2 シン
ほぼ空になったお皿などの食器が少年の手元にあるので、一足先に食事を済ませたところだろうか。少年の後ろ姿を見るなり、ネリーは不思議そうに声をかけた。
「あれ、シンじゃん!この時間になんで食堂にいるの?まさかのサボり?」
――シン。夜明は、先程ネリーが話した誕生日会のことでその名前を聞いたばかりなのを思い出した。自分より少し年下の12歳で、ずっと前からここにいたという。
「ネリーか?」
振り向いたのは、一人の華奢な少年だった。色白の肌に卵形の顔、肩にかかる艶やかな深紫色の髪、そしてひと際大きい青い瞳は硝子玉のように透き通っており、夜明が昔仕えていた貴族の令嬢が持っていた陶器の人形を思わせるような愛らしい顔立ち。だが、どこか人形のように無表情でもあった。そして、心なしか鼻が少し赤いようだ。
「サボりじゃないよ。風邪引いたから休みになった。」
声変わり前の澄んだ声だが、鼻が詰まったようにこもっている。シンと呼ばれた少年はすぐさま夜明に気づいた。
「君は例の新しい子ね。入って早々ネリーにいじめられたと聞いた。」
「誰から聞いたの?それにいじめてないよ!ちょっとだけ…感情的になっただけ。」
ネリーに不服そうに言い返されたが、シンはそれを無視して続けて夜明に声をかける。
「突き飛ばされたでしょ?大丈夫だった?」
「はい、大丈夫です!あの、僕、夜明と言います。」
「僕はシン。楽に話していいよ。」シンはもう一度軽く頭を下げた。「よろしくね、夜明。」
無表情で人形のようなかわいらしい見た目なので、シンのことを近寄りがたいと感じていたが、夜明はすぐに印象を変えた。
――やさしい子。ほんの少ししか言葉を交わさなかったが、冷静でありながらも穏やかな口調と言葉遣いに夜明は確信した。
「風邪とはいえシンが授業を休むなんて珍しい。」ネリーは心配そうにシンの顔を覗き込んだ。「かなり体調悪いんじゃないの?」
シンはため息をつき、隣にピタッと座っているもう1人の樹妖のほうを見る。その樹妖はやはりほかの樹妖と同じ顔をしているが、花を咲かせず、その代わりに柑橘類のいい匂いを漂わせる香草のような植物が全身に生えている。
「せめて古代語の授業には行きたかったけど、熱が出たから【お母さん】が授業に行かせてくれなくて。」
お母さんと呼ばれたその樹妖は、有無を言わさないように穏やかに頷いて、ニコッと微笑んだ。
「どうせ、夜遅くまで宿題してたから風邪引いたでしょ。」ネリーはその光景が目に浮かぶように推測する。もしかしたら、体調を崩すのは初めてではないのかもしれない。
どうやら、勉強が好きな子なのかな?と夜明は興味津々に二人の会話に耳を傾けた。孤児院では最低限の教育しか受けられなかった夜明の知識量は、子供向けの絵本をギリギリ読める程度である。自分より年下なのに、きっと圧倒的に自分より難しい本が読めるに違いない。
嫉妬や劣等感ではなく、夜明は素直に目の前の少年に敬意を覚えた。
「まあそんなところね。というわけで、早く体調を治したいので部屋に戻って寝るよ。」シンは起き上がると、柑橘類の香草の樹妖も温かい飲み物がたっぷり入った容器を持ちながら一緒に立ち上がった。
「夜明、また明日ゆっくり話そう。」
夜明はシンが差し出してくれた手を握り返す。小さくて柔らかい手だった。
「ありがとう、お大事に!」
「ネリーも新人いびり辞めないと【お父さん】に言うよ。」
「してないって!」
シンと呼ばれた少年はクスクスと初めて笑顔を見せた。本心では全くそう思っていないのが分かるほど温かい笑顔である。
「…可愛らしくて、いい子なんだね。」食堂から離れるシンの後ろ姿をも見送りながら、夜明は早くももっと近づきたいとシンへ好感を抱いた。
