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13 標的

 

 死にたがっていた、という本心が赤裸々に剥きだされた。


 その本心は、今まで心のどこに隠れていたんだろう。そして、涙が出たのはいつぶりなんだろう。


 泣くことを忘れろ。ほかの子供と同じように、少年はかなり早い段階でそのことが叩き込まれたのだ。泣いたところで優しい抱擁や言葉が返ってくることはない。むしろ、相手をより怒らせる場合がほとんどだ。


 涙は()()()()はしぶとく生き残ることにおいて、不要なものだ。


 自分の頬を伝うものを少年は不思議そうに触ると、ラピスと呼ばれる馬も焦っているように、何度も少年に頭を擦りつけてくる。


「よせ、ラピス」


「ううん、いいんです。ラピス、ありがとう。急に大声出てびっくりしたんでしょう」


 優しく馬の頭を撫でたが、その手の震えは隠しきれなかった。ラピスはそれを否定しているように低い音でプルルと鼻を鳴らした。


「すまない。ラピスは君のことを心配しているだけなんだが、無神経なところがあってね」ルシアンは愛馬の代わりに謝った。


 そっとその頭に自分の顔をくっつけてみた。牧草と動物らしさを混じった匂いが心を落ち着かせる。少年が冷静を取り戻したのを確認してからルシアンは慎重に口を開いた。


「実は、もうひとつ君に聞きたいことがある…イグナシオ、という名前について、何か知っていることはあるか」


 エリーの名前を聞くと、胸の奥がじんわりと暖かくなると同じように、その名前を聞くと何か重くて冷たいものが胸に沈むように感じる。


「知っています。ここ数年、旦那様の屋敷によく出入りしている魔法使いですね。」


「貴族の屋敷に魔法使いが出入りするのは良くあることだと思うが、そのイグナシオという男は君の雇い主とどのような話をしたり、どのような仕事を請けていたか、なんでもいいから知っていることを教えて欲しい」


「イグナシオ…さんは、旦那様になぜ呼ばれたか、使用人は誰も知らないんです。いつも旦那様の書斎で二人っきりで話しているし…あ。」


 ふと客室で盗み聞きした会話を思い出した。


「一度だけ、旦那様との会話を意図せず聞いてしまったことがあります」


 その夜に聞いた内容や、使用人が時折その馬車に乗せられることをルシアンに伝える。


「稼ぎ、ね」ルシアンはその言葉の意味を吟味しているように復唱した。「最近も来たのか?」


「はい、それで、ローリとジュリアが馬車に乗ってしまったんです…」


「その二人の年齢は?」


「19歳と、17歳。…」


「一致するな…やはり、嫌な予感ほど的中するものだ。」


 ルシアンはつぶやく。


「私がこの屋敷に来るのは、エリーの家族に頼まれたのももちろんあるが、一番主な理由はイグナシオ。彼が私の目的だった」


 ルシアンは静かに語り始めた。


「子供にとっては、残酷すぎる話になるかもしれないが、君が真実を知りたければ、わたしも君に本当のことを伝えたい。」


「知りたいです。」


 深呼吸をして、少年は強く頷いた。


「君には酷かもしれないが事の経緯をきみに話しておきたい。まず、結果から話そう。そのローリとジュリアという少女たちはもうこの世にいない。私は依頼を受けて、最近治安が悪化した王都の犯罪問題について調査をすることになった。その過程で今回の事件に辿り着いた」


「ローリとジュリアは、()()…ある店で発見された。」ルシアンは言葉を濁らした「子供が知らなくてもいいようなひどい場所で、彼女たちも他の使用人もそこに売られていた。」


「私は少し前から、その店を目につけていた。()()()()()()()が他の店とどうやら何かが違っていることで話題になって、最近その界隈ではかなりの人気店になっていた。しかし、あまりにも従業員の不審な死が多すぎた。その店で亡くなった女性たちの身の回りのことを調査するうちに、私はある噂を耳にした。噂というより、正確に言うと、二つの名前が出てきた。」


 ルシアンは一瞬間を置き、少年の目を見つめた。


「まさか、イグナシオと、旦那様?」


「そう。君の雇い主だ。」ルシアンはゆっくりと頷き、少年の目を見つめた。()()という言葉を、意識的に使わないようにしていると感じた。


「店の背景を調査していると、すぐにその名前が出てきた。上級貴族が普段関わるはずのない世界だが、その店の背後には君の雇い主が後ろ盾になっている。何かトラブルを起こしても上級貴族様が揉み消してくれるので、好き放題しているのだ。君の雇い主の領地はここ数年天気の影響でかなり収入が減って、かなりお金に困っていただろう」


「はい、去年も今年も悪天候のせいで農作物の出来が悪いと聞きました。その前の年もおそらく…」少年は記憶をたどる。


「しかし、ここ二、三年では、君の雇い主はなぜか逆に羽振りがよくなっている。不思議と思わないか。その原因を調べると、今度はイグナシオの名前がでてきた。出身などあまり情報が出ていないので、おそらく孤児なのかもしれない。見つけた一番古い記録は、隣国の魔法学校の入学許可なので、そこで魔法を習得したと思われる」


