1 案内人
身寄りのないエドリックを、町の墓地に埋葬することにした。
「すまない」
エドリックの小さなお葬式のあと、ルシアンは夜明に謝った。
数多くの貴族が巻き込まれた屋敷の事件の事後報告、昏睡中の領主の娘に王都からの医者を紹介し、雇い主を失った使用人たちに一時の住処や食事を提供するために国と交渉する。やらなければならないことが山積みであった。何よりも一刻を争うのはイグナシオの追跡だった。
ルシアンの生まれ育った場所は、どうやらとある森の中にあり、今いる町から少し離れた場所に位置する。背中に火傷を負った夜明はラピスの背中に乗ることができず、そうなると馬車を使わなければならない。そのため、片道だけでも3日ほどかかる。
片道3日、往復だと6日か…。
夜明は心の中で計算してみた。イグナシオを追跡することがどうしても緊急度が高くなってしまうのも当然なことだ。
「一人だと心細いだろうに、申し訳ない」とルシアンは深く謝った。
「僕は大丈夫です!イグナシオを追ってください。」実際に、本当に一人で問題ないと思っていたが、ルシアンは真摯に謝罪し続けた。
その罪償いの意識からか、ルシアンは非常に立派でかつ派手過ぎない馬車を貸し切りに手配した上、充分すぎるほどの旅費を手渡した。
出発前に、馬車の御者にルシアンが耳元で何かを囁いた。その直後、御者の顔が真っ青になっていた。
「...はい!必ず無事に送り届けます」と御者は緊張に震えた声で答えた。
「それで良い。送り届けた先の店主に、一筆書いてもらうので、嘘でもついたら…」
「いいえ、そんなこと万が一もありません。必ず坊っちゃまを…!」御者は必死に頭を下げた。
目的地は街ではなく森の中にあり、案内人が必要とのことだ。その案内人がいる場所がひとまず夜明の目的地であり、馬車の御者にとっての終点でもあった。
「無事に遂行してくれたら、報酬を上乗せしよう。」とルシアンが言うと、御者は何度も頭を下げた。一体何を言われたんだろう。
実際、脅迫しなくとも、その馬車の御者はあらゆる悪事と無縁のような生来のお人好しであることを、夜明はその後数日の旅を通じてすぐに理解した。
馬車に乗る前に、夜明はもちろんラピスをたくさん撫でておいた。別れを察知したのか、ラピスはいつもより寂しそうな目で、何度も頬をすりすりしてくる。その温かさを感じながら、ラピスの毛並みを撫で続けた。
「いろいろありがとう、ラピス。元気でね。」と夜明はそっとささやくと、黒毛の駿馬は寂しげにいななく。
「では、気をつけて。」
「ルシアンさんも。」
「鍵は?」
「はい、ここにあります!」
夜明は首元にかけてあるものをルシアンに見せた。ルシアンが先程までつけていた白金の細い鎖に、一本の鍵が繋がっている。その鍵はこれから必要なものだと言われたが、どこかの扉を開けるのかな。その鍵は独特な形をしており、中央にはルシアンの瞳と同じ色の青緑色の宝石が散りばめられていた。
――絶対無くすことのないように、と渡されるとき何度も念押しされた。
「それで良い。先ほど言ったように、いかなる時でも肌身離さず。」
「はい、たとえ水浴び湯浴びする時でも取らない、ですね。」
「そうだ。では、気をつけて。」
「はい、行ってきます!」
最後にもう一度、ルシアンは夜明の頭を優しく撫でた。馬車に乗り込む夜明を見守りながら、ルシアンは外から馬車の扉を閉めた。扉にある小窓から夜明は顔を出し、ルシアンと目を合わせた瞬間、唐突に寂しさが湧き上がった。
――次はいつ会えるのだろう。短い間だったが、いつの間にかルシアンとラピスは夜明にとって心の支えになっていた。
その寂しそうな目線に気づいてくれたかのように、ルシアンは微笑む。どこか冷ややかさを感じさせる線が細い美青年であるが、青緑色の瞳からは、今はただ暖かさしか感じられない。
「ひと段落したら必ず会いにいく」
ルシアンがそう約束すると、馬車がゆっくりと動き始め、その長身の姿が徐々に小さくなり、やがて見えなくなった。
