惑星ヒボアカーヌ宇宙港街のサウナと劇場へのご案内
惑星ヒボアカーヌの住人はシュールな笑いを好むので、そこんとこよろしく。そんな興行主からのありがたいアドバイスに基づいて座付き作家や出演者たちと打ち合わせしようと考えていたマネージャーのカンアナエは、座長のヒューヒューヒューズカムの姿が見えないことに気付いた。どこにいるかと探したら、劇場の近くのサウナに向かったとのタレコミが複数の従業員たちから寄せられた。遊びに行くのは芝居が跳ねてからにしろと前に注意したのに、とぶつくさこぼし若手の劇団員に連れ戻してくるよう言うと誰もが嫌がる。途中でサウナから出ると座長は不機嫌になり舞台の上で嫌がらせをするのだという。
この小劇団に加わって間がないカンアナエは座長ヒューヒューヒューズカムの人柄を詳しく知らない。この話を聞くと好ましくない人間に思える。そうだとしたら、こちらもそれなりに接するまでだと彼は考えた。
「それじゃ俺が迎えに行く」
劇場を出る。宇宙港街の雑踏を掻き分けて歩きサウナが入居しているビルに入る。サウナその他の入浴施設は上層階にあった。エレベーターで昇るかエスカレーターで上がるか考えている間に、下りのエスカレーターからヒューヒューヒューズカムが下りてきた。愛用の浴衣姿で、さっぱりとした顔で、カンアナエを見ると元気よく「おう」と手を挙げた。
カンアナエは眼鏡を外してレンズが汚れていないことを確認して、再び眼鏡を掛け直した。それから首を傾げて利き腕の右手で右耳を掻く。
「座長、あんたの背中に、何かついてる」
「んあ?」
「ん、説明しにくいんだが、あんたの背中に目玉がいっぱいの黒い影がある」
「え、マジ?」
「鏡を見てよ」
カンアナエはビルの入り口付近にある鏡に自分の姿を映した。
「いるね」
「いるよ」
「どうしよう?」
「わからんよ」
「取ってよ」
「嫌だ、自分でどうにかしろ」
ヒューヒューヒューズカムは体を揺すったり飛び跳ねたり壁に背中をこすりつけたりしてみたが、背中に乗っかっている何かは落ちない。
「取れないよ、手伝ってよ」
半泣きの座長に乞われカンアナエは入り口に置いてあった箒で背中の何かを突こうとしたが、その黒い体を箒は突き抜けるだけで手ごたえはなかった。
「座長、これ無理だわ。取れんもの」
とりあえず二人は劇場へ戻った。その途中、何人かの通行人はヒューヒューヒューズカムの背中にある目玉お化けが見えているようで、怯えた顔を明後日の方向へ向けた。座長の背中に乗っかった何かを見ることができる人間は劇団員の中にもいた。それらの人間にも取り除くことはできなかったし、正体もつかめなかった。
劇場の支配人は目玉の怪物をみることができなかったけれど、そういう変な物の対処法は知っていた。恐怖のために冷え切った空気を温めようとしているかのように、元気よく動き出す。
「お祓いが得意な奴を呼んでくる」
人間が宇宙に進出して数千年が経過しているのに、幽霊みたいな何かが存在し、そのお祓いをやっている人間がいるのだな……と座長とマネージャーが呑気なことを言っていたら、お祓いをする人が来て一目見るなり「私には無理です」と言って帰ったので空気が再び冷えてきた。
そのとき騒ぎを聞きつけた興行主が劇場へやってきた。目玉だらけの黒い何かを見て、彼女は言った。
「これをネタにして、シュールな芝居をやって。きっと笑いが取れるわ」
座付き作家が聞き返した。
「本気ですか? それで笑えますかねえ。見えない人間もいますから、観客全員が見えないとインパクトが」
「何とかなるわ、やって」
興行主の命令には逆らえない。座付き作家は急遽、新作の台本を書き上げた。
「背中に何か付いているけど気が付いていない男のコメディーです。シュールな味わいに仕上げました」
そのコントの練習を繰り返しているうちに、いつのまにか皆、それに慣れた。最初は見えなかった連中まで見えるようになったそうで、王様の耳はロバの耳というか、鰯の頭も信心からというか、まあ、そんなところだ。自分の背中に乗っかられている座長は気持ち悪いと不満を述べていたが、どうしようもないまま芝居の本番を迎えた。
観客たちは座長の背中に載っている何かが見えていた。それが何なのか、そこは分からない。何なのか知らないけれど芝居の演出だと思っている。だから、彼らの好むシュールな笑いだと認識したようで、そこそこウケた。
コント芝居は評判上々で劇場は大入り満員が続いた。旅芸人のコント集団には過剰とも思える評論家たちの賛辞が捧げられ、これも観客動員に貢献した。
いいこと尽くめに思えるが不満を持つ者がいた。座長である。
「これは自分のやりたい笑いじゃないんだよね」
「座長、なに言ってんすか(笑い)」
「背中のアレと、おさらばしたいんだ」
「またまた(笑い)」
「こいつが元いたサウナに戻したいんだよ」
「やめてください(迫真)」
劇団員たちは座長の苦悩に向き合わなかった。しかし、マネージャーのカンアナエは違った。
「やっぱり、それは嫌なんですか?」
「まあね。金にはなるけどさ」
「宇宙旅行が一般的になるくらい文明が発達しているんですから、映像処理で見えなくして、それで別の芝居をやってみるってどうでしょう? 客は入らないかもしれませんけど」
「でも、それ、やってみたい」
興行主も劇場の支配人も反対したが、座長の希望が通った。クロマキー合成っぽい手法を使えば何となりそう! と座長は喜んだ。しかし共演者の反対意見が出て、座長の望みはかなわなかった。
その背中に乗っている黒い何かが、いっぱいついている目玉から大粒の涙をポロポロ流しながら関係者一堂に目で訴えかけるので、やりにくくなったのだ。
そのため今も惑星ヒボアカーヌ宇宙港街の劇場では、背中に黒い何かを背負った男のシュールなコントが演じられている。