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猫伯爵の結婚事情

作者: 安崎依代

 昔々、ある所に、

 見目麗しい双子の兄弟がおりました。


 伯爵家の子息として生まれた二人は、

 幼い頃から支え合い、

 切磋琢磨して、

 立派な青年になりました。


 頭も良く、優しく、

 武芸にも優れ、優雅な双子伯爵を、

 領民達はそれはそれは慕いました。


 兄伯爵は領地に住んでいた魔女に

 うっかり呪いをかけられて

 猫の姿になってしまいましたが、

 それでも領民達の敬意は変わりません。


 双子伯爵は

 父伯爵を補佐してよく領地を治め、

 健やかに暮らしましたとさ。


 めでたしめでたし。




「……って! 何が『めでたしめでたし』なのよぉぉぉぉおおおおおっ!!」


 向かいのソファーに座ったマリアンヌが淑女にあるまじき絶叫を上げる。見事な腹式発声を(たた)えるかのように室内の装飾品がビリビリと震えた。


「むしろ逆に訊くけれど。どこがめでたしじゃないって言うんだい?」


 音の暴力が吹き荒れる中、一人平然としていたアルフレッドは無表情のままマリアンヌに問いかける。


「思いっきり『呪い』って言ってる時点でめでたしじゃないわよっ!! おまけに何よ、うっかりってっ!! 呪いなんて『うっかり』かかるものじゃないわよっ!!」

「仕方がないじゃないか。耄碌した森の魔女が、道端の小石につまずいた拍子に『うっかり』呪いをかけてしまったのだから」

「なんで悪役の代表がそんなに簡単に耄碌するのよっ!! それにっ!!」


 マリアンヌは息の続く限り叫ぶと、ビシッとアルフレッドの膝の上を指差した。


「いまだもって呪いが解けていないっていうのに、何が『めでたしめでたし』なのよぉっ!!」


 ソファーでくつろぐアルフレッドの膝の上には、さらにくつろいだ様子で一匹の猫が収まっていた。


 毛並みはアルフレッドの髪と同じ銀色。瞳もアルフレッドと同じ青色。首に巻かれているのは、今日アルフレッドが締めているものと同じ、青色のタイ。アルフレッドがタイピンを使っている代わりに、猫はタイの結び目にリリンッとよく響く銀の鈴をつけている。


「いや、フレディーがこの姿を気に入っているんだから、『めでたしめでたし』でいいだろう」


 猫の名前は、フレデリック・ルーク・アルヴァンシュタイン。


 アルヴァンシュタイン伯爵家の長男にして、アルフレッド・ヴィーグ・アルヴァンシュタインの双子の兄、その人である。


「めでたくないわよっ!! 私の結婚式はどうなるのっ!?」


 フレデリックの許嫁であり、二人の幼馴染でもあるマリアンヌ・ラッセル・クラヴィアーノ侯爵令嬢は、バンッとテーブルに手をつきながらアルフレッドの方へ体を乗り出す。


「私、もう18歳なのよっ!? 早くフレディーに人間の姿に戻ってもらって結婚式を挙げてもらわないと、あっと言う間に行き遅れになるじゃないっ!!」

「挙げればいいじゃないか。猫の姿でも」

「そんなの嫌よっ!!」

「じゃあ、とりあえず僕と結婚式を挙げればいい」

「はぁっ!?」


 アルフレッドの言葉にマリアンヌは思わず絶叫した。驚きすぎて、絶叫した後にさらにむせ込んだ。


「フレディーと僕は実の両親でも見分けがつかないくらいそっくりだし、同じ伯爵家の人間だ。どうせ僕と結婚してもフレディーと結婚しても、環境はあまり変わらない。僕は結婚しても君に手を出すつもりなんてさらさらないし、とりあえず僕をフレディーの代役として式だけ挙げておけばいいんじゃない? あとは好きなようにフレディーとすごしてもらえば」

「もっ……問題はそこじゃないわよっ!!」

「? だって、早く結婚したいんだろう?」

「私が好きなのはフレディーなのっ!! アルじゃないっ!! 結婚式はフレディーと挙げなきゃ意味がないのっ!!」


 マリアンヌは全力で叫ぶとキッとアルフレッドを睨みつけた。だがアルフレッドの表情は変わらない。相変わらず、何を考えているのか分からない無表情のまま、マリアンヌを見上げている。


「私はフレディーが好きだから結婚したいのっ!! だからフレディーとじゃないと意味がないのっ!! ただ結婚したいだけなら、お父様が山ほど持ってくる縁談話を片っ端から断ってなんていないんだからっ!!」


 マリアンヌが鼻息荒く言い捨てた後も、アルフレッドは何も言わない。ただ無言でマリアンヌを見つめる。


 数秒の沈黙。


 その間にマリアンヌは、ようやく自分が何を口走ったのか理解したらしい。


「なっ……、なっ……! な……っ!!」


 ジリジリと顔の温度を上げたマリアンヌの頭上から、プシューッ!! と勢いよく湯気が上がるまでに、そう時間はかからなかった。


「淑女に何ってことを言わせてるのよぉおおおおおおっ!!」


 脱兎の勢いで駆けだしたマリアンヌがアルフレッドの視界から消えるのにかかった時間はものの数秒。ダダダダダッというすさまじい足音の向こうから『ごきげんようっ!!』と叩きつけるような辞去の言葉が聞こえてくる。


