつもりで、この指示を出したのだ。しかし、屋敷に入ったばかりのエドリックには、それがどれほど無理難題なのか知る由もない。
「さあ、早く行ってこい。早ければ1時間で終わるだろうから、さっさと行け。おい、お前も、そこで突っ立ってないで入るならさっさと入れ」と、執事は冷ややかに声をかけた。
「あ、はい。」驚いて返事をし、慌てて動き出した。
屋敷に入るためには、エドリックの隣を通らなければならない。幼い男の子は、ただ渡された麻の袋をじっと見つめている。
不安や困惑に思うほどの余裕すらない。ただ、どれぐらい拾えばいいだろうとしか考えられない。小さな体は、昼間の重労働の過酷さのせいで、すでに弱々しく見えた。麻の袋を見つめるその瞳は、ただ茫然としている。その姿が、心のどこかを鋭く刺激した。
エリーの腫れあがった頬や、何かの暴力でできたあざを見るたびに湧き上がるものが急激に膨れ上がったように、名前のしれない衝動が胸の奥にざわめく。
扉を開けようとする動きが止まってしまう。心臓がどくどくと鼓動をする。それを一気に吐きたそうと、頭より先に身体が動いた。
「ぼ、ぼくが行きます!」
エドリックから麻袋を奪い、少年はこれまで出したことのない大声で叫んだ。
空気が一瞬凍りついた。少年を含め、誰一人何起こったか理解していない。
おい、何をしているんだ。心臓が激しく鼓動する。動悸が止まらない。不可能だと分かっているだろう?
「お前が?代わりに?」
予想外の展開に、執事は珍しく動揺していた。
「はい、僕が行きます。朝までに袋いっぱいの栗を拾ってきますので、もしできなかったら同じように罰を受けます。それでいいですね?」
自分の意識とは裏腹に、口が勝手にぺらぺらと喋りだした。
「あ、うん。」
圧倒されたのか、困惑していたのか、いじめる対象がいれば誰でもいいのか、執事は特に反対しなかった。
「では、しっかりするように。」
少年のことを不思議そうにじろじろと見て、執事は扉を開けて屋敷の中に入っていった。
「…いよいよ頭がおかしくなったか」
執事が呟いた。その通りだ、僕はどうかしている
周りは静まり返った。
僕は、今、何をしているんだ?麻袋をギュッと握りしめ、自分の行動に驚愕していた。手は震え、冷や汗が背中を伝う。
「あ、あの。な、なんで?」
エドリックは、一連の出来事を理解しきれないようなに、目をさらに大きく日開いた。
「僕も知りたいよ。」少年は肩をすくめた。
「水場で体を洗ってこい。すぐに戻るから」
もう、後戻りはできないな
空を見上げると、夕日は完全に沈み、夜の闇が静かに広がっていく。何か言おうとするエドリックを背に、少年は麻袋をしっかりと右手に握りしめ、重い足を引きずるように森へと向かった。
屋敷に終盤に入りました!早く甘やかしたいのですが、遅筆ですまぬ...!!
ファンタジーものなので、ありがちな設定で遅いかもですが、よければいいねやブクマお願いします!




