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14 声

 沼のようなずっしりとした闇に沈んでいた。


 巨塔のように聳え立つ焼却炉は扉が開け放たれ、猛炎が凄まじい熱気とともに暴れる野獣のように舞い狂っている。扉のすぐ前に、エリーとエドリックが隣り合わせて横たわっている。二人とも目を瞑っているが、胸が上下していて息があるようだ。苦しそうに眉間に皺を寄せているが、逃げる気力が残っていないようだ。


「もういらない。捨てなさい」


 と後ろから、誰かの声がした。冷たくて、機械のような声で、誰の声かはわからなかった。


 それはできない。二人を助けないと。そうだ、隠れ家に二人を連れて行って、ブナイルさんに診てもらおう。


 そう思っているのに、身体は言うことを聞かない。


 操り人形のように、自分の手はエリーとエドリックを軽々と持ち上げた。


 ふたりを、炉の中に放り出そうとしているのが分かる。


 いやだ。


 夢だってわかっている。だって、エリーもエドリックも遠い遠い所へ行ってしまった。二人を触れることは二度とできないのだ。


 いやだ。


 夢でもそれをするのも見るのもいやだった。なのに、見たくないのに、目が閉じられない。腕の中に、エリーとエドリックのぬくもりが感じられる。


「かしこまりました」


 口が勝手に動き出す。自分の声なのに、ひどく尖ったような不気味な声になっている。


 ゆっくりとエリーとエドリックを焼却炉の中へ持っていこうとする。心が必死に抵抗しているせいか、その動きが異常なほど遅く感じるものの、それでも確実に一歩一歩と進む。


「いやだ。したくない」


 声をはっきりと出した。その言葉は、寝ている生身の自分の喉から発しているのが分かる。もうすぐ目が覚めるのか。それに安堵しているものの、目が覚める前にこの恐ろしい行動が完遂してしまいそうで、夢だとしても耐えられそうにない。


「誰か…」


 頬を伝う涙の暖かさを肌で感じる。しかし、同時に夢も少しずつ進行してしまう。エリーとエドリックは、炎に触れ始めて、服に火が移って燃え始めた。


「誰か…」


 もう一度つぶやいた瞬間に、目の前の闇は花の香りに包まれていた。


 焼却炉の扉が何かに閉められた。エリーとエドリックは無事だった。よかった。ただそれしか考えられえない。


 暖かい腕が後ろから自分を抱きしめてくれた。夜明は、一瞬に誰の腕であるかを悟った。


「もう、大丈夫だ。かわいい子よ。」


 花びらのように柔らかくて、蜜のように甘くて優しい声だ。泣きたくなるほど深い慈しみが声に含まれている気がする。しかし、それが本当であればすごく不思議なことである。


「え…話せるの?」


 思わず疑問に思ったことを口に出した瞬間、身体を覆いかぶさる重い闇が少しずつ消えていく。その代わりに、五感が少しずつはっきりしていく。


 柔らかい寝床、ちょうどいい室温、花のいい香り、薪がパラパラと燃える音、そして最後には、ろうそくの優しい明かり。


 夜明は自分の部屋で目を覚ました。お風呂に入った後、樹妖(ドライアド)に案内された一室だ。もっと見学をしたいと抗っていたが、少しでも休んでほしいという樹妖(ドライアド)に半ば強引に連れていかれた。「諦めなさい。こういう時は絶対負ける」と笑っていたフリッツたちと、夕食のときにまた会おうという約束を交わして別れていた。


 大部屋しか経験したことがない夜明にとって、自分の部屋があること自体が感動だった。ネリーの部屋と内装が似ている、さまざまな家具がそろった快適な一人部屋だ。きれいな寝具に、タンスいっぱいのお洋服に、しばらく感動していたら、少し横になりなさいと言わんばかりな樹妖(ドライアド)に寝かしつけられた。


 興奮が収まっていたので、絶対寝られないと思っていたのに、樹妖(ドライアド)の腕の中で優しく髪の毛を撫でられると、すぐに寝てしまったようだ。そして、せっかくの新しい部屋で見た夢は、怖いものだった。


 細い指が自分の涙をぬぐってくれた。


「僕、泣いてたのか…」


 夜明は身体を起こすと、樹妖(ドライアド)がすぐさま髪の毛を手櫛で整えてくれた。胸がまだ少しドキドキしているが、ほんのりと奥底に温かく照らされたものもある気がする。


「…夢の中で、話しかけてくれた?」


 夢の中の声を思い返した。花の香りに、女性の声。ただ、今まで樹妖(ドライアド)の声を聴いたことがなかった。そう聞かれた樹妖(ドライアド)は、認めることも否定することもなく、ただにこやかに夜明を見ている。


「…夢の中に来てくれてありがとう。」


 前半はただの悪夢ならば、夢の終わりに聞いた声は何だったのかはわからない。しかし、樹妖(ドライアド)のおかげで、恐ろしい光景を見ずに済んだに違いない。夜明は、感謝の気持ちを込めて樹妖(ドライアド)の手を握ると、うれしそうに笑ってくれた。


