婚約
庭園を後にした俺達が屋敷へ戻ると丁度父とウエスト公爵が食堂へ歩いている後ろ姿を発見した。
父親であるウエスト公爵の姿を見つけたフィリアが俺の手を引いて早足で歩く。「お父様」と弾んだ声を上げて俺の手を離し公爵の腕に抱き着いたフィリアは満面の笑みで宣言をした。
「私、ファル様と結婚する!」
「「「は?」」」
その場にいたフィリア以外の俺を含めた3人が固まった。
フィリアの言葉にウエスト公爵は驚いたように目を瞠り反射的に俺に厳しい視線を向けてくる。
いや、俺だってめっちゃ驚いています……。でも行動力のあるリアも可愛い。そしてかなり嬉しい。だがこの状況はちょっとマズい。
ウエスト公爵の警戒と怒りが交じった鋭い金色の瞳に、フィリアが父親に大切にされていることがよくわかった。よくわかったがこれは非常にマズい。
俺はすぐさま人畜無害な微苦笑を浮かべ『驚きましたが、お嬢さんが望むならば俺に異存はありませんよ?』という顔をする。
ここで俺が率先してゴリ押ししたら変態の烙印を押されリアとの結婚が危うくなるから注意だ。そうなったら当初の考え通り攫うしかない。それは最終手段だ。
驚愕と少々困惑の混じった俺の絶妙な笑みにウエスト公爵は警戒を解いたがその口元は引き攣っていた。
「ハハハ……フィーはヒュファル殿がとても気に入ったようだね」
「うん! ファル様はとっても優しくて一緒にいると楽しくて、格好よくて大好き! だから結婚したい! ファル様もいいって言ってくれたもん!」
ああ、今日は俺の人生最良の日だ。もうロリコンでも何でもいい。
突然の成行きに呆然としていた父が俺の恍惚とした表情を見てギョッとし一気に青褪めアイコンタクトで詰問してきた。
『ヒュファル‼︎ まさか手を出したんじゃなかろうな⁉︎ あんな幼気な子供に手を出すなどお前は鬼畜か‼︎』
『出すか! クソ親父が‼︎ あんな儚げで清らかなものを汚せるか! 下衆の勘繰りはよせ!』
『じゃあ、何でこんな話になっている⁉︎ お前が誑かしたとしか思えんだろぉ! この腹黒策士がぁ‼︎』
『誰が腹黒だ! 人聞きの悪い! それリアの前で言ったら父親といえども容赦しないからな!』
『ほら見ろ! やっぱり黒いじゃん! 真っ黒じゃん! 親に容赦しないってどんだけ鬼畜⁉︎ お前が人畜無害な猫を被った腹黒男だってのは承知してんだよ! いつもいつも裏から手を回して秘密裡に邪魔者を蹴落としてたの知ってんだぞ!』
『その腕前を見込んで20歳の若造に爵位を押し付けたのはどこのどいつですかね? 母上とイチャつきたいがために早々に隠居決めやがった人間に俺のことをとやかく言われる筋合いはねえんだよ!』
『そうだよ! イチャつきたいよ! お前が20歳で成人するのを指折り数えて待ってたんだよ!』
『開き直るな! 親として最低な発言だな。だがそのお陰でリアに会えたのだから爵位の件は大目に見てやる』
『お前、親に向かってその言いぐさはないだろうが? どんだけ上から目線⁉︎ ところで本当の本当にフィリアちゃんに指1本触れてないだろうな⁉︎』
『……(髪や肩に触れたのは触れた内には入らないのか? いやアレだって立派に触れてるよな? リアに会えてリアに触れて……あーなんか思いだしたら鼻血出そうだ……)』
『おおい! 沈黙すんな‼︎ 触れたのか⁉︎ 触れたんだな⁉︎ まさか……お前の正面にぶら下がっているブラックサンか! あんな汚らわしいものを……』
『アホか! あんなものリアに触れさせるか! そもそも公爵家の貴色を卑猥にもじるな! 大体自分だってその汚らわしいモンぶら下げてるじゃねーか!』
『オリビエは大好きだって言ってくれてるもーん』
