特別授業
鼓膜を破るような空気を裂く音は、どちらから発せられた音だっただろうか。
突然きた風圧に、ウィルベルは目を強くつむる。
次に開いた時には、眼前に白雪姫の翼の一つが目の前にあった。
翼だけだ。
本体は来ていない。
ハガルが放ったレーザーは明後日の方向に曲がって消失する。
現れた白雪姫の翼に、ハガルは鼻を鳴らす。
「リリィ! なんで」
〈マスター、私たちはマスターの安全を第一と考えています。そのことをお忘れでしたか?〉
――私たち熾天使のAIはなによりもマスターを大事にします。
それはAIにとっての呪いでしかないとウィルベルは奥歯を噛みしめる。
『そのAIが言う通りだ。機天使のパイロット、しかも熾天使シリーズのマスターは否応なく守られる』
それを知っていて、ハガルはわざとウィルベルに向かってレーザーを放ったのだ。
そうすれば熾天使が自立駆動でマスターを助けに来る。
『白雪姫の翼の遠隔操作範囲は確か一キロ圏内だったか。それで、正確に翼一枚だけでお前を守った。大したもんだな』
軍師――弟からもたらされた情報だ。
まだ一日も経過していないのに、あのAIは白雪姫の機能を完全に掌握しているということだ。
ここは褒める場面なのだろうが、それ以前にAIに対し恐怖の心が先行した。
『さて、Hide and seekは終わりだ。次は鬼ごっこか? それとも大人しく家に帰るか? 選べ』
ウィルベルは白雪姫の翼の陰で、ギュッと球体端末を抱きしめる。
島に帰ったらどうなる? 今度こそ僕は廃棄されるかもしれない。だが、そのことに対し、意外にも恐怖は感じてはいなかった。
――たぶん、僕にやりたいことがないからだ。だから生に執着しない。島からも簡単に逃亡する気になれた。だったら今この場で死んでも構わないのでは?
〈ウィルベル〉
端末からリリィが名を呼ぶ。
〈あなたはなぜ、島から逃亡したのですか?〉
「それは、島での生活が嫌だったから」
〈自由になりたかった、そうですね?〉
「うん」
〈死ぬことと、自由になることは全く違いますよ〉
――人を殺さなくていいのなら、私はどんな苦悩も苦痛も労働も受け入れると思う。もう私は、誰も殺したくない。破棄されても構わないから。
〈私があなたを守ります〉
リリィのその宣言と同時に、智天使に左サイドから白い影が飛びかかる。
白い影は銃を奪い取ると、湖に向かって放る。
遠くで水しぶきが上がる。
『くっそ!』
突然飛びかかってきた機体を、ハガルは脚で蹴って機体から離し、一気に上昇する。
現れた機体――白雪姫は智天使とは逆に降下し、ゆっくりとウィルベルの前に跪く。
同時に、彼を守った翼の一枚は浮き上がり、元の位置へと戻る。
〈古い歴史の書物にかかれてありました。自由とは勝ち取るものだと〉
白雪姫から発せられる声。
ウィルベルはその純白の機体を見上げる。
とても戦闘機とは思えない美しさ。
戦闘機でありながら、機天使はなぜこんなにも美しいのだろうと思った。
熾天使シリーズには、なぜ童話の名前が付いているのだろうと思った。
なぜお姫様の名が付いているのだろうと思った。
この世界にはこれらの姫たちを守る王子なんていない。ただ、物語を保管、管理するための本棚があるだけだ。
――この世に英雄なんていない。
ただ不幸な姫と、その物語があるだけだ。
ウィルベルは差し出された右ハンドからフルフェイスのヘルメットを受け取る。
――戦うか、戦わないか。生きるか、死ぬか。
島は地上と戦争している。
戦争をなくすためと言っておきながら、結局は地上人は愚かだと、人為的に組み替えられた遺伝子によって生まれた科学者たちの子孫に連なる者――ハガルやウィルベルも含まれる――自分たちこそが世界にふさわしいのだと。地上人は今の世界には不釣り合いだと地上を攻撃し始めた。
理由の一つは、島の資源の枯渇。
島に人間なんて乗せなければよかったのだ。兵器だけを乗せて上空に破棄してしまえばよかったのだ。
だが、その場合、技術を盗んでくださいと言っているようなものだ。ゆえに、技術を他国に漏らさないため、侵入を阻止するために機天使は造られることとなった。
始めは小競り合い。そこから戦争に発展するまで大した時間を弄することもなかった。
すべては予定調和だ。
前に聞いたことがあった。リリィたちのような優れたAIがもう少し早く生まれていたら、地上と戦争を起こさなくて済んだのかと。
答えはNO.
