敵国に嫁いだ元王女は強面伯爵に愛され大地を耕す。
元一国の姫、ネモフィラ・フレイ・シーマニア十六歳。
ネモフィラの生まれた国は、大陸の中にある小国だった。
農耕の国が、兵器の製造大国スカビオサに叶うはずもなく……シーマニアは開戦から一年持たず滅びさる。
王と王妃は断頭台の露と消えた。
牢に入れられている間、スカビオサ王女ドラセナ・フォン・スカビオサがネモフィラの様子を見に来た。
「元王女が、人殺ししか脳のない男に嫁ぐなんて惨めですわね。ヘムロック様に色目を使った罰よ。シオンにはあなたを丁重にもてなすように命じてあるから、楽しみになさい」
ヘムロックとはネモフィラの従兄で、スカビオサに属する子爵家の長男だ。ドラセナがヘムロックに惚れているのは貴族の間で有名な話。
従兄と話しただけで恋敵認定され、国を落とされるなんて誰が想像できただろう。
丁重にもてなす、おそらく意味するところは言葉と逆。
奴隷のように扱えと命じたと察せられた。
そして現在、ネモフィラは花嫁衣装を着て結婚式に臨んでいる。
婚儀を眺めるドラセナは、オペラでも鑑賞しているかのような心底楽しそうだ。
ネモフィラの隣に立つのはスカビオサの軍人シオン・イングレス伯爵。
齢は三十二。
とても背が高くて、がっしりした体格、猛禽類のような鋭い眼光をしている。
この結婚はドラセナの命令。
スカビオサ国民であるシオンは逆らうことができない。
ネモフィラは横目でシオンを見上げ、申し訳なくなる。
ネモフィラにもシオンにも、逃げるという選択肢はあたえられていない。
今日初めて顔を合わせる相手と指輪を交換し、夫婦となった。
婚儀が終わった夜。
ネモフィラはイングレス家の屋敷に連れてこられた。
食事を用意してくれたけれど、喉を通らず。
入浴のあと寝室に案内され、夜着を着てキングサイズのベッドに腰を下ろしていた。
夫とは初対面だし、自分が知る者は誰もいない。ここで、やっていけるのか不安だった。
どれくらい待ったのか、シオンが寝室に入ってきた。
部屋はランプの明かりだけだから、表情はよく見えない。
「……シオン様。亡国の女、しかもこんな子どもを妻にするのは貴方にとって不名誉かもしれません。貴方にも本当は想う方がいたかもしれないのに」
頭を下げてシオンの言葉を待つ。
ゴツゴツした大きな手が、ネモフィラの肩に触れた。
「それはこちらの台詞。ネモフィラ様。おれは貴女の国を滅ぼしたスカビオサの人間。それに、貴女より十六も年上だ。仇と結婚するなんて、辛いことだろう」
「え……」
シオンの口からでてきたのは、意外にも労りの言葉だった。
「せめてもの償いに、夫となったおれだけは貴女の味方でありたい」
シオンは猛禽類のような面差しだけど、内面は凪いだ海のように穏やかだ。
ネモフィラは第一印象でシオンを恐れてしまったことを反省する。
「……すまない、震えているな。おれは戦場で生きてきたから、女性の扱いを知らないんだ」
「いいえ……嬉しいです。味方でいてくれると言ってもらえて」
王家に仕えていた人たちも、祖国の民も、ほとんど殺されるか捕虜になっている。
そんな中で、敵国のシオンはネモフィラのために。
ネモフィラの味方をするメリットなんて、何もないのに。
「ネモフィラ様。何か、望みはありますか。おれにできることなら、叶えましょう」
「望み……」
ネモフィラは目を閉じる。
思い起こされるのは、緑に溢れた大地を友と走った幼い日々のこと。
青い草原の香り、木漏れ日は記憶の中に確かにある。
「花の種を、まきたいです。焼き払われてしまった大地に、緑を植えたい」
シオンはじっとネモフィラを見つめ、額に唇をおとす。
「おれは人殺ししかできない男だ。貴女が復讐をしたいと言えば、王族を手にかけることだってできるのに」
「わたしは青々した大地の香りが好きです。何かしたいと思ってくださるのなら、ともに大地を耕し花を植えてくださいませ」
「…………もう、民はいないのに?」