『息子にそんな告白してんじゃねぇぇぇ‼︎ 語尾に“もん”をつけるな! 気色悪いわ! この色ボケ中年!』
父親とのアイコンタクト中に出てきたオリビエは俺の母親の名前である。
ちなみに東西南北の公爵家には象徴する色があり我が北の公爵家は髪と瞳と同様の黒が貴色とされている。だからってブラックサンとは…父よ、低俗すぎる。
ともかくも余計なことを言うなとばかりに流し目で牽制すると父は顔を引き攣らせながらも黙って頷いた。
俺達の一瞬の間の長いアイコンタクトには気づかずにウエスト公爵はフィリアに優しく語り掛ける。
「でもねフィーはウエスト家の1人娘だから他家へ嫁ぐことは出来ないんだよ? ヒュファル殿だってノース公爵になるんだからうちへはお婿さんにこられない。だから残念だけど2人は結婚できないんだ。ごめんね……」
なんてこった‼︎ そうだった。浮かれていた俺はフィリアがウエスト公爵家の一人娘だったことを失念していた。ちなみに自分も1人息子のため他にノース公爵を継げる兄弟はいない。
すぐさま父親に視線を飛ばす。
『ウエスト公爵に第2子をつくるように言え‼︎』
『無茶を言うな‼︎』
『公爵位継がねぇぞ? 俺はウエスト家へ婿に入る!』
『息子に脅される~(泣)』
俺の目力圧力に負けた父は渋々ウエスト公爵の方へ向き直るとショックを受けた表情で父親を見上げるフィリアの前に跪き視線を合わせた。
「フィリアちゃん、おじさんもフィリアちゃんみたいに可愛らしい子がお嫁さんにきてくれると嬉しいけれど、お父さんが言うことも分かるよね? 私達は貴族だから家を継続させることは大切な役目なんだ」
「……うん」
フィリアは目にいっぱい涙を溜めながら話を聞いている。
俺が『リアが涙を零したら殺す』というオーラを出しまくっているのを横目で見た父が自棄気味に本題を切り出した。
「でもねフィリアちゃんに弟か妹が産まれたらフィリアちゃんはヒュファルのお嫁さんになれるかもしれないよ?」
「え! 本当⁉︎」
ぱあぁぁぁっと一気にフィリアの表情が明るくなる。同時にウエスト公爵の顔は赤らんだがすぐに悲しげな表情になり呟いた。
「フィー、子供はね、神様が運んでくれるけど赤ちゃんを産むのは母親の仕事なんだ。でもお母様は身体が弱いから……あまり無理が出来ないことはわかるね?」
フィリアはウエスト公爵の話にハッとして俯くと小さくこくんと頷いた。
ウエスト公爵の妻が病弱というのは有名だ。本来なら来訪した他家の者をもてなすのは娘ではなく妻の役割だがフィリアがその役をしているということは体調が良くないということなのだろう。
俺は何だか居た堪れなくなって自分の父親を睨もうとしたが先に父がウエスト公爵を気遣うように話しかけていた。
「ウエスト公爵、そういえば奥方の体調はいかがですか?」
「あまり良いとはいえなくて……虚弱というだけで何かの病に罹っているわけではないのですが……最近は領地にも帰れずずっとこの屋敷で過ごしているのです。今も寝室で休んでいて出迎えられずに申し訳ない。妻のことを想うと第2子をつくる気になれなくてね……娘に弟妹をつくってあげたいのは山々なのだが……」
ウエスト公爵の言葉に俺はある提案をすることにした。夫人が病気ではなく子供をつくる気があるなら希望はある。ここで諦めてたまるか。
「もしよろしければ私が配合した滋養強壮剤をお試しになってはいかがでしょう? 日持ちがしない物なのですが効能は保証します。明日にでも届けますがいかがですか?」
「‼︎ ヒュファル、あの薬は……‼︎」
自分の提案に父が驚愕して口をアワアワさせている。