自分たちはただの道具だと。どんなにヒトに近づいてもヒトではない。人にはなれない。だから、人間から生み出されたもの――下等なモノとして扱われ、意見も聞き入れてもらえないだろうと。
――戦争に発展してしまった以上は、もう理由なんて必要ないのです。どちらが先に手を出したなどという事実はすでに忘れてしまっているのです。彼らはただ勝利だけを見つめているのです。ですから、周りがどうなろうと関係はないのです。一般市民が巻き込まれることははなから想定しており、無視を決め込んでいるのです。多くの人命がそがれる。それだけで相手の士気は下がるだろう。それも戦略の一つなのです。
一時期はVR世界で戦争を行っていましたが、それでは満足できなかったのでしょう。なにが満足できなかったのか、AIである私たちには理解できませんでしたが、VR戦争を止めたということはそういうことなのでしょう。
ウィルベルは戦争をしたくなくて、戦いたくなくて島を飛び出したようなものだ。
ヘルメットを装着し、白雪姫の足伝いに登り、シートに身を預ける。
シェードに外の様子が映し出される。
頭上にはハガルの智天使。
この隙に仕掛けてこないのは、同じ遺伝子のよしみだろうか?
操縦桿を握る。
飛翔機にエネルギーが充填される。
あとはフットペダルを踏み込むだけで飛び立つことができる。
――嫌いなのに、結局戦わないと何も得られない。
「矛盾してる」
一気に最後までペダルを踏み込む。
軽くGがかかる。
腰のウェポンホルダーからウォルフラム製のソードを取り出す。
逆光を背に抱き、灰に染まる智天使に向かって構える。
相手もソードを取り出す。
大きく振りかぶり、一刀両断する勢いで斬りかかる。
ハガルが取り出したソードとぶつかり、固い音と同時に火花が散る。
*
〈マスターの指示なく起動するなんて、私には考えられません〉
ハガルが操る智天使のAIは冷淡な声で呟く。
「だが、あれが熾天使シリーズに埋め込まれたAIだ」
与えられた使命のためなら簡単にプライオリティの順番を入れ替えてくる。
彼女たちの内にあるものは「マスターを守ること」。
そのために自らが壊れることもいとわない。
姫の名を冠する彼女たちこそ、騎士道精神丸出しだと、自ら姿を現した白雪姫を上空から見下ろしながら、ハガルは思う。
「勝てそうか?」
〈申し訳ありませんが、答えがでません。相手のパイロットの戦闘データが極端に少ないので〉
「そうだろうな」
白雪姫から発せられる音が変わったのを感じ取り、ハガルは操縦桿に意識を集中する。
戦闘訓練もまともに受けていなかったと聞いている。
ただ、ウィルベルは白雪姫や他のAIとも相性が良かった。その気になれば熾天使シリーズすべての操縦が可能だっただろう。
ハガル、エイジ、そしてウィルベル。
三人とも同じ遺伝子でありながら違うのは歳と立ち位置だけと思っていたがそうではなかった。
こうも三人、そろいもそろって性格に違いが生じたのは育った環境だったり、周りの状況のせいだろう。
ハガルの場合は、地上――他国との戦争が激化した際に戦場に出された。まさしく、戦うために生み出されたようなものだ。そして、戦場で育った。
軍師であるエイジは戦争の後半に投入されたとはいえ、このままでは本当に消耗戦にもつれ込むと、クインテッドから交渉役の役割を与えられ、休戦状態を築き上げた。
そして時間をおいて生まれたウィルベル。
航空戦艦や海上の戦艦からの砲撃も知らない、平和な時代に生まれ、好き勝手に育った。いや、まだその途中だ。
ハガルは、そんなウィルベルの立場をうらやましくも思う反面、それが本来人間のあるべき姿だと思っている。だが、その甘やかした代償として、街が一つ滅びた。
そのことで本人がどれだけ苦悩したか、何を失ったのか知っている。
だからといって、ハガルは優しい言葉をかけるつもりなど一切ない。自分がしたことに対する落とし前は自分で付けろと。
すべての原因はお前にあると。
責任を知ることで、ヒトは大人になるのだと。
「さて、特別授業の開始だ」
互いに構えた剣がぶつかり合う。