「民はいなくとも、大地は残っています。それに、シーマニアが侵略されたのはこれが初めてではありません。踏み荒らされようと、そのたびに立ち上がってきました」
ネモフィラは語る。
シーマニアは緑豊かで肥沃な大地。
だから幾度となく侵略され、戦場になった。
それでも生き残った民は大地を耕し、種をまき、花を咲かせて今日まで命を繋いできた。
「だからわたしは、先人の意志をついで花を植えるのです。もう国はなくても」
「そう、か。………わかった。貴女が望むのなら、おれも命を育む手伝いをしよう」
シオンは数々の武勲を立ててきた。
返り血で鎧が染まるほど敵兵を切り捨ててきた様から、赤鎧のシオンという異名で呼ばれていた。
イングレスが代々軍人を輩出する家だから、父親と叔父にならい軍属になっただけ。シオン本人は争いを好む性格ではなかったのだ。
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翌日。
ネモフィラは元シーマニア国の土地でシオンの領地に分割された場所に立った。
徹底的に荒らされて土肌むき出し。本当に、何もない。
「奥様。本当に、貴女の手で農作業するおつもりですか」
「もちろん」
「こんなに広いんですよ。全部緑にするなんて、何年かかるか」
シオンの命でついてきたメイドのアネとモネ姉妹は、“奥様は国を失った悲しみのあまり気が触れたのではないか”と心配している。
貴族は自ら土を耕したりしない。そんなのは庭師や農民の仕事だからだ。
ネモフィラは領地の農民から借りたクワやスキを馬車からおろす。
今の服装はドレスではなく、農作業服。
本来なら王女が着るようなものではない。
「そうね。確かに、わたしひとりでは、おばあさんになるまで終わらないかもしれない。だから、あなた達も手伝ってくれると嬉しいわ。種をまくまえに耕さなければならないの。人も硬い寝床では体が休まらないでしょう? 種が喜ぶ土にしてあげないと」
ネモフィラは土にクワを差し込み、固くなった地面をほぐしていく。袖で汗を拭い、何度も土をおこす。
アネとモネは貴族に仕えてきたが、こんな人は初めてだった。
あなた達全部やっておいてと、使用人に丸投げすることもできるのに。
「……はい、奥様。微力ながら、お力添えします」
姉妹は顔を見合わせ、クワを持って耕し始めた。
一日かけて耕していき、最後に種をまく。
「奥様。これはなんの種なんですか?」
「クローバーよ。どんな地でも強く生きられる子たちで、芽吹くのも早いのよ」
「まぁ! 奥様は物知りなんですね」
クローバーは、シーマニアでむき出しの土をおおうグランドカバーとして愛されていた。
クローバーの花シャムロックは、シーマニアの国花でもある。
屋敷に戻ると、もうシオンも帰っていた。
夕食の席に並べられたのはシーマニアの国民食だった。
野菜と牛の肉を柔らかくなるまで煮込んだスープ。
ひき肉を挟んだパイ。
ふたたび食べられる日が来るとは思っていなかったため、ネモフィラは驚きを隠せない。
「今朝、ほとんど食べていなかっただろう。やはり慣れ親しんだもののほうがいいと思って、レシピを調べて作ってもらった。口に合うといいのだが」
「……ありがとうございます、シオン様。みなさんも、ありがとう」
屋敷の料理人とメイドも、お辞儀を返す。
久しぶりに故国の料理を味わった。
入浴のあと寝室で、シオンは話してくれる。
「軍を退役してきた。明日からは領地の運営と、貴女の手伝いをしよう。約束、したから」
「わたしの望みのために、良いのですか? シオン様がどれほど優れた軍人なのか、使用人のみんなから聞きました」
「貴女の夢を後押しすることは、王命で人を切るより、よほど価値のあることに思えるんだ。……戦うことしか知らなかったおれにも、できるだろうか」
不安そうに聞いてくるシオンを見て、ネモフィラは手を伸ばす。
「大丈夫です。だって、貴方はこんなにも優しくて温かいんだもの。命を育むことだってできます」