孤児院から屋敷に入るときを除き、少年にとって生まれて二回目の馬車の旅である。
ただ、前回とは比べ物にならないほど快適な旅路だった。席には快適に休めるように、ふかふかな枕をたくさん置いてある。夜明は自分にとって広すぎるほどの席に座りながら、知らないものばかりの世界を窓から眺める。
空気が清々しく感じる。
「その奥には矮人の遺跡があって...」「あの山は、かつて存在したエルフたちの住処だったが、今では彼らの姿は見ることができない....」
仕事柄で色々土地にまつわる知識を持つ馬車の御者さんは、にこにことあれこれ説明してくれた。命の脅威などと関係なく、元々子供が好きで心優しい人である。
また、おそらくルシアンに言われたのであろう、御者の男性が手配した宿もいい所ばかりだった。安全のために御者と相部屋になるが、全く気にならない。使用人の大部屋とは比べられないほど広々として清潔である。
出発前に町の医者にもう一度診てもらって、手当をされ、薬もたくさん貰ったものの、火傷した背中は夜になるとひどく痛む。しかし、何よりも寝床はふかふかで柔らかくて最高なので、少年は毎晩気絶したかのように眠りにつく。
朝は焼きたてのふわふわのパンを主食に、宿の名物料理が振る舞われる。今までの食事と比べるしかないが、当然のようにどれ量も味も申し分がない。宿でゆっくり朝食を食べたあと、馬車の旅が再開する。馬を休ませるために、1日に数回休憩を挟むこともあるので、意外とゆっくり進んでいる。
その間、夜明は自ら馬の世話を手伝いたいと申し出て、御者から色々なことを教わった。ラピスのように言葉を理解しているわけではないが、2匹の馬車馬は日頃から愛情を注がれているので、性格が穏やかで人間に慣れている。そっと撫でてみると、嬉しそうに目を細める表情も愛嬌があって可愛らしい。
馬車の御者である中年男性も旅の供として申し分なかった。二人きりの旅路なので、夜明は興味津々でたくさんの質問をした。周りの人からよく「口から先に生まれた」と言われてきたその御者も、周りの土地のことや御者の仕事、馬の世話の仕方にとどまらず、聞かれてもいない自分の子供時代の思い出や奥さんとの出会い、家族構成などを惜しみなく話してくれた。息子の目の色や学校の成績まで一通り知り尽くした頃、夕方に馬車はいよいよ目的地に到着した。
王国の奥地に位置する、工芸品の製造が有名な町である。上級貴族である元雇い主の領地と比べると、さほど裕福な暮らしではなさそうだが、のんびりとしていて居心地が良さそうな町だ。また、そこそこ人口があるようで、店も民家も多くて活気を感じさせる。
屋敷からほとんど出たことがない夜明は目を輝かせた。見たこともない鮮やかな服装を身に纏う住民や、名も知らない料理が並ぶ屋台などを興味津々と観察しながら、御者について行く。この町に来たことがあるという御者は、あらかじめルシアンから目的地であるお店の場所を聞かされていたらしい。そこまで夜明を送り届け、店主に一筆を書いてもらうまでが彼の仕事だった。
「坊っちゃま、こちらですね。」
馬車を馬宿に預け、夜明は数日お世話になった馬たちにお礼を言った後、御者の男性は記憶を辿りながら、時には町人に確認しつつ、街の外れまで夜明を連れて行った。
そこには一軒の赤煉瓦の小屋があった。お店というより、民家によく見られる家の造りだが、扉が開けっ放しになっており、雑貨屋という手書きの看板が店先に立ててある。
「ここですね!着きましたよ、坊っちゃま。いよいよお別れですね。」
命の危険を感じながら始まった旅路であったが、心優しい御者はいつの間にかルシアンの脅迫を忘れていたかのように、寂しそうに夜明に別れを告げる。
「少しお待ちください。私、一筆を貰わないといけないので、ついでに店主さんを呼んできます」
その間、夜明は興味津々に周りを見渡す。雑貨屋であることは事前に知らされていたし、店主はルシアンと同じ場所の出身で子供の頃を一緒に過ごした間柄だとも聞いていた。つまり、夜明が今から向かおうとしている場所で育った一人だ。
