12 僕にしか出来ないこと
樹妖に手を引かれて案内されたのは、居住部の2階の一室だ。授業の時間ということで、ネリー以外の子供にはまだ一人も会えなかった。
扉を叩くと、「入って」と掠れた声で返事があった。
ベッドと机が二台ずつある部屋には、毛足の長い絨毯が敷かれている。その真ん中に、泣き疲れたように目を腫らしたネリーが赤い鬱金香の樹妖の腕の中に身体を沈めている。
「…突っ立たないで座って…」ネリーは小声で話した。喉がガラガラのような話し方である。
夜明は入口の近くの椅子に腰をかけた。
「もう少し近く…大き声が出せないんだ…」
ネリーは俯きながら、自分の体を囲むように包んでくれた樹妖の腕に咲いている赤い花の花びらを撫でた。
「赤い鬱金香…エリーの名前と同じ…」
ネリーは驚いたように顔を上げた。
「知ってたの?」
「僕、名前の由来を調べるのが好きだったから。」
夜明はその時の光景を思い返す。『よく知ってるね』エリーは花が咲いたようにぱっと笑ってくれた。
「私のは?」
不意に聞かれたので、夜明は記憶をたぐる。
「ネリー…赤い…ダリア?」
「…正解。」ネリーは目を細めた。「本当に詳しいのね」
中庭にあった張り詰めた空気はもう感じられない。でも、ネリーは話すべきことを決めかねているようで、黙り込んでいる。夜明は、ネリーから話すのを待つことにした。
「突き飛ばして、ごめん…怪我しなかった?」
ネリーは小声で言うと、赤い鬱金香の樹妖は嬉しそうにネリーの頭を撫でた。
「ううん、大丈夫。…僕のほうこそ…」
「…謝る必要は無いから…」ネリーは静かに夜明の言葉を遮った。
「9割、八つ当たりだったから。」
「1割は?」思わず聞き返すと、ネリーは目を細めた。
「1割は、ちょっとだけムカついた。」
「…ごめんなさい。」
その間、赤い鬱金香の樹妖が花の刺繍がある手拭いでやさしくネリーの顔についた涙の跡を拭いてあげた。
「…君、何歳?」
「14歳、だったかな。」
「エリーと同じね。私の一つ下だ。」
「エリーにお姉さんがいるのを、僕知らなかった。3ヶ月ぐらい毎日一緒にいたのに。」
「私も誰にも教えなかったよ。」ネリーは鼻をすすった。「エリーと離れ離れになったあと行った孤児院にも仲良くなった子がいたけど、話さなかった。」
「そうなんだ…」
「その話をすると懐かしくてさびしくなるし、なんか自分の弱点を晒したみたいで、話すのが嫌だった。」ネリーは小声で話し続けた。「離れ離れになっても、強く生きなきゃいけないから。」
「エリーも、同じ理由だったのかな。」
「たぶんね。姉妹だもの。」
赤い鬱金香の樹妖は、その言葉に応えるかのように、赤い鬱金香の隣にダリアを咲かせた。その光景を、二人は黙って見ていた。
「国の役人に引き離された時ね、あの子と約束していたんだよ。」ネリーは樹妖から一輪の鬱金香の花を受け取り、手のひらに載せてじっと見つめた。青い瞳に、過ぎ去りし日の光景が映っているかのようだった。
「『生きよう。』って。『どんな辛いことがあっても、頑張って生きて。この冷たい世界に負けないで。また家族で一緒に暮らそう。』って約束したよ。」
花弁を撫でるようにやさしく触り、ネリーは囁くように言った。
「そのことだけが私が生き抜いた理由だった。」
エリーと別れてから、ネリーにどんなことがあったのだろう。その前のネリーも、エリーと同じように屈託なく笑っていた子だったのだろうか。夜明は想像してみた。
「それで、君がね、『僕が守らないと』って言ったのが、気に障ったんだ。」ネリーは打ち明けた。
「エリーは強かった、守られる必要はなかったって。しかも代わりに死にたいって聞いて、カチンときた。エリーは守られる必要がない、強い子だから。勝手に責任を取らないで欲しかった。」
「そのつもりはなかった…」
「知ってる。だから私の八つ当たりだよ。守るとしても、私が守らないといけない。私がお姉ちゃんだもの。」
――優しい子なので、君が悪くないってことはちゃんと分かっている。ただ、唯一の家族である妹にもう二度と会えない、その事が辛くて…
ブナイルの言葉を思い浮かべる。