それもそのはずで俺が提案した滋養強壮剤というのはノース公爵領の高山の地でしか取れない貴重な薬草を抽出し外国から輸入した数種類の超高級乾物を絶妙に調合したもので薬学に秀でた自分しか作ることができない代物だった。
5年前、母とイチャつく時間を得ようと領地経営を丸投げした父親にキレた俺が散財してやると思い作ってみたものだったが体調が悪いと言っていた侍女長へ飲ませた所たった1回の使用ですこぶる元気になってしまった。噂を聞きつけた皇太后に請われて半年間程服用していただいた所、老いと長年のストレスから病がちになっていた皇太后はすこぶる健康体となり現在は以前より若々しく過ごされている。
「父上、父上は大切な友を見捨てるのですか? あの薬は確かに貴重で私にしか調合できない特別なものです。だが救う手立てがあるのなら私は助けることに吝かではありません」
本当はリアを手に入れたいだけだがな! という本心は綺麗にしまっていけしゃあしゃあと言い放つ。だが父は待ちに待った母とのイチャラブ王都生活が遠のくことに危機感を募らせて青い顔をして問いかけてくる。
「だがお前は公爵として領地経営をしなければならない。あの薬はお前しか作れないのにどうするのだ?」
「領地ならば暫くは父上が赴き采配すればよろしいでしょう。私は暫く王都に留まり見分を広げます。なに3年程すればウエスト夫人もきっと良くなるでしょうし私が得る知識も今後の領地経営に役立てられるでしょう」
「そんなに⁉︎」
父が素っ頓狂な声を上げる。
皇太后のときは半年間、俺は王都で過ごした。
あの薬は日持ちがしない上に調合が僅かでも狂うと全く効き目がないので自分しか作れないのだ。
その間、父は俺の分の仕事も領地でこなさねばならず不平タラタラだったが皇太后の願いを無下にはできず渋々了承した。
皇太后がすっかり元気になり俺が領地へ帰任すると半年も母とデートをする暇がなかったと涙目で訴えてきたがいい気味だと思ったものだ。
だが前回は半年、今回は3年。
父は真っ青な顔をしてブンブンと首を横に振り続けている。
それを見たウエスト公爵が額の汗を拭いながら申し訳なさそうに俺を見た。
「ノース公爵家の滋養強壮剤の噂は私も聞いております。眉唾ものだと思っておりましたが本当に存在するものだったとは……皇太后様のあの頑健さの半分でも妻が回復してくれれば…しかしノース公爵にご迷惑がかかるのなら……」
遠慮はしているがその言葉に迷いがあるのを俺は見逃さない。ウエスト公爵が愛妻家だというのは有名なので愛する妻のためならば藁をも掴みたいのが本音だろう。しかもどこぞの怪しげな薬ではなく皇太后で実証済のノース公爵家折り紙つきの強壮剤ときたら喉から手がでるほど欲しいはずだ。
俺は人好きがする笑顔で(身内に言わせれば胡散臭さ100%だそうだが)ウエスト公爵に頷く。
「大丈夫です。我が父は心優しい人間ですから困っている友のためならば領地経営の3年位どうってことはないですよ」
ウエスト公爵が縋るように俺の父を見る。父はもう死んだ魚のような目になって呆けていたが項垂れたまま首を縦に振った、というか落とした。
「では……お言葉に甘えてもいいのだろうか? どうやら大変貴重な物のようなので譲っていただけるのであればちゃんと料金をお支払いしたいのだが……」
「父のことはお気遣いなく。料金は効き目に納得していただいてから材料の乾物の料金だけ支払っていただければ結構です」
にっこりと笑ってウエスト公爵を見ると公爵は深々と頭を下げた。
一応次期当主に決定しているとはいえ自分はまだ公爵位ではない。いくら感謝しているといっても自分より下位の若輩者に真摯に頭を下げる貴族は珍しい。だが悪い気はしなかった。