他人に決められた政略結婚でも、ネモフィラは、伴侶がシオンで良かったと心から思った。
主君の命令を無視して、ネモフィラのために行動してくれている。
ネモフィラは微笑み、シオンと手のひらを重ね合わせる。
シオンは重なった手を、愛おしげに握る。
「貴方と出会えたこと、神に感謝しなければなりません。ありがとう、シオン様」
「こちらこそ、ネモフィラ様。戦い以外でおれを必要としてくれた人は、貴女が初めてだ」
「夫婦なのだから、どうぞフィーとお呼びください」
「……フィー。おれのことも、様をつける必要はない。ただ、シオンと呼んでほしい」
「はい、シオン」
ネモフィラは幸せな気持ちで笑い、シオンの胸に顔を埋める。
シオンもネモフィラを抱き寄せて、壊れ物を扱うように、優しく触れる。
嫁いで二日目、二人は本当の意味で夫婦となった。
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翌日から、シオンは領主の仕事の合間をぬってネモフィラの手伝いをするようになった。
赤鎧のシオンが元王女とともに農業をはじめたという話はすぐドラセナの耳にも届いた。
侍女に用意させたアフタヌーンティーを飲みながら、ドラセナは高笑いした。
「フフッ、ハハハハッ、アーーーッハハハハハハッ!! 元王女が農奴に混じって土いじり! 良いじゃない。泥棒猫にはお似合いよ。…………あぁ、そうだわ、わたくし失念していました。イングレス伯爵に結婚祝いを贈って差し上げましょう」
ドラセナが手を叩くと、控えていた老執事が背筋を伸ばす。
「チャーリー。馬房の馬糞をありったけかき集めて、箱に詰めなさい」
先程の言葉と紐付けるなら、ネモフィラに馬糞を贈れと捉えられる。
老執事も侍女も、一瞬顔をこわばらせた。
「…………馬糞、でございますか」
「この距離で聞こえなかったの、チャーリー? 引退するにはまだ早くてよ」
「私は五十年、スカビオサ家に仕えてまいりましたが、耳が遠くて姫様のお役に立てないのなら、引退も考えたほうが良いのかもしれません」
滅ぼした国の王女を囚え、無理やり結婚させたあげくに贈り物と称して馬糞を送りつける。
そんなことを平気でする人が主であることが、恥ずかしくなった。
王妃はドラセナを産んで間もなく亡くなり、王は昨年、闘病の末に他界した。
ドラセナの暴虐を諌めた人間は牢屋送り。
忠義も揺らごうというもの。
チャーリーは平静を装い、下男に頼んで兵舎の馬房の馬糞を集めて箱に詰めさせた。
準備が整うと、ドラセナは持っているドレスの中でいっとう高価なものをまとい、馬車を出させた。
王室の馬車のやや後ろには、馬糞を詰めた荷馬車がついている。
聞き及んでいたとおりの場所で、ネモフィラとシオン、メイドたちが土を掘っていた。
ネモフィラなんて、農民のような薄汚れた安っぽい服を着ている。
ドラセナはまた笑いたくなるのをこらえながら配下に指示を出す。
下男がヒイヒイ言いながら、馬糞の詰まった箱をネモフィラたちの前に下ろした。
箱から漂う臭いで、開けずとも馬糞だとわかるだろう。
メイドたちは震え、シオンも絶句している。
ドラセナは馬車の窓から言葉を送る。
「泥にまみれた貴女にとてもよく似合う贈り物を用意したわ。ありがたく受け取りなさい」
奴隷のように汚くなったネモフィラを拝めるなんて、今日はなんていい日だろうか。
帰ったらお祝いに極上のケーキを焼かせよう。
「もう用は済んだから、馬車を出しなさい。いつまでもこんなに汚いところにいたら、わたくしにまで臭いがうつってしまうわ」
「はっ」
御者に命じると、馬車はゆっくりと動き出す。
ヘムロックも、あんなに汚くなった元王女に恋心なんて残らないはず。
シーマニア国ももうないし、今度こそ求婚を受け入れてくれると信じて疑わない。
「帰ったらすぐ仕立て屋を呼びなさい。ヘムロック様との結婚式には最高のドレスを作らなければならないわ。資金が足りないなら、その分増税すればいい。国民は、わたくしの結婚を祝う義務がありますもの」
