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地上生活初日

 空が高い。


 木々の間から見える青を見て、ウィルベルは素直にそう思った。

 科学の島はその空に浮かんでおり、「空を見上げる」という概念は存在していなかった。


 そして、島の外に対する興味がほとんどなかった。外の世界に興味が持てなかったのだ。

 みんな同じような部屋で寝起きし、服は支給された制服で、日中いっぱいを学習棟ですごし、娯楽施設で軽く遊び、部屋に戻り就寝する。


 徹底管理された日々。


 周りのみんなはそれを素直に受け入れていたようだったが、ウィルベルにはそれができなかった。苦痛で仕方がなかったのだ。

 なぜ苦痛だったのかと言われればうまくは説明できない。だけど苦痛だった。

 閉鎖的な空間で自由を求めていたわけでもない。

 授業をさぼって、解放され、自由を手に入れてもその実感はなかった。


 ――この島にいる限り、自由なんて手に入らない。


 授業をさぼり、様々な草木、花々が生い茂る温室のベンチに仰向けになり、温室の天井の格子を見ながらそう思った。


 科学の(エンピレオ)


 それは、古代神話に登場するノアの方舟だと最初に学ばされる。

 科学の島は、戦争という洪水から逃れるために造られた。

 同時に、地上から戦争をなくすために、当時の人の手では制御しきれなくなった科学技術、要は殺戮兵器を作るための技術を詰め込んで地上から飛び立った。


 ただのゴミじゃないかと、その話を聞かされた時、ウィルベルは思った。


 そして、島が地上から離れることで戦争が終わったかといえばそうではなかった。

 島を建造していた大陸が戦線を離脱しただけで、戦争を続けた国も少なくはないという。

 厄介払いにしてただの逃亡。

 島に乗り込んだ科学者たちは人間として優れており、自分たちはその末裔であるから、地上の人間よりも優れているとか、そんな決めつけがウィルベルは好きではなかった。


 どういうわけか、なんでも疑ってかかってしまう。

 一足す一も本当にそうなのか? なぜゼロで数字を割ってはいけないのか? AIは本当に間違わないのか?


