9 見送り
「そろそろいい時間だな」とフリッツがぽつりと呟いたので、夜明が聞き返した。
「何か始まるの?」
イェルムはなぜか同時にフリッツの後頭部を叩き、ニコッと笑った。「ううん、気にしないで。それより、中庭がなんだか騒がしいよ」
イェルムの言葉に従って、昨日ブナイルと初めて会った入口側を見ると、ざわついている様子が見て取れた。裏庭から廊下を渡ると、目の前には黒い毛玉が溢れていた。
「あ、グーがいる!」
夜明は顔を輝かせた。威厳ある巨体の黒牛を中心に、二十匹ほどの艶やかな漆黒の毛並みを持つ子猫たちがじゃれ合っている。頭や背中に乗ったり、揺れる尻尾を猫じゃらしとして遊んでいる子もいる。少年たちに気づいたオーヴィが首を上げ、挨拶するような、兄弟たちに知らせるようにはっきりとした声で鳴いた。
「!!!」
その鳴き声が合図となり、グーたちは各々の姿を変え、少年たちに飛びついた。
フリッツの傍には、顔を隠すほどの毛むくじゃらの大型犬が飛び跳ねており、「わかった、わかった」と笑いながら避けるフリッツに力強く抱きついた。
数匹の黒猫に擦り付けられているカルノは地面に座り込み、優しい手つきで猫たちを撫でていた。どれも成猫で、すらりとした優美な体つきをしている。
爬虫類が好きなガルクのほうを見ると、夜明は思わずビクッとした。首に蛇を巻き付け、肩にはトカゲ、両手に大きな亀を抱えている。一見少し異様な光景だが、本人は珍しくにこにことして嬉しそうである。
イェルムだけは子羊、子鹿、子うさぎ、子豚といった異なる種類の動物たちに囲まれ、穏やかな笑みを浮かべながらそれらを撫でる姿は、貴族のような気高さを感じさせた。
「クーン」
「あ、さっきの子だ」
夜明の前に、先ほどネリーの部屋で会った、片耳だけ先端が折れている子犬が尻尾を振りながら近づいてきた。その後ろにも、毛が長かったり短かったり、それぞれ少しだけ外見が違う子犬たちも夜明に向かって走ってきた。
「おいで!」
しゃがんで両手を広げると、子犬たちが一気に懐に飛び込んできた。暖かくてふわふわな身体からは、太陽の匂いが漂っている。
「幸せ…」
誰ともなくため息をつくと、他の人たちも力強く頷いた。
「オーヴィ、久しぶりだな。もう帰るところか?」
大型犬の体当たりを避けながら、フリッツは黒毛の牛の立派な頭をわしゃわしゃと撫でた。
「もう帰る時間か…」オーヴィの背中には既に二輪の荷車が固定されている。空の荷車かと思ったら、いくつかの木箱が載せられている。蓋は閉じられているが、ほのかに果実の香りが漂っていた。
「ジュードさんに何か手土産でも持っていくのかな?」
「お店の商品に、樹妖が作ってくれた果物を持って帰ってもらう」カルノが説明しながら、オーヴィの頭を撫でた。
「基本自給自足の生活をしているけど、一部賄えないものはジュードさんに頼んで送ってもらっている。だからその足しになるように、こうやって高級果物を積んでもらって、目立たないように、常連客のお金持ちの人に少量だけ流通させているみたいなんだ」
寡黙な弟のために、フリッツはハキハキと説明した。
「そうなんだ…お疲れ様、オーヴィ、帰り道は大丈夫か?」
オーヴィは誇らしげに首を上げ、日差しの下で鋭く光る角を見せた。その横で、なぜか2匹のグー(大型犬と黒猫)も同じように得意げに首を上げた。
「怖いもの知らずの魔物はこの辺りにいないし、この子たちが送るから、大丈夫だって」
「あー兄弟だもんね、これは心強い」
「何かあれば飛竜にだって変身できるから、万が一もない」
「飛竜…!!」
グーが変身するってことは、黒竜になるのか!格好いい、見てみたい…!!
