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ショート日本の歴史

ショート日本の歴史物語 第3回井上聞多(馨)

作者: よしだともじ

 長州藩士の井上もんたは同じ長州の高杉晋作や久坂玄瑞たちとの待ち合わせ場所に

急いで向かっている。

文久2年西暦1862年12月 夜 胸には大きなおにぎりほどの火薬を2つ、忍ばせている。


リーダー格の高杉晋作が急に品川御殿山に建設中のイギリス公使館を焼いてしまおう

と言い出したのが始まりである。

一斉に公使館建設現場に侵入 火付け役は役割を終えると皆逃げ出した。 が

聞多が振り返って火元を見るとどうも火が弱々しい。

聞多はいったん戻り、板戸をけ破り火の上に組んだ。 火災を知らせる半鐘が

鳴り出した。すでに同志たちは逃げてしまっている。 

聞多も急いで逃げたが、飛び込んだ堀が余りに深かった。

が、溜まった泥がクッションになり、助かり、

どろだらけのまま逃げ回り、どうにか高輪の引手茶屋に逃げ込んだ。


翌日、聞多は? と晋作が心配になり引き返してみると高輪の茶屋で

女と一つ布団の中 寝たばこを吸っている。

あーまったく不思議な奴 と半分呆れその場をあとにした。


今回の主人公は井上聞多 もしくは明治以降の名前 井上薫といえばご存じの方も

いるでしょうか。

明治時代の内閣で重要なポストを歴任し同僚の伊藤博文と明治維新後の政府を

けん引していく男です。 この井上聞多。伊藤とともに青年のころは尊王攘夷に感化され

高杉晋作らと暴れまわっていた連中の一人です。

聞多という奇妙な名前。長州藩主の毛利敬親がつけてくれた名前です。

藩主あこのキカン気で可愛げな性格を大変に愛していたが、一方とびっきりの

物知りであることに関心して、今日から聞多と名乗れ と言ってくれたのが始まりです。


その聞き耳の速さで長州藩の上層部がイギリスに何名かの青年を密航させる企てを

耳にします。 尊王攘夷で藩を挙げて大騒ぎしている長州藩が平行してイギリスに

何名かの留学生を密航させようとしているのですから、この長州藩、なんとも得体のしれない凄みみたいなものを感じずにはいられません。

もちろんのことながら、尊王攘夷で大暴れしている聞多や伊藤などメンバーに

選ばれるはずもないのですが、この二人、どこで聞いたのか、執政の周布正之助に

談判しメンバーに入り込みます。

ところが、この二人、イギリス留学前に藩から渡された大金の留学費用、

飲めや食えやで一晩で全部使ってしまい、翌日、お金の工面を軍務顧問だった

大村益次郎にお願いしています。

苦虫をかみつぶしたような益次郎の顔が目に浮かびます。


イギリス密航メンバーは山尾ようぞう、井上勝 遠藤金助 そして聞多と伊藤の五人。

前の三人は明治維新後、この留学経験を生かして各方面の長として活躍します。

しかし、聞多と伊藤だけはこの3人とは違う行動をとります。


留学中のある日 長州の下関海峡にて外国の船舶に向かって攘夷 攘夷と叫び

大砲を打ちかける長州藩に対し、各国が連合艦隊を組み戦闘行為に入るという

ことを聞きます。


聞多と伊藤は攘夷をすぐにでも辞めさせねばと帰国を急ぎます。

他の3人はこのまま、外国の技術を学ぶべきではないかと 制止しますが

聞多と伊藤は聞きませんでした。彼らの留学は約6か月で中途半端に終わります。


しかし、その行動により二人は歴史に参加することができ、留まったものは

単に西洋仕込みの知識人で終わることになります。

このあたりが、歴史に名前を刻むものの違いかもしれません。


さて、日本へ舞い戻った聞多ですが、すでに連合艦隊に下関を占領された後、

高杉晋作が和平交渉の代表になり、伊藤俊介とともに随行します。 

当時のこの3人 すでに外国を見てしまい、心の中では攘夷はとっくに捨てています。


まずは開国して列強の技術を習得すべし と藩主に訴えています。しかし

それが気に食わない欲論党、 欲論党とはこのままだと長州はつぶされてしまうと

徳川幕府に従うことを良しとした集団ですが、高杉晋作はさっさと九州に逃げてしまいますが、逃げ遅れた聞多は、その一味に襲われてしまいます。

50針も縫う大手術でどうにか持ち直しますが、その欲論党の命令で謹慎処分となってしまいます。


長州藩はこのまま欲論党主体で最終的に幕府びつぶされてしまうと思われたとき

天馬のごとく戻ってきた高杉晋作が革命の決起を起こします。聞多も伊藤とともに

晋作と強調し、一気に長州藩を開国、富国強兵へと導いていき、その後薩長同盟

討幕、明治維新へと繋がっていきます。

明治が始まり、聞多は薫と名を改めます。

明治の政界、財界の重鎮となり毎時政府を伊藤俊介改め伊藤博文とともに

けん引していきます。


この聞多、どうもお金に対して公私の区別が天性で持ち合わせていないらしく

明治政府でも汚職事件など頻繁におこし、更迭されたりと悪評が絶えませんでした。


しかし この聞多 井上家は高級官僚階級であったにも関わらず、下級武士であった伊藤俊介を親友としていつも接したり、藩主の敬親には性格を愛され、明治維新後の

汚職事件では、西郷隆盛に三井の番頭さんとからかわれたり と周りにとても

親しまれる性格の持ち主だったようです。

最後には、明治維新を成し遂げた重鎮として、従一位大勲位公爵を授かっています。


いかがでしたか。この時代の産物と言える人物。決して派手ではないのですが


明治維新を成し遂げ、明治政府をけん引してきた人物の一人として紹介してみました。

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