店主はどんな人なんだろう。この街に向かう途中、夜明はそのことを何度も想像してみた。そして、何となくルシアンと似たような冷静さを漂わせる男性像ばかり思い浮かんだ。
しかし、いざ店に着いて観察してみると、全く違う人物像が浮かび上がった。店内に収まりきれないためか客の目を引きたいためか分からないが、店の外にも商品を陳列する棚がいくつかあり、そこには何種類かの野菜と果物が無造作に置かれていた。その置き方から何となく、置いた人の適当加減を感じさせた。
その一方、窓辺や商品棚の間には鮮やかな花と葉を持つ様々な鉢植えが置かれている。どれもよく手入れされていて、葉っぱが元気そうに輝いている。
おそらく、おおらかだけど自然が好きな人なんだろう。夜明は想像してみた。
すると、雑貨屋の中から、弾むような明朗な声が飛び出してきた。
「おおーー君なのか!!まさかのルーちゃんの紹介なんだね!!初めまして…あわわ!」
その声の持ち主は大柄の青年だった。明るい金髪を後ろに括り、肌は健康的に日焼けした。彼は両手を広げ、満面の笑みを浮かべながら夜明に向かって走ってきた。しかし、自分が置いたであろう鉢植えに躓き、豪快に顔からすっ転んだ。
「うわ、店主さん!!大丈夫?」後ろから来た御者の男性は焦って青年の身体を起こした。
「ぜんぜーん大丈夫じゃないかも!!血が出ちゃったね!!」
言葉の割に全く驚いた様子はない。額から血を流しながらも、屈託のない笑顔を見せるその青年は、ルシアンとはまた違う、親しみやすい雰囲気を持つ整えた顔立ちである。
夜明は驚きのあまり、一連の出来事を愕然として見ていた。
「あの…初めまして…夜明と言います。」
「ヤーちゃんなのね!!!!よろしくーーー!」
青年は輝く笑顔で、包み込むように夜明をしっかり抱き寄せた。その抱擁は暖かく、ふかふかで、太陽の下でよく干された布団のようだった。緊張をすっかり吹き飛ばすような力を持っている人である。
「大丈夫ですか…坊っちゃま。」御者の心配そうな声が聞こえる。
「ダイドウブデツ…」がっちりとした腕の中から、夜明は苦しそうに返事する。
「あーーかわいい!!!ほっぺたぷにぷにぃ…。ね、ルーちゃんは元気だった?久しぶりなのに手紙一通だけなんて、しかも君のことばかりで近況報告もなく僕は寂しいよ…あ、御者のおじさん、あとは僕に任せて大丈夫ですよぉ!お疲れ様です!!また来てねーーー!!!…いや、ルーちゃんは相変わらず忙しいよな、まさか僕に会いたくないのか…ああ子供ってかわいくて本当に癒される」
頬と頬を擦り合わせて、赤ちゃんでもなったような気分だ。次から次へと途切れさせる事なく、喋り続けていた店主の青年は喜色満面だった。
「長旅で疲れたでしょ、馬車乗るの大丈夫だった?僕はあんまり得意じゃないのよね…そうだ自己紹介はまだだな!!ごめんごめん!!僕はジュードって言うんだ。ジューードーー。ジュードでもジュードにぃでもお兄ちゃんでもなんでも好きに呼んでもね!!…そうだ、キミはお腹空いてないか???お昼食べた??何食べた??美味しかった???」
返事する余裕を与えないほど、頭を撫でて、頬をつんつんして、そして何度も抱きしめて、髪の毛や目の色など褒めまくる。
最初からルシアンの冷ややかさが全く怖いと思わなかったように、ジュードの情熱的な抱擁も不思議と心を落ち着かせる。――雲一つない空のような、純粋な好意であることを直感的に感じ取るからだ。
そもそも人に抱きしめられるのも、多分物心がついてから一度もなかったと、夜明は記憶を辿る。人肌の暖かさがこれだけ心地よいものだったのか。夜明は目を細める。
「記念すべき、ルーちゃん紹介第一号だ!今日はお兄ちゃんと宴会しようね!!!」
ただ、ルシアンとあまりにも違いすぎた温度差に、夜明はやはり戸惑うしかできないのである。
やっとほのぼのパート始まって書く本人も非常に嬉しいのです。
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