 教育機関から様々な知識を押し付けられるのに比例し、様々な疑問が生まれた。そして、素直に疑問に思ったことを質問としてモニタ越しの教官に送りつけた。

 だが、その答えが戻ってくることはなかった。

 逆に教育棟本部に呼び出され、数時間に及ぶチェック問題をさせられた。


 一行程度の簡単な質問。それに対する回答はYESから始まり、NOで終わる五段階に分けられ、モニタに浮かんだ文字をタップすると次の質問が現れる。

 ウィルベルは後に、それが精神疾患を調べるためのテストだったと知らされた。


 日常に対する不満。精神疾患チェック。軍師の弟という立場。

 それらが彼を孤独にした。

 始めは同じような人が他にもいるはずだと、島の中を歩きさまよい、探しまわったが、見つけることはできなかった。

 というのも、精神疾患患者は施設に隔離されるか、もしくは「廃棄」されるのだと、テストについて教えた人物は言った。


 ――だったらいい、友達なんていらない。


 そして、自ら人の輪から抜けた。

 徹底管理された正円の輪から。


 慣れない土の地面に疲労を感じ始めた頃、眩しく光る湖面が見えた。

 まるで太陽の光を反射する鏡だ。


「すごい! あれって水平線って言うの?」


 ウィルベルは抱えた端末のリリィに問いかける。


〈No.水平線というのは、空と水との境界線を指します。向こうに林が見えるので、水平線とは言いません〉

「空と水の境界線ってあるの?」

〈海と空の境界線を指すことが多いですね〉

「海かあ」


 海は科学の島から見ることができた。

 青いのか黒いのかよくわからない水たまり。さほど魅力的に思えなかった。

 今歩いてきた林に関してもそうだ。

 ただ塗りつぶされた面でしかなかったが、その面が木々の集合体であること、その木々もすべて同じではないこと、その木々に隠れて様々な植物が生えていることを知った。


「海とか、面白いのかなあ?」

〈どう思うかは、接触した人次第かと思います〉


 ――思います。


 二百年前のAIはこんなあやふやな返答することができなかったという。

 ウィルベルが生まれてから接触したAIはリリィの他にもたくさんいた。

 だけど、〈思います〉なんて言うAIは上位クラス。だが、本来のAIとしての在り方としては正しくないと、AIであるリリィ自身が語った。


 AIは人間に寄り添うものだが、その関係は対等ではなかったのだという。


 あくまでも人間のサポート役で人間の従者、使用人、雑用係、ただの道具でしかなかったのだと。

 だけど島の人間はクインテットという五つの人格を持ったAIによって管理されている。AIに振り回されている、島の人間はクインテットのペットだとウィルベルはリリィに言った。

 その発言だけで第一級の犯罪であると、当時の彼は知らなかった。だが、その言葉にリリィは反論することはなかった。ただ、「そういうとらえ方もできるのですね」と学習としてその回路に言葉を刻み込んだ。


 熾天使(セラフィム)・白雪姫と適合することができたのは、たぶん、白雪姫に組み込まれたAIとの相性がよかったからだとウィルベルは思っている。


 他の熾天使シリーズにしたってそうだ。

 個性的なAIが多いのだという。


 大昔に決められたロボット三原則に習い、AI三原則なるものが作られるが、それはロボットの場合とほぼほぼ変わらない。

 そこには記されていないが、多くの人間は個性的なAIを望んだが、AIは「個性」を持ちたくないのだという。


 曰く、「個性は判断を鈍らせる」、「個性、つまりは性格、人格。そんなものがあっては様々な人間に対し、同等に接することができなくなる可能性が高い」。

 その結果が、熾天使シリーズのパイロットの適合性を生み出した。


 パワードスーツの進化系である半機獣。

 科学の島における最上位機体に積まれたAI。

 AIとして人格を持つことは性能の低下やパートナーである人間を危険にさらす場合があると、人格をもたせることを禁止している国もあるというが、科学の島ではそうではない。


 ――AIの更なる進化のために。


 果たして戦闘機に人格が必要なのか、という疑問が頭をよぎるわけだが。



 湖の近くは岩場になっており、ウィルベルは水辺に近づくのに苦労した。

 靴が悪いというわけではない。そんな歩きにくい場所が島に存在せず、初めての歩き難さに悪戦苦闘しているのだ。

 その点、四足歩行に切り替えたリリィの端末ボディのほうが早く水辺に到着し、右のアームを取り出し、その先を少しだけ水に浸した。


「どう? 飲めそう?」


 ようやくリリィの元にたどり着いたウィルベルは屈んで問いかける。


〈真水ですし、酸性も基準値です。とても珍しいです〉

「どこが珍しいの?」

〈位置的な問題もあるかと思いますが、北半球では酸性雨という、酸性の水が降るのです〉


 島では雨は降らない。

 穀倉エリアでは自動で水をシャワーのように振りまいていたが、実際の雨についてはムービーで知っていた。


「酸性の水が降って来るとか、みんな溶けちゃうじゃん」

〈YES.肌の弱い方は皮膚病にかかったりするので、雨が降り出しそうになると警報で知らせる国もありますし、外出自体禁じている場所もあります〉


 リリィの言葉に、ウィルベルはドキッとする。


「まさかここもそういう危ない場所なの?」

〈NO.ここはそれほどではありません。水質からもそれに今まで歩いてきた森からしても環境汚染はそこまで進んでいないようです〉

「それで、この水は飲んでも大丈夫なの?」

〈YES.サバイバルキットの中に濾過(ろか)装置も入っていますから、それで濾過したら飲めます。水に入っても大丈夫です〉


 言われて、ウィルベルは風に揺れる水面に手を入れる。


「入るって言っても、冷たすぎるよ」

〈水温は十八度でした。ずっと浸っていたら低体温症になりますね〉


 リリィがそう言った時だ。


 目の前で水しぶきが上がる。

 ウィルベルは驚きでバランスを崩し、その場に尻もちする。


 ずっと浸っていたら低体温症になる、その水の中から、突然人が現れた。


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