向かいに座る護衛と侍女は、ひきつった表情で頷いた。
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馬糞を送りつけられたシオンは、怒りを通り越して呆れていた。
ゴミをよこされて喜ぶ人間がどこの世にいるだろう。
今日はアネとモネ以外にシオンの元部下も手伝いに来てくれていた。
下級軍人が王族と会う機会なんてないから、対面はこれが初めて。
妙な贈り物をしてきた高飛車な女が自国の王女と聞いて、みんな絶句した。
「……スカビオサ国民であることが恥ずかしいと思う日が来るなんて」
「何を考えているんですあの人! 奥様に対して失礼すぎます!」
アネとモネだけでなく部下たちも憤っている。
ネモフィラもさぞショックだろうと思ってみんなが気遣うが……。
「なんて良質な馬糞でしょうか。さすが王室です」
みんなの予想に反して喜んでいた。
箱にスコップをさして、地面にまきはじめる。
「シオン。これだけあれば土壌改良できますよ」
「…………怒らないのか、フィー」
「馬糞はかなり役に立つ肥料なんです。王女にはいい馬糞をありがとうございます。と伝えなければなりません」
ドラセナは嫌がらせでこれを送りつけてきたのだ。
嫌がらせだと気付かれないばかりか、馬糞のお礼を言われる王女。
想像して、シオンは笑ってしまう。
「どうしたのです、シオン。何かおかしかったです?」
「いや、礼はよしておいたほうがいい。……それにしても、農業とは奥が深いな。フィーから学ぶことばかりだ」
「わたしも、まだ平和だった頃、庭師に教わったのです。世話好きで良きお姉さんだったんですよ」
ネモフィラが庭師と仲良く話す姿は容易に想像がついた。穏やかで人当たりがいいから、城にいた頃も慕われていたんだろうと、シオンは考える。
「わあ! 隊長が笑うとこなんて僕初めて見ましたよ」
「俺も俺も!」
シオンの部下たちも楽しそうに笑う。
「おれはもう軍をやめた。隊長ではないぞ」
「いいじゃないっすか。僕たちもやめてきたから。他の人の部隊なんて体を壊すくらい厳しい訓練させられるんですよ。僕の同郷の幼馴染みは、そっちに配属されて一年持たず帰郷しました」
「そうそう。どこまでもついていきますよ隊長。奥様も面白いし最高じゃないですか」
軍をやめたあとも隊員に慕われるシオンを見て、ネモフィラは温かい気持ちになる。
手分けして馬糞を混ぜながら耕していった。
一週間も経つ頃には初日にまいた種が芽吹いた。
それがみんなのやる気につながり、日に日に手伝いの人は増えた。
前日来てくれた人の兄弟だったり、友だちだったり。
領地の農民も、自分の農地の合間に手伝ってくれる。
そのたびにネモフィラは頭を下げ、お礼を言った。
イングレス領の運営をしつつ、荒れ地を耕すこともする。
いつの間にか、元敵国の王女だと言って遠巻きにする人はいなくなっていた。
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「さぁヘムロック様。今日こそ求婚を受け入れてくださいまし」
ドラセナが屋敷に現れ、ヘムロックは口を歪めた。
ヘムロックを愛するあまりに侍女含め、ヘムロックに近寄る女性を片っ端から排除してきた女だ。
嫌いにならないわけがない。
面倒事を避けるため、いま執務室にいる使用人も全員男性だ。
ドラセナは両脇に護衛の剣士を従えていて、迂闊なことを言えない。
使用人たちも露骨に嫌な顔をしているのに、当のドラセナは気づかない。
何度も求婚を断っているのに、照れていると曲解する脳みそをお持ちだ。
「お断りします」
「なぜですの。ネモフィラはイングレスに嫁いだのです。それに、スカビオサのほうがお金があるし、わたくしは華やかで美しい。なによりも、わたくしは世界で一番貴方を愛しているのです。何が不満なんです?」
