8 魔物の心
「魔物は怖いか?」
と静かに聞かれると、夜明は少し考えてから頷いて、またすぐ首を横に振る。
「でも、彼女はちっとも怖くないんです。」矛盾していると自分でも思うが、ただ本心でもある。その一言で樹妖の顔が綻んだ。
「そうか。きみは優しい子だ。あらかじめ君に言わねばならないのは、ここ、私は隠れ家と呼んでいる場所に、子供の他に数多くの魔物も住んでいる。樹妖もそのうちの一族である」
「魔物は人間を傷つけたくなったりしないのですか。ごめんなさい、僕、魔物に対して怖いという印象がどうしても…」ひどく失礼なことを言った気がして、どんどん声が弱くなった夜明の髪の毛を、樹妖はやさしく撫でた。
「ここにいるのはしない。また、君は知らないであって、本当の心からの怖いではないので、あやまらなくていい」
知らなければこれから少しずつ知ればいい、と含んだやさしい声であった。
歴戦の勇士と見違うほどの気迫を持ちながら、笑顔がほとんどないブナイルだが、「わからなければどんどん聞けばいい」を言わんとする雰囲気に、夜明は気になることをどんどん聞くことにした。
「ここの魔物は、なぜ違うんですか」
「守りたいものができたからだ」と、簡潔に答えた。
「守りたいもの?」
ブナイルはすぐにその質問に答えず、遠くを見つめるように一瞬間を置いた。そして、静かに語り始めた。
「魔物――今では討伐や恐怖の対象にしかなっていないけど、昔は他の生き物と大差がなかった。『魔』というのは『悪魔』など邪悪な意味がなく、『魔法』の意味だった。『魔法のような力を持つ生き物』というところであって、その辺の家畜や野生動物より力を持っているが、理性が働いているので、好き好んで残虐なことはしない」
――昔というのは、どれぐらい前のことだろう?夜明は疑問に思ったが、ブナイルの真剣な表情に引き込まれ、そのまま聞き入った。
「それがどこかで変わったのですか?」
「そうだ。簡単にいうと、心を失った。心を失った魔物は、感情を抑制できなくなり、本能のままに行動するようになった。さらにその力ゆえ、恐るべき存在になってしまった。」
失われた、魔物の心…。夜明はブナイルの話に引き込まれ、瞳を大きく開いた。
「なぜ、失われたのですか?」
「少しずつではあるが、大事なものを失ったからだ。皮や鱗など身体の一部が素材になるため狙われる種族が特に多く、その中で力の弱い子供が真っ先に狩られていた。また、先祖の代から住んでいた故郷が人間に奪われたなど…。愛するべきものも、住み場も奪われ、そしてついに心を失い、闇の世界にしか生きられない哀れなものになった」
――君も何か大事なものを失ったのか?夜明は思わず樹妖の方を見る。明らかに人間ではないその女性の姿をした魔物と目が合うと、彼女はただただ、一片の曇りもなく、慈しみに満ちた目線を返してくれた。
屋敷にいた頃に苛めてくるあの執事よりも、うんと人間らしくてあたたかい目である。
「では、ここにいる魔物たちは、心を失っていないということですね。」
「失いかけた状態で、私が保護してこの森へ連れてきた。無実の生命を奪って欲しくないだけで、種の存続を願っていた。たとえば、きみのそばにいる樹妖は、愛情が深いだけでなく、この世界に存在していた全ての植物の記憶を持っており、たとえ貴重な薬の材料になる、数百年前に絶滅した薬草すら無から生み出せる。特に男性種が多く生産でき、乱獲されていつの間にか一体も居なくなった。」
夜明は思わず樹妖の手を握った。
「安息の場所を魔物に与えただけで、彼らは心をそれ以上失うことはこと無くなったが、抜け殻のようだった。そこで、私がこの世のどこにも居場所がないような子供たちを森へ連れてき始めた頃、何かが少しずつ変わってきた。」ブナイルは樹妖の方を見て話し始める。
「その頃、彼女たちは身体中少しの緑もなく、枯木のようになった。花を咲かせることも忘れたかのように、ただただ疲れていた。その時私はここにワンダという女の子を連れてきた。」
女の子の名前を口にした瞬間、近寄り難い雰囲気を漂わせていたブナイルの顔が、日差しが差し込んだかのようにふっと柔らかくなった。
「ワンダは、戦争で両親を亡くし、奴隷にされそうなとこを私が保護した。まだ幼かったので、親に会いたくて毎日泣いていた。まだ4歳だったので無理もない。そして、『りんごが食べたい』とばかり。林檎は彼女の故郷の名物だが、もちろんすぐに用意できることができず途方に暮れた。そんなワンダを見て、突然ここの樹妖が一斉、りんごの実を実ってくれたのだ。大きくて真っ赤のりんごもあれば、シャッキリとした青りんご、小ぶりのりんごなど、私が見た事もない数えきれないほどの種類のりんごを、樹妖が生み出してくれたのだ。それが樹妖本来の力であって、ワンダへの憐れの感情が、彼女たちの心を取り戻してくれたのだ。」
その後、ワンダはきっと樹妖たちに可愛がられ、甘やかされたのに違いないと、夜明が想像すると、袖を軽く引っ張られた。隣の樹妖が青りんごと赤りんごひとつずつ手に持って「こんな感じだよ」と言っているかのようににこにこと笑う。
「見せてくれたんですね、ありがとう」夜明はりんごを受け取ると、ふわっと広がる果実の香りとずっしりとした重さから、それが新鮮でいいりんごであることがすぐに分かった。
「君に食べて欲しいんだ」と、ブナイルが代弁した。
「ありがとうございます!後でいただきます」
「その他にも色々な魔物がここにいて、それぞれ違う形で子供たちと関わり合い、心を取り戻した。失った大事なものは戻ってこないが、守るべき存在ができたからだ。今では私と一緒にここの運営をやってくれる大事な仲間になっている。この辺は詳しく話すと長くなるので、またゆっくりと。にわかには信じ難い話かもしれないが、ここにいる者たちは決して君を傷つけることはない。それだけは伝えておきたい」
「はい!色々教えてくれて、ありがとうございました」
「また明日、みんなに紹介するので、今日は休むとしよう。もうこんな時間だが、ジュードのところで夕食をきちんと食べたか?」
「あ、はい、夕方ぐらいにお食事を作ってもらいました」
「しかし今はもう真夜中だ。育ち盛りでお腹が空いただろう。ああ、りんごがあるのは分かるが、りんごだけでは…」途中、抗議しようとした樹妖を宥めつつ、ブナイルは少し考えた。
「腹持ちのいいものを用意しよう」と決めたように頷いた。「その前。風呂だ。少し待ってくれ」
「え?あ、はい」
ブナイルは急に部屋を出て、2~3分もしないうちに、たっぷりお湯が入っている大きな風呂桶を軽々と抱えて戻ってきた。どこに置いていたの?お湯を用意するのってこんなに早かったっけ?
