吸血姫を殺したと思った男が吸血姫に変身して人格も乗っ取られてしまう話
「はぁ……はぁ……やっ、やったッ……!」
薄暗い屋敷に、男の声が響く。荒く息をする男の手には、銀色の杭が握られていた。
手前にはサラサラとした砂のような灰のようなものが積み上がっている。おそらく、男が倒した吸血鬼の残骸だろう。
「はぁ……はぁ……お、俺だってなぁ、やればできるんだよ……!」
男には必死な表情が浮かんでいる。ボロボロのローブを羽織った怪しい身なり、乱暴な口調からして、彼には心身ともに余裕がないことが伺える。
彼は、麓に住む村人に言われたことを思い出す“やめておきなされ、無意味なことよ……”しかし、自分は成し遂げた。その事実が彼を高揚感に浸らせていた。
「さあて、屋敷の中を散策してや――うっ?!」
ドクン、と心臓が高鳴る。
「うっ?!なっ、なんだ!?体が……熱いっ……!」
熱病にうなされたかのように全身がほてり、思わず膝をついてしまう。
「っ?!かっ、髪が?!」
膝をついた彼の視界に入ったのは、だんだんと伸びていく自分の髪。先ほどまでは短髪だったのに、あっという間に床につくようになり、その金糸が床に散らばっていく。
「あっがっ?!」
ゴキゴキと不快な音が鳴り、全身の骨格が矯正されていく。顔は小ぶりなものに、背はやや低く。
「なんっ、俺っ、変わって――っ?!」
声も段々と高くなっていく。のどに触れると、そののどぼとけがだんだんと消えていくところだった。
「あっ?!んっ?!くっ!?はあっ……!」
肉付きが女性のものへと変えられていく。胸と尻が膨らんでいき、腰はくびれていく。男のモノはどんどんと小さくなり、やがて体内へと吸い込まれていった。代わりにできたのは、女性らしい股の割れ目である。
未知の感覚が次々と彼を襲い、およそ男とは思えない声が漏れてしまう。
そして、彼の着ていた服は一瞬の光とともに消えていった。
「――へ?!」
一瞬で裸になったこと、完全に女性の肉体であることに彼が戸惑っていると、砂の山が静かに動きはじめた。
風もないのにさらさらと宙を舞い、彼……否、先ほどまで彼であった体をまとっていく。
それは豪奢なドレスへと変わっていく。気品を失いながらも、若干胸が強調され、また大胆に背中が開いているなど妖艶さも兼ね備えられている。
「いぐっ?!せな……かがぁ!」
肩甲骨のあたりから黒い何かがボコボコと盛り上がってくる。それは蝶が羽化するときのごとく、ビキビキと皮膚を破り、バサリ……と一気に飛び出た。
「っあああああああ?!」
痛みと快感を同時に味わい、彼が悶絶する。
「はぁ……はぁ……こ、この姿って……」
思わず、近くにあった姿見を見てしまう。いつの間にやら瞳は赤く染まり、耳も尖っている。それは、先ほど自分が倒したはずの吸血姫の姿であった。
「そんな……俺がこんな姿に――おれ?」
ボウ……と紅い瞳が光ると、自分の口調に何か違和感があった。
「おれ、じゃなくてわたし……わたし?いや何言ってんだ、俺は吸血鬼を探して――」
姿見の中の姿を見つめると、彼の自意識がだんだんとおぼろげになる。すでに魔眼による能力が発動しているとも知らず、彼は姿見に吸い寄せられていく。
「吸血鬼――そう、私は吸血姫、この城に暮らしている。ん?なんだ、おかしいぞ……?」
男が違和感に気づいたときは、すでに手遅れだった。
「誰だっ?!わた――俺を消そうと――いやっ、やめ――」
“消えなさい”
「――っ」
頭の中に聞こえた声を最後に、彼の意識はぷつんと途切れ、床に倒れた。
「……ふう」
しばらくして、彼――否、彼女が立ち上がる、
服を払う仕草はこなれており、表情も落ち着いている。
「まったく、この男がしぶとく抵抗したせいで同化に時間がかかっちゃったわ」
その口調は淑女然としたものであり、人格が完全に置き換わってしまったことを表していた。
彼女の名はヴァーミリオン、吸血姫であるが、人を吸い殺すなどということはせず、むしろ人間から血を与えてもらう代わりに森の魔物を追い払っている善良な吸血姫だ。
だから、麓の住人で彼女に手を出す者などいない。そんな禁忌を犯すものは余所者しかいない。
彼女も弱いわけではない。しかし、殺すよりももっと有効活用できないかと考えた結果が、一度やられたふりをし、襲撃してきた人間の人格を乗っ取る術を使う、というものであった。
「人間を乗っ取るのは久しぶりだし、何かいい情報はないかしら……」
彼女は、今しがた乗っ取った男の記憶を再生する。しかしながら、村の様子など彼女が知りたい有益な情報はあまり残っていなかった。
「う~ん……余所者だし、期待はしていなかったけれど、残念ね」
そういうと、彼女は姿見に姿を映す。
「ふふん、この姿もわりといいじゃない。特に、この綺麗な金髪は夜には映えるわね」
満足げな表情をしている。普通の吸血鬼であれば鏡には映らないはずだが、彼女は格が高く特別な存在であるため、鏡にも姿が映るのだった。
彼女はごきげんな様子で屋敷を出る。いつの間にか、空には月が登っていた。
「散歩がてら、町を周ってみるとしましょう」
蝙蝠の羽根を大きく広げ、バサッ……!と大きな音を立て、彼女は麓へと飛び立っていった。