――君はネリーのために、謝罪ではなく何ができるか、きっとわかるはず。
僕にできること。
「エリーはよく笑っていたな。」
ネリーは不思議そうに夜明を見た。
「屋敷は、お世辞にもいい環境ではなかったかもしれないけど、エリーはいつも僕を笑わせようと頑張ってくれた。変顔を作るのが、すごく上手だったよ…あんな顔を見たら嫌なこと何もかも忘れてしまう。」
夜明は記憶を巡らせた。
「ね。」
ネリーに呼ばれて振り向くと、白目を剥きながら頬をふくらませた少女の歪んだ表情から不意打ちを受けて、思わず吹き出した。
「そう、そんな顔だった!」
「当たり前だ、私が発明したもの。」
ネリーは得意げに顎を上げた。
「さすが姉妹だ…」
「あとは?あの子は他にどんなことをしたの?教えてよ。」
――これだ。これが、僕がネリーにできることなのかもしれない。
ネリーが知らなかった、エリーのこと。
エリーと最後の時間を共有していた僕だけが、ネリーに伝えられることなのかもしれない。
正解が分からないが、ネリーは嬉しそうだった。
絶望、怒り、悲しみよりも、今の表情の方が俄然似合っている。
「あとは…」
歌声。
狭苦しい、冷えきった使用人部屋。少しでも寒さを凌ごうと身を寄せて手を握り合っていた夜。
初めて歌ってくれたのは、昼間にお腹が蹴られたところが痛くてなかなか眠りに付けなかった日だった。
どんな歌だったのかな。夜明は記憶を辿り、口ずさんでみた。
「星降る夜に 森を抜ければ 秘密の花園 小さい灯りが揺れる」
曲調も歌詞もそんなに自信がない。そんな感じだったかな。
「耳を澄ませば 風の…」
いつもこの辺りから眠気を感じてしまうので、ますますうろ覚えだった。
「風の…」
「耳を澄ませば 風のささやき。」
そよ風のような歌声が耳に入る。
「妖精たちの 満月の舞踏会 はじまるよ。」
夜明より圧倒的に正確な音程で、ネリーは歌い終わった。
「それだ!」
「…小さい頃にお母さんがよく歌ってくれた民謡よ。」ネリーは話した。「あと三段落もあるけど、エリーはいつも前半しか覚えてない。」
「僕、多分一段落しか聞いたことない。」
「あの子、忘れてるじゃん。」ネリーは呆れたように嘆いて、力が抜けたように樹妖の腕の中に倒れ込んだ。顔にかかっている赤い髪を、樹妖はそっと指で梳かした。
「僕も先程まで同じ体勢だった。」
「一緒にいると落ち着くでしょ。」ネリーは、夜明の隣の樹妖に声をかける。「きみ、良かったね、やっと自分の子供に出会えたね。」
顔は瓜二つだが、顔の横に大きい白い花を咲かせた樹妖は、ありがとうと言うようにネリーに微笑んだ。
「自分の子供に出会ったというのは?」
「ここに来た日、最初に出会ったのはその樹妖でしょ?よく分からないけど、樹妖たちのしきたりみたいで、新しい子供を最初に出迎えられた樹妖は、その子のちょっと特別な世話役みたいになれるって、自分たちで決めてあるみたい。」
「そうなんだ…だから、会った時あんなに嬉しそうだったんだね。」
「ここはそこまで子供の数多くないから、ずっとずっと世話役になれない樹妖の方が多いけどね。ほかの樹妖もみんなやさしくしてくれるよ。子供のこと大好きだからね。」
「僕、あまり抱きしめられるのをされたことがないから、なんだかくすぐったい。そういうものなのかな。」
ネリーは樹妖の腕の中で、居心地よさそうに目を瞑った。
「そういうものよ…、ね。夜明。」
ネリーが初めて名前を呼んでくれた。
「また、私が知らないエリーのことを教えてよ。」
「うん、僕にも、知らないエリーのことを教えて欲しい。」
ネリーは、自慢げに唇の端を上げた。
「いいよ。私の方がいっぱい話せることがあるわ。」
――だって、姉妹だもの。
赤い髪の少女は、まるでそう言っているかのように目を細めていたのだ。
第二章はひと段落終わりました!
予定よりもふもふほのぼのではないかもしれませんが、
第三章ではもふもふまみれなるように鋭意準備中!
のんびりと書いていく予定ですので、
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