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12 ひといき

 夜明にとって、暖かい風呂は馴染みのないものだった。


 孤児院でも貴族の屋敷でも、お湯を沸かす薪がもったいないと、真冬でも冷たい井戸水で水浴びをするしかなかった。それでも身体についた汗や汚れを最低限落とすため、身体が凍えそうになってもやむを得ず行わなければならなかった。


 ルシアンのおかげで、貴族の屋敷から出たあとすぐに人間らしい暮らしができるようになった。暖かいご飯に柔らかい寝床、ありがたいことに毎日お風呂にも入れた。馬車宿に泊まった最初の夜は、たっぷりのお湯が使えることに感動して、湯が冷めるまで一時間以上も湯浴びをしたのだ。


 子供たちのことをいつだって最優先に考えてくれている隠れ家の大浴場に、夜明は期待に胸を膨らませた。


 案内されたのは居住部の一階の一室だった。普通の部屋よりも幅のある扉をくぐると、中はさらに二枚ののれんで二部屋に分けられていた。


 白地に可愛らしい黒犬の絵が描かれているものと、白地に凛々しい黒馬が描かれているものだ。


「ややこしいけど、格好いい馬の方は女の子の風呂で、犬の方は俺らの!」フリッツが説明してくれた。


「可愛い絵…でもなんで馬と犬?」


「柄を男の子は男の子で、女の子は女の子でくじ引きで決めるんだ。今年は俺の案が当たったから犬になったんだよ。」フリッツは嬉しそうに笑って、弟の一人を指さす。「去年はカルグだったから、一年中トカゲの絵だったよ。」


 少し困った表情をしているので、おそらく弟ほど爬虫類には愛着が湧かないようだ。


「そうなんだ…そういえばまだネリー以外の女の子に逢えてない。」


「就学前の子達を除くとあと2人のお姉さんがいるけど、どっちも遊学中と職業体験中だからしばらく逢えないな…あ、こんにちは。」


 女の子の浴室から出てきたのはまだ会ったことがない樹妖(ドライアド)だ。様々な掃除道具を手に持ち、均整のとれた手足に苔のような柔らかそうな植物が生えている。その樹妖(ドライアド)もやはり少年たち、特に初対面の夜明を見ると嬉しそうに笑った。


「このお姉さんね、お風呂担当してくれている。風呂をきれいにしてくれたり、お湯を沸かしてくれたりする。いつもいるからお願いしたら好きな時間にお風呂入れるよ。今は入って大丈夫か?」


 樹妖(ドライアド)は微笑んで頷いてくれたので、黒犬ののれんをくぐった。その先にあるのはまだ浴室ではなく服を脱ぐ部屋のようだった。藤編みのかごが人数分に用意されて、脱いだ服を入れると洗濯してもらえるとのことだ。フリッツにあれこれと教えてもらいながら、至福の湯浴みの時間を過ごした。


 あと数倍の人がいても余裕に入れる広い湯船は、肩まで浸かるし足もゆっくり伸ばせる。湯船の中には、花と薬草が数種類入っている布の袋が入れてあって、淡い緑色に染まった湯はほっとするいい香りが漂う。子供たちの体調を見て、樹妖(ドライアド)が毎日違う効能の配合を用意してくれるとのこと。


 お風呂から上がると、身体を拭くためのふわふわの厚手の浴巾(バスタオル)と綺麗な着替えがいつの間にか用意されていた。それだけでなく、どこから持ってきたかわからない大きい氷の塊が着替え部屋の中心に置かれていて、風呂上がりの汗ばむ身体に程よい涼しさをもたらしてくれた。その横に、氷が浮かんでいる大きい牛乳の瓶と、人数分の入れ物が用意されてあった。


「あー風呂上がりの牛乳、最高…」


 イェルムはごくごくと一気に飲み干し、大きく息を吐いた。血行が良くなった頬は薔薇色になっている。


「美味しい…」孤児院を出てから口にしたことのないまろやかで濃厚な味に、夜明は思わずため息をついた。


「夜明、おいで」


 ふとフリッツに呼ばれたので、その隣に腰をかけると、フリッツは一枚の浴巾を取り出した。


「熱くなったら教えて」


 その後、フリッツは夜明が聞いたこともない言葉をささやいた。


「《ルェーフェーン》…」


「???」


 特段熱くなったりしないので、夜明だけでなくフリッツも戸惑って首を傾げ、少し言い方を変えた。


「あれ?《ルェィーーーフェーン》」


「兄ちゃん、『ルェ』じゃなくて『レェ』」


 身体を拭いているカルグが隣から口を開いた。またしても聞いたことのない外国語のような響きである。短い言葉だが、発音が難しそうで、一回二回聞くだけで到底真似できそうにない。