フィリアの好ましい性格はきっと父親譲りなんだろうなと考えて彼女へ視線を向けると彼女は父親から事のあらましを聞いているようで難しい顔をしていたが話が終わり俺と目が合うと小走りで駆けよりギュッと腕を掴み何か言いたそうに見上げてきた。
俺がフィリアの頭を撫で少し腰を落とすと頬に柔らかいものが触れる。
「ファル様! ありがとう……大好き‼︎」
頬に触れたものがフィリアの唇だと気が付いたのは数秒後。ウエスト公爵は盛大に顔を顰め父は可哀想な者を見る目でフィリアを見ていた。
ともかくも話が纏まり晩餐の席へ促され覚束ない足取りのまま席についた俺はフィリアが触れた頬に呆然と手をやり緩む顔を必死で取り繕う。出された食事は西方の食材をふんだんに使用した素晴らしい料理ばかりだったが俺はフィリアが触れた自分の頬を食したいという変態願望に取りつかれて全く味がわからなかった。
◇◇◇
晩餐を終えウエスト公爵邸から戻る馬車の中で父親がブツブツと文句を言っている。
なんだもう諦めたんじゃなかったのか? 往生際が悪いな。恨めし気にこちらを見てくる父親のことを俺は窓の外を眺めながら完全に無視していた。
3年経てばフィリアは15歳になり正式に婚約ができる。この国では婚約は15歳までは仮のもので気に入らなければ解消が可能だ。とはいえ解消するのは外聞が悪いため一度婚約を結んでしまえば余程のことがない限り解消は難しい。
結局俺かフィリアに弟妹ができなければ婚約すら出来ないのが今の状況でこのまま領地に引っ込んでその間にフィリアがどこの馬の骨ともわからん男(というか俺以外の男)に獲られたら俺は発狂する自信がある。だからフィリアには俺の目が届くこの王都にいてもらう。それが母の付添なら不自然さはない。父親の方は領地へ帰らざるをえないだろうがリアと親しくなるにはむしろ好都合だ。奥方を溺愛しているウエスト公爵ならば多少無理をしても頻繁に王都へやって来るだろうから子造りも心配ないだろう。なにせあの薬はとにかく良く効く。効能が出るのに3年なんてかからない。せいぜい半年も飲めば十分なのだ。だが敢えて3年にする。その間にフィリアとの結婚に邪魔なものを排除し盤石なものにする。完璧だ。
屋敷に着いた俺が鼻歌を歌いながらスキップで玄関へ向かったことを父と従者が顔を見合わせて残念な溜息を吐いて見送っていた。その顔は『20歳にして初恋を知った面倒な男』という表情だったようだが俺は気が付かなかった。
俺は次の日から例の滋養強壮剤をウエスト公爵家へ届けはじめた。
初めは半信半疑のようだったようだが目に見えて体調が良くなってゆく自分の身体の変化に夫人と侍女達はやがて崇めるように俺を歓待してくれるようになっていった。
俺としては、ほぼ毎日リアに会えるのでそれだけで至福なのだが、フィリアに尊敬の眼差しで見られるのは心地良かった。
その一方で頻繁に王都へ訪れるウエスト公爵に『疲労回復の栄養剤です』と言ってそっち系の強壮剤を渡しておくのも忘れない。せっかく畑の準備ができても種を蒔かなければ望むものは手に入らない。ある意味とても元気が出るその薬の効果で2年後ウエスト公爵家に待望の男子が誕生した。
念のため自分の父にも同じ強壮剤を母には媚薬を送っておいたが我が家は不発に終わった。薬がなくても年がら年中発情期の奴らに俺しか子が出来なかったことを考えると両親は出来にくい体質なのかもしれない。よし! 結婚したらリアとは毎日励もう! いかん……想像したら鼻血が……。
ともかくも男子誕生の報告を受けた俺がすぐさまフィリアとの婚約を打診したのは当然の事で、ウエスト公爵家にて絶大な信頼を得ていた俺に公爵はその申し出を一も二もなく了承したのだった。