ヘムロックは、お前の全部が嫌いだと言おうとして、ギリギリ飲み込んだ。
「そもそもネモフィラはただの従妹で、恋仲だったことなんてないんですが」
「まぁ。強がらなくていいんですのよ。すべてわかっていますわ。もう婚儀のための衣装を仕立てておりますの。ヘムロック様もご準備くださいませ。国中の貴族を招待しませんと」
会話が成立しなくて、ヘムロックは血が滲むくらい拳を強く固めた。
スカビオサは大陸で一番規模の大きな国。
ドラセナの機嫌を損ねれば、領地は世界地図から消える。シーマニア王国のように。
かといって機嫌取りのために結婚してしまえば、ドラセナは今後も自分のわがままが何でも通ると思いさらにつけあがる。
断りたいのに、断れば死ぬ。
最後に残った血縁のヘムロックまで殺されてしまったら、ネモフィラの心痛は計り知れない。
執事と目配せをして、ヘムロックは慎重に答える。
「今日は一旦お引き取り願えますか。準備がありますので」
「準備! ええ、そうね。そうですわよね。楽しみにしていますわ!」
ドラセナは軽やかな足取りで屋敷を出ていく。
嵐が過ぎ去り、使用人たちは盛大なため息を吐く。
「皆、すまない。ぼくがあの人に気に入られているばかりに……」
「謝らないでください。ご主人様は何も悪くないです。私どもは知っています。逆らえばここにいた全員の命がなかったでしょう」
悩み抜いた末、ヘムロックはスカビオサ国内で、とくに口がかたい貴族に連絡を取った。
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ネモフィラとシオンが結婚して半年。
ドラセナから国中の貴族に、結婚式の招待状が届いた。
新婦はドラセナ。
新郎は、ヘムロック。
ネモフィラの記憶では、ヘムロックはドラセナのことを毛嫌いしていたはず。
何がどうして結婚に至ったのか、不思議でならなかった。
ドラセナから届いた招待状とは別に、ヘムロックから「心配するな」と一言だけ書かれた短い手紙が届いていた。
従兄の結婚を祝わないわけにはいかないため、ネモフィラはシオンとともに結婚式に参列することにした。
ネモフィラはシオンの腕に手を添え、参列した貴族に挨拶をしてまわる。
ヘムロックが求婚を受け入れたことに驚いている人ばかりだ。
式が始まり、ヘムロックとドラセナが入場する。
拍手はまばら。祝福の声も上がらない。
何がドラセナの神経を逆なでするかわからないから、みんな余計な口をきかないのだ。
ドラセナは満面の笑顔で、この世の贅のかぎりを尽くしたきらびやかなドレスに身を包んでいる。
最高級の白いシルクに、銀糸で刺繍がほどこされている。
砕いたダイヤモンドが散りばめられ、太陽光が当たるたび七色に輝く。
ティアラにもイヤリングにもブレスレットにも、これでもかと大粒の宝石が埋め込まれていた。
ドラセナとは反対に、ヘムロックは黒いタキシードだった。
高級な素材ではあるのだろうが、飾りけのかけらもない。けばけばしいドラセナとアンバランスだった。
ネモフィラの前を通るとき、ドラセナは視線でネモフィラの頭から足先まで眺めて鼻で笑った。
そして祭壇への階段を上がっていく。
「汝、ドラセナ・フォン・スカビオサ。貴女は病めるときも健やかなるときも、終生変わらず新郎を愛することを誓いますか」
「もちろん、誓いますわ!」
ドラセナは教会の外にまで響く大声で答える。
神官は次に、ヘムロックに問いかける。
「汝、ヘムロック・ローエングリン。貴方は病めるときも健やかなるときも、終生変わらず新婦を愛することを誓いますか」
ヘムロックは答えない。
参列した人たちがざわめく。
「ヘム、ロック、さま?」
ドラセナも不安そうに、ヘムロックを見上げ…………その口から、血が吹き出した。
ヘムロックが、タキシードの上着に忍ばせていたナイフをドラセナの左胸に突き立てたのだ。
真白なドレスは赤く染まっていく。
ドラセナの体は床に力なく倒れた。