 心地よい声に、理路整然とした喋り方。少年は話を聞き入ってしまった。


「隣国とはいえ、魔法学校で学べる魔法はどこでもさほど大差がない。ただ、イグナシオいう学生を覚えている教授の話を聞くと、みんな口を揃えていうのは、薬学が特に好んでおり、薬の調合や開発へのただならぬ好奇心があるとのことだ。特に、心をも操るようなものをいつか作りたいとよく言っていたみたい」


 ルシアンは手を組み、入手した情報を思い出すように目を閉じた。


「さっき、他の店と違う()()()のことを話したと思う。その違いというのは、()()()()()()という部分だ。()()()()をする女性だけでなく雑務をする従業員までほとんど同じような状態。蹴られても叩かれても何をされてもニコニコと笑う、人形のような()()()ばかりなので、お金さえ払えば鬱憤(うっぷん)晴らしに最高な店だと…。しかし、例外なく、入店してから数日、長ければ数週間で全員が急死してしまう。」


「心を操る薬…もしかして」少年は恐る恐る尋ねた。


「そう、君の想像通り、イグナシオは人体実験をしていると思われる。念願の薬を完成させるために。ただ、自分で人をさらって実験台にするのは危うさが伴うから、そういうわけにはいかないだろう。そこで、君の雇い主に目をつけたのだろう。」


 ルシアンは遠くの空に思いを馳せるように話し、横顔の繊細なほど美しい輪郭が暗闇に浮き上がり、ランプの明かりを受けて静かに輝いている。


「お金に困っていて、なおかつ身分が高い。つまり、操るのが簡単で、人が亡くなってもあまり注意を引かない()()の場を用意してくれて、面倒事まで揉み消してくれる。君の雇い主は彼にとってこれ以上ない最高の相方になったということだ。」


 いくらでも代わりがいる使用人を薬の実験台にして薬漬けにする。そして、用済みになったら、旦那様が出資する店にその人たちを送り込む。若い女性だけでなく、老若男女問わず選ばれるのは、さまざまな実験台で薬の反応を見たかったからなのか。


「ローリとジュリアは、今朝亡くなったばかりだった。薬の配合が悪かったのか、お店に入ってからすぐに亡くなったそうだ。」


 余計に苦しまなかった、と言いたかったが、言葉を見つけられなかったように、ルシアンは静かに言い放した。


「だいたい、そういうことだ。気味の悪い話ですまなかった」


 ルシアンは深く息を吐き、話を締めくくった。


 夜明けが近いのだろうか。夜の冷え込みがいっそう厳しくなる。少年は思わずくしゃみしてしまった。


「寒いか。悪い、立ち話に付き合ってもらって。」ルシアンは心配そうに眉間に皺に寄せていて、ラピスの鞍に取り付けられた袋状の荷物入れを開け、何かを取り出す。


 少年の手に置かれたのは、革製の水の入れ物である。


「少し口にするといい。温まると思う。」


 少年は蓋にあたる部分を開けると、ふわっと嗅いだことのない花のような香りが漂う。少し飲んでみると、とろっとした液体は甘さがあって爽やかな味わいが口の中に広がる。水ではないことはすぐにはわかったが、様々な果物と薬草を混じったような不思議な味がしている。


 ――こんなにおいしいものが、この世にあるなんて。


 一口飲み込んだだけでふわっと全身が温まった。口の中に残った後味もほのかに甘い。


「嫌じゃなければ全部飲めよ。身体に害はないから」


 ルシアンは優しい笑みを浮かべ、少年を安心させようとする。


 厚かましいと思われたくないのに、少年は思わずルシアンの言葉に甘えることにした。革製の水入れをしっかりと握りしめ、さらに一口、また一口と飲み進めていく。その度に体の芯から温かさが広がり、冷えた手足に生気が戻っていくのを感じた。


 喉が渇いたのか、夕食を食べていないからか、少年は我を忘れてその液体を全て飲み込んだ。渇きも空腹もあっという間に満たされた。体がポカポカと温まり、気持ちまでふわふわになった。たっぷりと眠り、たらふくごはんを食べたような満足感を覚える。


 空になった水袋に、少年は赤面した。


「すみません、本当に全部飲んでしまいました…ルシアンさんの分は…」


「問題ない。私はまた、【もらえば】いいだけだ。」ルシアンは優しい口調で答えた。


「少し元気が出たのか?」


「はい、おかげさまで」


 ルシアンは遠い空を見上げた。遠い彼方の地平線から、わずかに明かりが見えてくる。


「もう少しで夜が明けるだろう。君もそろそろ屋敷に戻ったほうがいい。ただ、最後に手短く君に伝えたいことがある」


 ルシアンは少年の肩に手を置き、真剣な眼差し目を合わせた。


「私が信頼している情報源によると、明日の夜、イグナシオがまた君の雇い主を訪ねてくる。ローリとジュリアの状況をみると。薬の調合が上手くいかず、ひどく焦っているみたい。おそらく、また新たな実験台を要求しに来るだろ」


 少し間を置いてから、ルシアンは淡々と続いた。


「その日、私はイグナシオの命を奪いに来る」


 ルシアンの青緑の目の奥が鈍く光り、冷徹な決意のようなものが宿っていた。



ストックが溜まってきたので2回更新しました!


モチベが爆上がりしますので、よければいいねやブクマお願いします!

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