二人ぼっち
彼は部屋に明かりも着けず、ただ、窓の外を眺めていた。
腰まで伸ばした金糸の髪は、月の光を反射するように瞬く。
とっくにいつもの就寝時間を過ぎているが、服は漆黒の軍服のままだ。
深夜であろうと、遠慮のないノックの高い音が部屋にこだます。
「入れ」
硬質な声に、扉を開き中に入ってきたのは、デザインは同じだが、真っ白な軍服に身を包んだ小柄な女性だった。
燃えるように波打つ赤い髪がハーフアップでまとめられている。
「ウィルベルに関しての報告ですが」
「逃亡者と言え」
「では、逃亡者に関しての報告ですが」
「逃げられたのだろ。ドックの損傷などについては聞いている」
「では、エクスシアとケルビムの損傷については?」
「聞かなくとも予想はつく」
男は大仰にため息をつく。
「アレはどうなっても構わん。だが、白雪姫は取り戻さなければならない」
「機天使保管所の警備員に対する処罰は?」
「正直、どうでもいい」
男は執務机の椅子に座りながらため息をつく。
「責めたところで白雪姫は戻ってこない。処分はお前に任せる」
「了解しました。他に用がありましたら内線でお呼びください。私は先に寝ますので」
「勝手にしろ」
「では」
彼女は男に対し、仰々しく頭を垂れると部屋を後にする。
部屋に残された男は、月を睨みつけ、先ほど見たインメルマンターンを思い出して舌打ちする。
「……コピーの分際が」
*
「追手は?」
〈反応なしです。今のところは〉
リリィのその言葉に、ウィルベルはヘルメットの顔面部分のシェードを解除する。
押し込められていた金色の前髪が零れ落ちる。それは少し汗で湿っていた。
飛行状態は続いている。
夜の風が零れ落ちた髪を揺らす。
「地上は今……えーっと、」
〈季節ですか?〉
「そうそれ」
ウィルベルが生まれ育った科学の島は一年中シールドに覆われ四季が存在しなかった。疑似的に体験できる施設はあったが。
〈現在地の季節は春です〉
「現在地って、場所で季節が違うの?」
〈間違いではありませんが、少し違います。緯度で異なります〉
「イド?」
〈気温は太陽光によって変化します。日照時間が長ければ気温は高くなり、日照時間が短ければ気温は低くなります。地球は南極点と北極点をつなぐ軸が少しずれておりまして――〉
「あー、そういう勉強っぽいのはいらないかな」
〈いらない、ではなく必要になります。第一、この程度の知識は初等部で学んでいないのですか?〉
「あははー」
〈笑ってごまかすのもあまり良い傾向とは言えません。思い出しました。あなたは初等部の頃からサボタージュをしていたのですね〉
「うん、ごめん」
〈謝る必要はありません。あなたの足りてない部分を補うのが私の役目です〉
「そう言ってくれるのはうれしいんだけどさ。……君は、よかったの?」
〈なんのことです?〉
「僕にくっついてこんな……」
逃亡、反逆――。
もし島に連れ戻されればこの白雪姫にインストールされた「リリィ」というAIは消去される可能性が高い。
それは、AIの死を意味する。
僕自身もただでは済まないとは思っているけれど、覚悟の上だ。
〈私はマスターであるあなたのほうが心配です〉
「なんで?」
〈サボり魔のあなたが地上で暮らしていけるのかどうかです。私は融合炉がありますし、ソーラー発電も可能です。ですが、人間の身体はそうではありません〉
「食べ物とかのこと?」
〈Yes.一応サバイバルキットの中に少し食料はありますが〉
「食糧確保の方法とか、ダウンロードできないの?」
〈No.GPSで場所を察知されるかもしれないと、ネットワーク接続は遮断しています〉
その言葉に、ウィルベルの額に冷や汗が浮かぶ。
「ネットに接続しないでどうやって生活していくんだよ!?」
〈ネットにつながったからといってお腹が満たされるわけではありません〉
「僕って意外とバカ?」
〈意外とバカだと判断します〉
そりゃあ、AIに比べれば馬鹿だよなあとウィルベルは軽く頷く。
とりあえず、今日はどこか、眠れる場所を探して寝よう。
そんなことを考えながら飛んでいると、視界が開け、大きな湖が現れた。
水面に半月が反射している。
「すごい! これが海?」
〈いいえ、これは湖です。淡水の水たまりです。海はもっと広いです〉
「島にあるプール何個分だろう?」
〈百個分は軽くあるかと。世界は広いのです〉
「そうだね」
ずっと四角いモニタ越しでしか見られなかった世界。
それが今、目の前にある。
まるで物語の世界に飛び込んだようだと、ウィルベルは純粋に思った。