「……あんなに高いヒールで、よくあんな風に走れるよね」


 相も変わらず無表情にマリアンヌの行く先を眺めていたアルフレッドは、膝の上にいる兄の毛並みを()きながら小さく呟く。


「ねぇ、フレディー」

『元気なことはいいことじゃないか、アル』


 その呟きに、猫が答えた。気持ち良さそうに閉じていた瞳が、片方だけ開く。


「ねぇ、フレディー。どうしてマリーの前では『にゃあ』しか言ってあげないの?」


 猫はアルフレッドとまったく同じ、耳に心地よいバリトンの声で喋っていた。だが相変わらずアルフレッドの表情は動かない。


「というよりもそもそもその呪い、とうの昔に自力で解いているんだよね? あんな耄碌した魔女に負けるほど、魔法使いとしてのフレディーの腕前はヤワじゃないでしょ。どうしていつまでも猫の姿でいるの?」

『この姿の方が、面倒が少なくていいだろう?』

「だからこれ幸いと、猫の姿で高みの見物? ……またそうやって、面倒なことは全部僕に押し付けるんだね」


 フレデリックがこの姿になるまで、社交の場に出れば二人はいつも御婦人方に囲まれていた。『月の貴公子』と呼ばれる美貌の伯爵が二人も並んでいれば御婦人達の方が放っておいてくれないわけだが、とにかく双子にとっては毎度毎度自分達の周りにできあがる壁が鬱陶しくて仕方がなかった。


 特にフレデリックの方は、心に決めた女性が……マリアンヌがその壁に怖気づいて公式の場ではほとんど近付いてきてくれないことに、(はらわた)が煮えくり返る程の殺意を周囲に向けていたことをアルフレッドは知っている。残念なことにその殺意はアルフレッドにしか感知できていなかったようだが。


『王家の姫君方だって、まさか猫を夫に迎えようとは思わないはずだしね』

「……僕は、どうすればいいのさ?」

『アルには許嫁も、守りたい女の子もいないんだろう? それに、自力で何とでもするだろうし』

「できなくもないけれど、面倒くさいよ」


 アルフレッドが溜め息をつくと、フレデリックは喉の奥で笑いながら床へ下りた。ふよりとしっぽを泳がせながら歩く優雅な姿を視線で追うと、サファイアのような瞳がアルフレッドを振り返る。


「……僕はマリーなんてじゃじゃ馬、女の子には見えないけどさ。フレディーにとっては、幸せにしたい唯一の女の子なんでしょ?」


 外見は見分けがつかないくらいにそっくりでも、双子伯爵の中身は大きく違う。それを見抜いているマリアンヌは、昔から一度たりとも二人を見間違えたことはない。


 そしてマリアンヌは、自分からフレデリックに恋をした。


 きっかけは、家同士が決めた婚約だったかもしれない。だけど今のマリアンヌは、自分の心で、フレデリックに恋をしている。


 そんなマリアンヌを、フレデリックが大切に想っていることを、アルフレッドはきちんと知っている。フレデリックが偶然を装って、あえて自分から魔女の呪いにかかったことも。自力でその呪いを破る技量を持っていながら、この一年、猫の姿でい続けた、その理由も。


「……今度マリーの所にくる縁談、いくらマリーがじゃじゃ馬で鳴らしていても、蹴れる相手じゃないよ」


 だからアルフレッドは、マリアンヌに真実を伝えていないし、フレデリックにああしろこうしろと言うつもりもない。


 人の恋路を邪魔する者は、すべからく蹴られて痛手を負うのだから。


「ねぇ、フレディー。『めでたしめでたし』は、いつになりそう?」


 無表情の裏で策略を張り巡らせる双子伯爵の弟こと『腹黒伯爵』は、己の片割れにしか見せない黒い微笑みを浮かべながら問いかける。


 対して、笑顔の裏で人知れずに魔法を操る双子伯爵の兄こと『魔法伯爵』は、ふよりとしっぽをそよがせると答えた。


『ん~……?』


 そのしっぽが霧のように消え、煌めくサファイアの瞳がアルフレッドの目線よりも高くなる。


「……もうそろそろ、かな」


 アルフレッドと同じ顔でにこりと笑ったフレデリックは、タイに結んだ銀鈴をリリンッと鳴らしながらドアの向こうへ消えた。


 パタン、とドアが閉まると、応接室は静寂で満たされる。


「……もうそろそろ、ね」


 フレデリックの言葉を受けたアルフレッドは、小さく呟くとソファーに体を投げ出した。


 もうそろそろ、とフレデリックが言うのだ。結婚式は早ければ半年後、といったところだろうか。


 自分ほど腹黒でなくても、フレデリックは自分と同じくらい優秀で、同じくらい策略家なのだから。


「良かったね、マリー。行き遅れになりそうになくて」


 でも嫌だなぁ、マリーを『義姉さん』なんて呼ばなきゃいけないなんて、という呟きは、誰の耳にも届くことなく空気の中に溶けて消えた。




《END》

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