階段下にいた兵士が階段を駆け上がろうとするのを、参列していた騎士が切り捨てた。
ヘムロックと志同じくする、ドラセナの悪政に反対していた者たちだ。
参列者たちは逃げることも騒ぐことも忘れ、ただただ立ち尽くす。
ネモフィラは目の前で起きたことが信じられず、動けなかった。ネモフィラの肩をシオンが支える。
ヘムロックはナイフを何度もえぐり、深くドラセナの胸にねじ込む。
「誓うものか。ぼくがいつ、お前なんかと結婚すると言った! 今日、この時のために、準備していたんだ。お前の葬式をするために!!」
スカビオサ王族の結婚式は、新郎新婦と見届け人の神官、三人だけで階段上にある祭壇の前に立つことになる。
神官はドラセナが血を吐いているのに顔色を変えない。
つまり、最初からドラセナが刺されることを知っていた。ヘムロックの仲間だ。
周囲に護衛がいなくなるこの時間を作るために、求婚を受け入れたふりをしていた。
「どうし、て」
「お前は、シーマニア国王夫妻……ぼくの伯父と伯母を殺した。母上の祖国を滅ぼした。お前を好きになる要素がどこにある。ぼくに、愛してると何度も言っていたが、お前が本当に好きなのは自分だけだろう?」
ヘムロックのタキシードは返り血で赤く染まっている。
護衛の兵は全員ヘムロックの私兵に切られて倒れた。
「スカビオサの諸君。これでスカビオサ最後の王族は死んだ。この先どんな国にするかは君たち次第だ。ぼくはもうスカビオサのために何かしようとは思わないから、失礼するよ」
ヘムロックは宣言し、神官と階段を降りる。
そしてネモフィラの前で立ち止まった。
「ごめん、ネモフィラ。ぼくは祖国を失って、君のように前向きになれなかった。この半年ずっと、あの女を殺すことだけ考えていた。軽蔑されると思う」
「…………いいえ、ヘムロック。わたしは、シオンが支えてくれたから前を向けただけ。ヘムロックを軽蔑なんてできない……」
ネモフィラも、支えてくれる人がいなかったなら、ヘムロックのように憎しみに飲まれていた。
「イングレス伯爵。ネモフィラを、幸せにしてやってください。ぼくに残された最後の家族なんです」
「……はい。必ず」
シオンは敬礼し、ヘムロックと約束した。
主を失ったスカビオサ王政は崩壊し、残った臣下たちの中から代表を選出。
王制から大統領制になった。
ヘムロックと反乱の仲間が罪に問われることはなかった。ドラセナの悪政に反発する者が多かったため、民からは英雄視されている。
そして、シーマニアは返還された。
ネモフィラは唯一残った王族として、シーマニア復興の旗頭となった。
女王ネモフィラと王婿シオン。
王になっても、ネモフィラは政務の合間に大地を耕し荒れ地を緑にしていく。
ヘムロックは王政改革が落ち着いてから、両親の墓参りに来てくれた。
今は自分の領地で領主として静かに暮らしている。
月に一度、無茶しないよう、ネモフィラの体調を心配する手紙が届く。
ネモフィラも、無理はしないでと手紙を返す。
シーマニアについてきてくれたアネとモネも、生活を支えてくれる。
シオンの部下だった青年たちは側近となり働いてくれている。
久しぶりの何もない休日、ネモフィラはシオンと城下におりていた。
二人で最初に耕したあの場所だ。
戦後荒野だった場所は、今では見渡す限り青い大地になっている。
ネモフィラは両手を広げて走り、思いきり深呼吸する。新緑の香りが心地良い。
「シオン。ほら、シオンも命を育むことはできるんです。あの日はまだ土肌むき出しだったのに」
「ああ。ありがとう、フィー。おれにも、人を殺める以外のことができるとわかった」
シオンは跪いてネモフィラの手の甲に口付ける。
「フィー。あのときは王家に決められた結婚だったから、改めておれから言わせてくれ。ネモフィラ、愛している。これから先もずっと伴侶でいてほしい」
「はい。わたしも、ずっとずっとシオンと一緒にいたいです。これからも夫婦でいてください」
二人は花咲く丘で、誓いの口づけをかわす。
END