「樹妖とブナイルさんのこと、お母さんとお父さんって呼んでいるのね。」
「シンは赤ちゃんの頃からここにいるから、院長とも樹妖とも特別に関係がいいんだよ。というより、本人にとっては本物の親子と変わらないんだ。」
「そういえば、ジュードさんもブナイルさんのことを【親父】って呼んでいたね。」
「お父さん」に、「お母さん」。生後間もなく孤児院に入っていた夜明は、今まで一度もその呼び方で他人を呼んだことがない。子供にとって、最初に覚える言葉だろうが、夜明にとっては少しもなじみのない。そう呼ぶ自分を全く想像できない。
いつか、そう呼びたくなる日が来るのかな。
「素直に呼べていいな、って思う。」ネリーは夜明の戸惑いを察知したかのように、隣にいる赤い鬱金香の樹妖をちらっと見てつぶやいた。
「私の樹妖も、きっとそう呼ばれたいのかなとよく考えるよ。来てからずっとやさしくしてくれているし、本当に感謝しているけど、まだちょっと難しくて…」
ネリーは長いまつ毛を伏せたので、どんな表情をしているかが見えづらくなった。
10歳まで普通の家庭に暮らしていたと話したネリーは、自分より断然に血の繋がった両親との思い出がまだ鮮明にあるのだろう。
「…無理しなくてもいいと、僕は思うよ。だってその樹妖、今でも十分幸せそうにネリーのことを見ているから。」
ネリーは夜明の言葉につられて、隣をもう一度見ると、赤い鬱金香の樹妖は笑顔を浮かべ、ネリーの頬をやさしく撫でた。もうこれ以上なにもいらない、とでも言っているような慈愛に満ちた笑みである。しばらく樹妖と見つめ合って、ネリーは破顔した。
「…そうだね、とりあえずご飯食べよう!」
ネリーは夜明の手を引いて、食堂の奥側へ連れて行った。
そこには、いくつかの長卓が壁に沿って並んでおり、さまざまな出来立ての料理が湯気を立てて並べられている。自分たちで好きなように料理を取れるように、お皿や食器、取り分けるための器具もいろいろと置いてある。
「よかった、もうお昼の準備できてる。」ネリーは料理を見るなり嬉しそうに手を叩き、長卓の向こうに声をかけた。
「お姉ちゃんたち〜お腹すいたからお昼いただくね!」
長卓の向こうはすぐ調理場と繋がっているようだ。その中で、数人の樹妖が調理やら洗い物やらを手際よくこなしていた。ネリーの声を聞くと、樹妖たちは微笑みながら手振りで「どうぞ〜」と返事をしたが、ネリーの隣にいる夜明に気づき、一斉に動作を止めた。
わ、めちゃ見られている。顔は瓜二つだが、生えている植物の種類が少しずつ違う樹妖たちは、全身が固まったようにじっと夜明を見つめる。
「こ、こんにちは!」
「…!!!!!!」
その声を聞いた瞬間に樹妖たちは顔を輝かせた。顔の周りの花が一斉にパッと咲いた樹妖もいる。髪の毛にあたる植物の蔦の部分が太陽を浴びたようにぱっと広がる樹妖もいる。
嬉しくてたまらない、そしてやさしいやさしい目である。
「新しい子供に会えて喜んでいるよ。」
ネリーが説明しなくても、その純粋な喜びはすでに夜明に伝わっていた。
樹妖たちはわらわらと調理場から集まってきて夜明を囲んだ。四方から髪の毛を撫でられ、頬をやさしく撫でられ、そしてぎゅーと抱きしめられる。
その光景を夜明の樹妖は得意げに見守って、「かわいいでしょ」と自慢しているような表情を浮かべている。
「ネリー…」
大人数に囲まれてオロオロと当惑する夜明はネリーに助けを求めるが、少女はすでに皿から料理をよそっている。
「頑張ってね、これも歓迎儀礼の一つだ。みーんな経験したよ。お腹が空いたからご飯先に食べるね。」