困惑している夜明をよそに、ブナイルはテキパキと説明を始めた。
「お風呂に入って、ご飯を食べて、寝なさい。今日はこれだけ考えればいいんだ。風呂は樹妖が手伝ってくれるだろう。着替えはここだ。体形が似ているので、ルシアンのお下がりだが使ってくれ。私は食事と寝具を持ってくるので、その間にお風呂に入っていなさい。」
ほぼ荷物を持っていない夜明にとって、兄弟のようにルシアンのお下がりを貰うのはなんだか嬉しかった。食事を用意しに行くブナイルが部屋を出ると、樹妖はお風呂を手伝いたくてワクワクしながら顔を輝かせていた。断るのに一苦労し、一悶着の結果、身体は自分で洗うが、髪は樹妖に洗ってもらうということになった。
最近はちゃんと風呂に入れていたので、そこまで身体が汚れてはいなかったが、暖かいお湯に浸かるのは心地いいことだ。樹妖は嬉しそうに夜明の髪を丁寧に梳かし、綺麗に洗い流してくれた。
「僕、赤ちゃんじゃないから次から1人で…」邪念はないが、素っ裸になるのは単純に恥ずかしい。
――ダメなの?と寂しそうな目になった樹妖を断るのは、これからもきっと大変そう。
風呂の後、着替える最中に樹妖は先程のりんごの皮を剥き、食べやすいサイズに切ってくれた。りんごの瑞々しさが一目で分かる。
「美味しそうなりんご…あむ」
話の途中で、樹妖はりんごを口に放り込んでくれた。
「うわ、凄く美味しい…!!シャキシャキで甘い…あむ」
どんどんりんごが口に運ばれる。
そして、なんだか不思議な香りが混じっている。花、薬草、果実が混じりあったような香り…
「お湯の温度は大丈夫だった?」
ブナイルが片手に畳んだ寝具を抱え、もう一方の手に大きな食器と水を載せたお盆を持って部屋に戻ってきた。
「はい、さっぱりしました。」
その途端、嗅いだことのない、美味しそうな匂いが漂ってきた。
「お腹が空いただろうが、この時間なのでスープだけ作ってきた」
思わずお盆を覗き込むと、大きな椀にスープがたっぷり入っていて、横には食事パンが一つ添えられていた。
「豪華なものではないが、一応栄養は考えてある。完食しなくてもいいので、食べられる量を食べるといい」
こんなに美味しそうな匂いを嗅いだことはなく、実際に口に入れてみるとその期待を裏切らなかった。
「…美味しい…」
飲み込んだ瞬間に幸せが広がる。色んな野菜と何かの肉が入っているスープに、食事パンが一つ。知らない調味料や香辛料が入っていないが、それぞれの食材の最大限の美味しさが引き出されており、互いを邪魔せず、塩加減も絶妙である。夜明はしばらく何も言えずに感動に浸っていた。
「では、今日はここで休みたまえ。また明日、学校のことや他の子のことを紹介する。昼ごろにまた会いに来るから、ひとまずゆっくり休んでくれ。分からないことは樹妖に聞いてくれ。話すことはできないが言葉は分かるので。火傷の傷薬はこれだ。あとで彼女に塗ってもらうように。」食事後、ブナイルは翌日の説明をしながら、塗り薬を入れた小さな壺を渡した。
「わかりました、ありがとう、ブナイルさん」
実年齢よりも一回り小さくて、やせ細った夜明をブナイルは無言のまま少し見つめていた。
「おやすみ、夜明」
ブナイルはぽんと一回だけ夜明の頭に手を置き、部屋を出た。
座って待っていて、と樹妖は言葉にせずに、夜明の今夜の寝床のベッドメイキングを慣れた手つきで終わらせた。
「色々あった一日だったな」
身体を横にしてみると、寝心地の良さに驚いた。柔らかすぎず硬すぎず、身体がそっと包まれているかのようだ。新品ではないと分かるが、汚れもシミもなく、清潔な良い匂いがする。
昼間はジュードさんの家で一緒に食事をとり、オーヴィにも会って、それからあの不思議な樹海を渡ってきた。目まぐるしいほど、色々不思議なことを見せられた。
――オーヴィ。穏やかで頼もしい黒牛のことを思い出す。
「オーヴィは、明日の朝までいるかな。お別れの挨拶がまだしていなかった」
樹妖が頷くのを見て、夜明は安心を覚えた。
そして、特に説明もなかったが、おそらく今日は樹妖が添い寝してくれるのだろうと感じた。




