Ⅲ バッドモーニング
「…なんてことだ」
ベッドから起き上がっての第一声。昨日の一件で身体が強ばり、筋肉痛を起こしている。
だがそこは問題ではない。傍らのサイドテーブルに置かれたニキシー管の時計が、チカチカと07:30を表示させている。敢えて言うが、AMだ。
とうにカーテンの向こうから朝日が入ってきてもいい時間。だのに、日光どころか小鳥の鳴き声すら入ってこないとは。
「そんなはずがない……」
夢の続きでも見ているのかと思ったが、目を擦ろうが頭を掻きむしろうが、窓の外は、眠る前と全く変わらず、夜だった。
おもわずカーテンを開けて、僕は叫んだ。
「そんなはずがないだろう!!」
「どしたー?何か出たか?」
コンコン、と戸を叩く音がして、間もなくラグがサンドイッチの乗った皿を片手にやって来た。
「ら、ラグ……この時計、狂ってるのか?でないなら朝だぞ?!なぜ外は夜なんだ?!」
肩で息をしながら窓の外を指さすと、ラグはちらっと腕時計を見てから、キョトンとした顔で首を傾げた。
「ん、確かに7時半だな。何を興奮してるんだ?落ち着けよ」
「朝なのに、なぜ真っ暗なのかときいてるんだ!!」
「空の色のことか?特に変わったことなんてないぞ?それに……」
今度は僕がぽかんと口を開ける番だった。
「そのー…さっきから言ってるその、"アサ"とか"ヨル"っていうのは、何なんだ?お前の故郷の言葉か何かか?」
からかっているような様子は感じられない。ラグは明らかに僕の反応に戸惑っている。
察するに、北欧の極夜とはわけが違うようだ。
「あ、朝を知らないのか?ほら、太陽がのぼって、空がとても明るくなる現象だ…それで今のこの、外の状態が夜っていって」
「タイヨ…う?さっきから何言ってるのか分かんないけど……空は…こうだし、でも、ランタンや街の灯りがあるから、それなりに明るいぞ?」
…心配するなよ、とでも言いたげな様子を見て、これ以上のやり取りは無駄だと悟った。
「んーまぁ…レイは他所からきたんだもんな。その様子だと、随分と勝手が違うようだし、ここの環境になれないのは当たり前か。街を見た事も無いわけだし…昨日は色々とパニクってただろうし」
ラグは持っていた皿をサイドテーブルに置いて、僕に目線を合わせるように少し屈むと、困ったように笑った。
「ま、とりあえずメシだ。それ食ったら外を案内するよ。なーに、不安なら俺の服の裾でも掴んでればいいさ」
そう言って体を起こすと、冗談めかして前掛けの裾をひらりとめくってみせた。
成程。この街を一通り探索すれば、少しは安心できるかもしれない。大の大人がいつまでもいつまでも怯えているなんて、情けない。
僕は言われるままに、サンドイッチに手を伸ばした。さわ、さわと形を探して、優しく掴む。すると、手が当たってしまったのか、ふたつ並んだ内のひとつが皿から落ちてしまった。
「あっ」
「っと、セーフだな」
「すまない」
ゆっくりサンドイッチを頬張ると、卵とミルクのこっくりとした甘さが口の中に広がっていく。これは…カスタードクリームか。
寝起きで混乱した頭を落ち着けるには、ちょうど良かったかもしれない。
そう、普通じゃない経験は昨日したばかりなのだ。
落ち着くんだ。朝が来ない国だって夜が来ない国だって実際にあるんだし、珍しい事じゃないじゃないか。極夜だからって何だというんだ。
「そのクリーム、街角の果物屋でジャムと一緒に売っててさ。美味いだろ?」
悶々と眉間を寄せる僕をよそに、ラグは間一髪で受け止めたそれを頬張りながら、のんきな調子でへらへら笑っている。
しばらくして、手についたパンくずを軽く叩き落とし、指についたクリームをチロっと舐め取ると、彼は空になった皿を手に踵を返した。
「さて、準備が出来たら出掛けるぞ。セブンスヘブンへ」
僕は最後の一口を、味も合わないうちにごくん、と飲み込んだ。
―――この時、僕はまだ知らなかった。
この常夜の街が、予想以上に奇っ怪で、僕の頭の中の常識という常識をことごとく覆していくということを。