 樹妖(ドライアド)からもらった冷たいお水をごくごくと飲み、乾いた喉を潤したら、誰かが扉を叩いた。


 樹妖(ドライアド)と一緒に扉を開けると、真っ先に燃えるような赤い髪が目に入った。ネリーとイェルムだった。


「ネリーにイェルム。」


「起こしていたらごめんなさい。院長に様子を見に来るように言われて。さらわれたって聞いたんだけど大丈夫だった??」


 ネリーは夜明の顔を両手で包み、心配そうに顔を覗き込んでいる。


「大丈夫だったよ、悪い魔物ではなかったんだ!」


「本当…?強がらなくてもいいよ。」


「本当に大丈夫だって!僕、かすり傷ひとつもついてないのに、すごく心配されてたんだよね」


「そりゃ、なかなかない大事件だったよ。ここ、何よりも子供のこと考えているから」


 ネリーは依然として眉間に皺を寄せている。


「それはすごく伝わってるよ。でも、本当に大丈夫だった。ちょっとだけ家に招待してもらったみたいなもんだよ。」


 最初は無論不安はあったものの、いろいろ知った上でなんなら、蛇女(シェニュイ)がもっと元気になれば、また会いに行きたいと思えるほどの夜明だった。


「…あんた、見た目より肝が据わってるんだな」


 ネリーは呆れたようにため息をついた。


「そう?」


 夜明は笑っていた。


「お腹空いたか?」イェルムは口を開いた。「そろそろ晩飯の時間だけど、一緒に食堂行くか。一人でいたいなら、樹妖(ドライアド)に晩ごはん持ってきてもらうけど。」


「食堂行きたい!みんなと食べたい!」


 それを聞くと、ネリーは安心したように溜息をついて、イェルムは自分の左胸に手を当てて、「かわいい」と大げさに苦しそうに言った。


「じゃ、一緒に行こう。服はこのままで大丈夫よ。」


 当たり前のように、ネリーは夜明の手を握った。小さくてしなやかな手だけど、とても暖かくて心地が良い。


「ネリー、俺の手は繋いでくれないのか」


「うるさい、自分の右手と左手でも握っといて」


 気心の許した同士ならではの溌剌さでイェルムと言い合いしながら、三人は三階にある夜明の部屋から、一階の食堂へ向かって歩き出した。


 その間、夜明は二人に蛇女(シェニュイ)のことを詳しく話した。ネリーは時折大きい青い目を大きく見開いたりするが、イェルムは顔色ひとつ変わらずに静かに聞いていた。


「…そういうことだったのね。」


 ネリーは大きく息を吐いた。


「害意はないといえ、何事もなくて幸運だったね」


「僕を自分の子供だと思っただけだから、傷つけるつもりはないと思うよ」


「『ご飯だよ』と言って、生きたねずみを持ってきて飲み込めって言われたら?」


 イェルムは蛇の真似をするように口を大きく開いた。その滑稽な表情に思わず笑いたくなるが、よくよく考えればイェルムの言った通りではある。


 害意がないので【おまじない】は発動しなかった。では、害意がないものの、実際に行った行為が危険だとしたら?


 親心ゆえ、子供に食べさせなきゃいけないとの心配で、口を無理やり開けられ、喉に暴れるネズミを突っ込まれる光景を想像すると、夜明はゾッとした。


「…まあ、院長がいる限り、万が一もないけどな」


「ブナイルさん、来るのが早かった。なぜそんなに早く僕の居場所がわかったんだろう」


「なんでだろうね。親父の【魔法】は別格だから、説明できないようなことをしたんだと思う。この樹海の中では特に力が強いみたいだから、樹海の中に暮らしているのに今まで怪我したりする子供がいなかったって」


 確かに、不思議な人だった。夜明は思い返す。優しさと頼もしさ、多く語らないが子供への愛情がはっきりと伝わる。出会ったばかりなのにすぐに信頼できる人と感じていた。


 一方で、ブナイルという人間を構成する要素として、今まで出会った人とは全くと言っていいほど違うものを感じられる。いにしえで神秘的で、喩えるとこの樹海に似ている何か奥が深いものが感じられる。


 ほかの子供もそれを感じているはずだが、言語化するのは難しいようだ。そんな人の子供になるんだと、不思議な感覚に陥る。


「イェルム、夜明を困らせてないか」


 噂をすれば、一階の階段の踊り場で三人は待っていたように立っているのはブナイルだった。いつのまにか夜明に絡みつくように抱きつきながら階段を降りるイェルムを見て苦笑いをした。


「ただの触れ合い(スキンシップ)だよ、親父」


「大丈夫です!困ってないんです」


「夜明は優しいからますますイェルムが甘やかされる」同じ歳なのに、まるで長女になったようにネリーは嘆く。


「俺も夜明を甘やかすから問題ない」


 イェルムは夜明の髪の毛をわしゃわしゃと撫でる。


「問題ないかどうかを決めるのは夜明のほうよ」


「あら、ネリーちゃん。俺にも甘やかされたいから焼きもちを焼いてるのかな?」


「イェルムに焼きもち焼くほど私は暇じゃない」


 ネリーとイェルムの口論が始まると、ブナイルは夜明に近くまで来るように手招いた。


「体調はどうだ。」


「はい、仮眠ができたので問題がない」


 悪夢の後味の悪さは、樹妖(ドライアド)とネリーとイェルムに、いつの間にか全部追い払われたかのように、夜明は清々しい気持ちになった。


「疲れたりしない?」


「はい、みんなとご飯を食べるのが楽しみです!」


「…そうか。」ブナイルは少しほっとしたように見える。


「実は、君に会いたい方がいてね、疲れてなければ今から紹介したい」


「はい、ぜひ!」


 フリッツたちの話を思い出すと、隠れ家のなかでまだ会っていない人と言えば、【図書館】にいる【教授】と【道場】にいる方なのか?その二人に会わせてくれるのかと夜明は憶測をする。


「そうか、では食堂へ。その方はそこで君を待っているゆえ。」


 会わせる相手は誰か、意外にもブナイルは言わなかった。何となくネリーとイェルムのほうを振り向くと、二人ともなぜか笑顔をこらえているようで、唇や肩を震わせている。


「どうしたの、ネリーとイェルム」


「ううん、なんでもない。」


「ネリーが変なことを言っていただけ。さあ、食堂に行こう」




読んでいただきありがとうございます!

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