「夜明、その期待に満ちた目はやめた方がいい。ここで変身したら建物が壊れる」イェルムは笑って助言した。
現に、夜明の腕の中に抱えているグーは尻尾を振りながら、「見たい?見たい?変身しようか?」と期待に応えたがる表情をしている
「ありがとう、また今度見せて」感謝の気持ちを示そうと、夜明は子犬の頭にそっと口付けをした。それを、オーヴィが羨ましそうに見ていたのに気づかなかった。
「飛竜にもなれるんだ…オーヴィも変身したら一瞬で帰れそうだね」
来た時は、数時間ほど樹海の中を歩いた気がする。飛竜になればひとっ飛びなのに、と夜明は不思議に思った。
「変身できるのはこの樹海の中だけだな。もっと言えば、この樹海を出るとグーたちは生きられないんだ」
イェルムの説明に、夜明は耳を疑った。
「え、でも僕はオーヴィとは外の世界で出会っていた。ラピスだってもっと遠い場所で会った」消化しきれない情報に、夜明は困惑する。
「俺も説明が下手でよく分かってないけど、親父が言うには、グーってのは世界の始まりと同じぐらい古い種族で、魔物と【神霊】の間にいるような存在だってよ。だからこうやって変身とか色々すごいことが出来る。でも、今の世界ではこの樹海ぐらいしかグーが生きるのに必要な力の濃度が足りなくて、ここに住み着いているわけだ」
「魔物と神霊の間…」
馴染みのない言葉を心の中でつぶやく。腕の中に大人しく収まっているグーを見る。どう見ても利口な子犬にしか見えないけど、ラピスという普通のお馬でも、鳥類に命令を下す姿を自分の目で確かに見ていたので、すんなりと納得できた。
「でも、オーヴィは普段外の世界に暮らしているよね?」
「ジュードさんから、相棒って呼ぶのを聞いた?」
「聞いた。ルシアンさんも言っていた」
「ちょっと、夜明、ルシアンさんに会ったことがあるのか!?」
「まあ、イェルム、それは後で聞かせてもらおう。相棒というのは、ただの呼び方ではなくて、れっきとした意味があるんだ。簡単に言うと、ある試験に合格する必要があるというか、それなりの覚悟と実力をグーに認めてもらって、相棒として選ばれるんだ。俺たちもまだ一人もその試験を通ってないし、相棒がいないまま卒業した人も少なくないって聞くよ」
「そうなんだ…」夜明は無意識に子犬をぎゅっと抱きしめた。思ったより、相棒になるのは簡単ではないようだ。
「相棒になるというのは、ここから出ても一緒に生きていくという意味。そのために、グーは神霊の力を捨てなければ、外の世界で暮らせないんだ。だから、姿を変えることができなくなって、ずっと外の世界に連れ出された時の姿のままになる。だいたいそんなところだ」
ということは、ラピスは馬という姿を選び、オーヴィは牛を選んだということか。冒険者であるルシアンさんと、のんびりと雑貨屋を経営するジュードさんにとって、確かにそれぞれが活躍できそうな姿である。
いまいち理解できないまま、言われた事を漠然と頭に入れた。また時間がある時に、誰かが詳しく教えてくれるに違いないと、夜明はそれ以上聞かないことにした。
オーヴィは、甘えるように、鼻先で夜明をつつく。
「元気でね、オーヴィ」
暗かった樹海の中で守ってくれた頼もしい存在だった。次はいつ会えるのかな。黒毛の牛のツルッとした少し硬めの毛を撫でると、心の中に小石がすとんと沈んだような寂しさを覚えた。
「…あの、無理ならいいんだけど、少しだけオーヴィを見送りできたりする?」
てっきり断られると思ったら、フリッツもイェルムもあっさりと頷いた。
「ああ、俺らも何度も見送りに行ったことがあるよ。最初来た時に鍵穴がついてる木の根元の扉があったところ、その辺までなら大丈夫だよ。鍵は持っているか?」
「持っている!」夜明は首元の白金の鎖に掛けてある鍵をフリッツに見せた。肌身離さずに、と念入りに注意された上、鍵を渡してくれた美貌の若い剣士の目と同じ色の宝石が胸元に煌めいている。
「お、それでいいと思う。それがあれば、どんな魔物にも傷つけられたりしないさ。そうだな、初めてだし、樹妖も連れていったら安心だと思う」
「僕の樹妖はいまどこにいるんだろう。食堂で待ってくれているのかな…」と思った瞬間、後ろから肩に手を置かれた。顔の横には、髪飾りのように大きな白い花が一輪咲いている樹妖が微笑んで手を差し伸べてくれる。
「僕が彼女を探しているとわかっていたみたい…」
「それが樹妖というものさ」
樹妖の手を握ると、花びらのような優しい感触が安心感を与えてくれる。
「オーヴィもそろそろ出発するところだ、見送りに行ってきな」フリッツはもう一度注意した。「樹妖もいるから大丈夫だと思うけど、扉の近くから離れない、鍵を取らないようにね!」
「分かった!」夜明は大きく頷いた。
大型の黒狼に変身した2匹のグーが先頭に、荷車を引っ張るオーヴィがその後ろ、そして最後列に樹妖と夜明という隊列になった。
古木の根元にあった木の扉を開くと、昨日歩いたばかりの木の道が見える。扉が閉まる前に、イェルムが後ろから声を掛けた。
「樹妖から離れないで、すぐ戻って来るようにな」
「うん!ありがとう!」
どういった理屈のおもじないかわならない、木と木の間を通る秘密の小道を、夜明は樹妖の手を握りながら進んでいく。いつの間にか、それが当たり前のようになってきた。
前を歩くグーたちの足音が薄暗い木の道に響き、何故か心が落ち着く。そして、扉が閉まって木の道に入った瞬間から、胸元の鍵が再び光を放ち始める。
子供を守るというブナイルのおまじない。夜明は鍵をそっと触れ、ほのかな暖かみを感じた。
そして、昨日とは逆に、進む度に空気が重くなっていくと感じた。安全な隠れ家から樹海という神秘的な場所に近づいていると実感する。
少しそのまま歩くと、入口の扉が開き、夜明は再び昨日入ってきた古木の根元から出た。相変わらず真っ暗な樹海ではあるが、今日はオーヴィの他に二匹のグーと手を握ってくれる樹妖がいるから、不思議と少しも怖さを感じない。
「ここまでだね、オーヴィ。元気でね」
もう一度黒牛を撫でると、立派な頭が甘えるように擦り寄ってくる。夜明は思わず腕を広げ、ぎゅっとオーヴィの首を抱きしめた。
「ありがとう、またね。気をつけてね」
オーヴィが挨拶のように優しい鳴き声を上げると、二匹の黒狼と共に樹海の闇に溶けるように消えていく。夜明はしばらくその場に立ち、ほのかに輝く紺色の背中が完全に見えなくなるまで見送っていた。
「そろそろ戻ろうか」
振り向きながら樹妖の方へ手を伸ばすと、腕ごと強い力で引っ張られた。
「え?」
先ほどまで握られていた柔らかい手とは違う、少しねっとりとした、氷のように冷たい手の感触だった。
――樹妖の手じゃない。
縦長の瞳孔、白目が無い大きな黄金色の目が目の前にいる。青白い肌に、真っ白な髪が肩まで垂れている女性の魔物が、いつの間にか音もなく現れて、夜明を見つめている。
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