「ネリー…!」
しばらくしてようやく抱擁の嵐から解放されると、樹妖たちは夜明を食卓の前に案内し、料理を夜明に見せて、「いっぱい食べてね」と期待に満ちた目で見てくる。
――全部食べなきゃ、と謎の使命感を感じ始めると、既に食卓について食べ始めたネリーが遠くから声をかけてくる。
「残すより、自分が食べられる量にしといてね。」
「分かった!」
とはいえ、最近まで満足にご飯を食べたことのない育ち盛りの夜明は、これでもかというぐらいの山盛りを取ることになった。
「何だか、不思議な料理がいっぱい。」
貴族の使用人だった夜明も時々調理場の仕事を手伝っていて、贅沢な献立をそれなりに見てきた。しかし、樹妖たちが作った料理は、どれも味の想像がつかない、見たことすらないものばかりだった。
「これは、どこの地方の料理かな。」
夜明はお皿の中の肉料理をじっと観察する。厚めに切り分けられ、香ばしく炙ったそのお肉は、中心にほのかに赤みが残った状態に調理されている。香辛料とお肉の香りが相まって美味しそうだ。一口食べてみると、甘みすら感じさせる肉汁が口の中に広がり、夜明はしばらく無言のまま感動に浸る。
「…なにか分からないけど、凄く美味しい…」
肉の切り落とし、それもたまにしか口にしたことがない夜明だが、ここまで味が濃厚で旨味があるお肉は今まで食べたものとは全くの別物のような気がしてならない。
「何の肉か知りたい?」ネリーが意味ありげにニコニコしている。
「え?なにその笑顔…」
「ま・も・のー!魔物の肉よ。」
「え!?」
隣にいる樹妖を見ると、頷いてくれたので、夜明はきょとんとした。
「魔物…なんの魔物だったの?」聞く途端に後悔しはじめた。美味しく食べるために知らなければよかったという魔物だったのかもしれない。
「あーこれはなんだったけ?」ネリーも同じ料理を口に運んだ。「最近食べてないやつ…エンシェントオックスとかかな…牛型の魔物の。」
牛型か…うん、想像よりましだ。牛と思うことにしよう。夜明は胸をなでおろした。
「初めて魔物を食べる」という動揺はしているものの、身体は嘘をつかない。高級肉を食べたことはないが、きっとこのお肉の味だって負けていないだろう。あまりの美味しさに夜明は無心に食べ続けた。
「ここでは、よく魔物を食材にするの?」山盛りだったお皿を平らげた夜明はネリーに尋ねた。
「食べるよ、主に【グー】が狩って帰るよ!樹海の方で悪さをしたやつに限るけどね。」
「…す、凄いね。」
変身するとは知っているが、どうしても夜明はあの黒い毛玉のような愛らしい子犬たちが、樹海に蠢く魔物に勇ましく立ち向かう姿を想像してしまう。そういえば昨日樹海を渡った際に、夜明を守るようにオーヴィはほかの魔物を【威嚇】してくれたと、夜明は振り返る。
「【グー】って、もしかしてこの樹海の中の食物連鎖では結構上の方にいたりして…?」
「【結構】どころか、一番上にいると言っても過言ではないと思うよ。」
ネリーもむしゃむしゃと何かのお肉の煮込みを頬張る。美味しそうなので、お腹がいっぱいになった夜明は後でもう一度それを取りに行こうと思った。
「ここって、もしかして凄い場所なのかな。」
「もしかして、じゃないと私も思うね。」
ブナイルから魔物に心を与える話を聞いていたが、それでもこの中で樹妖と【グー】などの魔物たちが人間と平和に一緒に暮らせるのは、やはり思えば思うほど普通ではない。
そして、それを取り仕切るブナイルさんは、果たして何者なのか…
読んでいただきありがとうございます!
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