「ああ、そうだった。俺、舌を巻くのが苦手なんだよね」フリッツは照れくさそうに頭を掻いて、咳払いをして再挑戦した。


「《レェーフェーン》」


 その直後、フリッツの手のひらから光の玉が現れた。蛍のように宙に浮かんで、その中心から温かい風がふわっと出てきた。


「おお、成功した!」フリッツは自分でも驚いたようだ。光の玉はフリッツの手を回ってゆるりと飛んでいる。


「フリッツ、魔法できるの?」


 夜明は目を大きく見開いた。どういう仕組みか、光の玉から出た暖かい風が濡れた髪の毛の水気を飛ばしてくれている。


「簡単なのしかできないよ。これなんてただの『あたたかい風を出して』って。髪の毛乾かすぐらいしか使い道ないけどな」


 フリッツは快活に笑った。夜明の髪の毛を手ぐしで梳かしながら熱風を当てていく。


「いや、充分すごいと思うよ。僕、ちゃんとした魔法学校を出ないと学べないものだと思っていた。」


 魔法といえば、貴族を守るための結界や護衛に使うものが真っ先に思いつく。しかるべき学校で堅苦しい勉強をしてやっと一つや二つを身につけるというのが夜明にとっての常識だった。そもそも、髪の毛を乾かすための魔法なんて聞いたことすらなかった。


「夜明もすぐ覚えられるよ!魔法って奥深いし、俺は才能があまりないからいまだにこれぐらいしかできないけど、シンなんかもう一人前の魔法使いに遜色ないんだって。もちろん魔法以外のことも教えてくれるさ。」


 頭をなでるように髪を乾かしてくれているフリッツの指は自分と似ている。ゴツゴツとして厚い。長年の重労働を物語る手だ。おおらかな性格の割に、丁寧な手つきで乾かしてくれている。


「古代語と…剣、魔法、音楽とか?」夜明はいままで得た情報を整理する。


「そうそう。でもそれだけじゃない。何でも!」


「何でも?」


「そう」


 イェルムも同じやり方で自分の髪の毛を乾かしながら大きく頷く。濡れた銀色の髪は、絹糸のような光沢を放つ。


「歩みたい人生を歩み、なりたい人になって欲しい、そのために支えていく、って親父に言われた。」


「歩みたい人生…なりたい人…」


 夜明は繰り返した。口に出してみたところで、何も思い浮かばない。『何でも』という無限の可能性を裏返すと、目的地がないままさまようような不確定さを感じてしまう。


「何かあるのか、夜明?」


 そう聞かれたので、夜明は俯いて首を横に振るしかなかった。


「おれもないよ」


 意外だったが、自分より先に隠れ家にいるフリッツでも同じよう気持ちがあることに少し安心した。


「フリッツも?」


「うーん、ないよな。色々やってみたいことはあるけど、どれもいまいちしっくり来ないというか。まあ、ゆっくり考えていこうかな。」


「兄ちゃんは少し呑気すぎた」カルノはため息をついた。


 風呂上がりの身体の火照りが収まらないのか、カルノもカルグも下半身に浴巾一枚だけで、大きい氷の近くに腰をかけている。湯船に浸かる時では湯気できちんと見えなかったが、腕の傷跡と同じように、カルノとカルグの精悍で引き締まった身体には傷跡だらけだった。切る、刺す、えぐる…どんなもので傷つけられたのか想像もつかない跡が痛々しく残っていた。


「…すまない、気味が悪いか。」


 カルノが申し訳なさそうに言うと、夜明は慌てて否定した。


「ううん!こちらこそごめんなさい、つい、見てしまった…」


「見て当然だ。イェルムなんてもっと露骨に見ていた」カルグが冗談めいて笑った。片割れと比べて、笑顔が少しばかり多い。


「そりゃ…見ちゃうわな?」イェルムはバツが悪そうに顔を赤らめた。「俺を含めてここに来る子はまあ色々あったわけだけど、ここまで酷い怪我は無かった。」


 夜明もしょっちゅう蹴られたりしていたが、あざができることはあっても、皮膚が破れたり大出血したような怪我は一度も経験したことがない。


「…もう、痛まない?」


 どの傷跡も色がかなりくすんでいるし、ここではきちんと治療が受けられるに違いないけれども、あまりの凄まじさに夜明は心配してしまう。


「大丈夫だ」「ありがとう」


 優しい声で返事をされて少し安心したものの、なぜそのような怪我を二人ともしたのかを想像する夜明の心境を察したかのように、フリッツは口を開いた。


「…隠すことでもないけど、俺ら兄弟、いわゆる戦争孤児ってさ。」


 夜明の髪の毛を整えながら、フリッツは静かに語り出した。それは、そう遠くない昔に平凡な家庭に降りかかった悲劇の話だった。



読んでいただきありがとうございます!

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