僕は僕。私は私。
『聞いてもいい?』
「え、あ……どうぞ」
『渡すなら、ポストに入れておくだけでもよかったと思うの。それに今の時間は学習カリキュラムが――』
「あー、それはなんて言うか――」
<初めまして、リスティル。私は「白雪姫」のAI、ブランシェと言います。お話の最中、失礼します。私のマスターは授業をサボタージュしているのです>
ブランシェの言葉に、リスティルは軽く目を見開き、動揺しているウィルベルを見つめる。
そして、彼女ではなく、彼女のAIが口を開く。
<マスター、失礼いたします。ブランシェ、AIとしてマスターにしっかりとした学習を受けさせないというのはどういうことですか。答えなさい>
<私はマスターの自主性を尊重しています。無理やり授業を受けさせるというのは建設的ではありません。モチベーションの度合いによって集中力や記憶力が変動します。ですからモチベーションが低下した状態で授業を受けさせても無意味だと私は判断しました>
<そのモチベーションを上げていくことこそ、私たちの役割ですよ>
<ロゼ、それは少々強引だと思います>
AI同士の言い争いに、ウィルベルはたじろぐ。
「ちょ、ちょっと二人とも止めなよ」
<ウィルベル、ブランシェの記憶を初期化したほうが良いと私は提案します>
<ロゼ、それは「どんぶり勘定」というものです。修正点を明確に指摘してください>
<「どんぶり勘定」などという特定地域でしか使われていない例えを持ち込むあたりを修正するべきだと思います。私たちAIの知識は広くなくてはいけません>
AI同士が言い争いするのをウィルベルは初めて知った。
熾天使シリーズAIは兄弟みたいなものだというから仲良しだと思っていたし、意見に食い違いなんて起きないと思っていたので驚いた。
「……リスティルさん?」
ふと、隣に座った彼女に目を向けると、口元に手を当てて破顔していた。頬も紅潮している。
『ごめんなさい』
指輪をタップする。
『ロゼがこんなふうに熱くなるところを見たことがなかったから』
親指で目じりを拭い、一息ついてから、再び指輪を叩く。
『どうして学習カリキュラムを受けないんですか?』
リスティルに問われて、ウィルベルは少し考え込む。
AI二人も黙っている。単に音声をオフにしただけで言い争いを続けているとも限らないが。
「うーん」
人から聞かれたのは初めてだった。
いや、ハガルから聞かれたことはあっただろうか。
「なんか、居心地が悪いから、かな」
軍師とエースパイロットの弟。「弟」として、応えなければならないと思った。
「みんなが僕をどんなふうに見ているのか、すごく気になって。勉強も人並み以上にできないといけないのかなって、色々考えるようになって。なんだかもう、考えたくなくなって」
ブランシェに対してもここまで話したことはないだろう。
とても漠然とした思いで、まとめるのが難しかった。
言葉というのは、しっかりとまとまっていなければならないと思っていた。それは近くにAIがいたのも関係しているかもしれない。
AIは明確な言葉を求めている。教師もそうだ。彼らは曖昧な言葉を嫌う。
「僕は僕で、兄さんたちのこととか、関係なく見てくれる人っていなくて、それがなんだか嫌だったんだ」
リスティルはポロポロと心の内を吐露する少年を静かに見ていた。
そして、そこに共感じみたものを見た。
――僕は僕。私は私。
――熾天使のパイロットだとか、選ばれた存在だとか、そんなことは関係ない。ただ己だけを見てほしい。
これは高いところにいる者だけの言葉ではない。低いところにいる者もまた、立場など関係なく個人を見てほしい、そう思っている。
ただそれに気づける人が極端に少ないだけ。
みんな求めることは一緒なのだ。
だけど食い違う。
人間だから。
クローンだろうが、趣味嗜好まで同じというわけではない。
『ロゼ、ブランシェと彼に謝って。彼にはちゃんと学習を受けたくないという理由がある』
<リスティル、ですが>
『学習を受けることは大事だということはわかる。しかも彼は熾天使パイロットだからたくさん学ばなければならない。だけど学ぶ環境も大事。ブランシェはそれをわかっていると思う』
<了解しました。ウィルベル、ブランシェ、すみませんでした>
「謝らなくてもいいよ。勉強が大事なのは知ってるから」
<私も同じです。こうした弁論は私たちAIには必要なことですから>
ゆっくりと、その場が和やかな雰囲気に包まれていく。
リスティルはパンツのポケットからハンカチを取り出し、勲章を丁寧に包んで、ポケットに仕舞う。
『ちゃんと自己紹介してなかった。私はリスティル』
彼女は改めてウィルベルに身体を向けて微笑む。
膝頭がふとした拍子に触れそうな距離。
ウィルベルは頬を赤らめ、背筋を伸ばす。
「ぼ、僕はウィルベル。えっと、今日はありがとう」
『私の方こそ、ありがとう』
勲章は彼女にとって「人を殺した証」だが、それを戻されて不快そうな様子はまったくうかがえなかった。
『もしよかったら、メールしてもいい?』
リスティルとの関係はこれっきり、もしくは正式なパイロットになってから顔を合わせる程度だろうとウィルベルは思っていたので驚いた。
「僕、ちょっと、文章とか書くの苦手で……、今回のメッセージもブランシェに色々と直してもらったんだ」
『苦手だったら無視してもいいよ。私が一方的に、邪魔かな?』
その問いに、ウィルベルは何度も首を横に振る。
「そんなことないよ! ただもらうことに慣れてなくて、返事とか遅れるかもしれないけれど」
『だとしたら、ちゃんと作文の勉強しないとね』
「あ……、そうだね、うん」
柔らかく微笑む彼女だが、実のところ、ブランシェやロゼよりも全然、一枚も二枚も上手なのかもしれない。
*
ウィルベルは全身を包み込む痛みで覚醒した。
そして、楽しかった日々を思い出した。
彼女は笑っていた。だけどそこには少し影があった。
大きな花が、大きな影を作るように。
彼女はいつだって笑みと悲しみを背負っていた。
リスティルがもう戦場に出なくていいように、戦わなくていいように、そのために強くなると決めた。
そのはずだった。
力を込めて瞼を開く。
目は開いているはずなのに、視界はぼやけていて自分がどこにいるのかわからなかった。
茶色い木の板が見えた。
あれは、天井なのだろうか?
痛む頭で考えていると、目の前に無機質な顔が現れた。
ピンク色の髪がウィルベルの頬を撫でる。
――湖にいた少女。
なぜ彼女が目の前にいるのか?
そして自分の身に何が起きたのか徐々に頭に浮かんでくる。
落ちたのだ。
撃ち落されたのだ。
生きているのだろうか?
生きているからこんなにも身体が痛むのだろうか?
リリィは?
「白雪姫」は?
疑問が、エラーのように頭を埋め尽くしていく。
視界から少女が姿を消す。
同時に瞼が重くなっていく。
起きているのがつらかった。
もしかしたら、このまま目を閉じたら死ぬかもしれない。
死ぬかもしれない。それよりもリリィが気になる。
僕とリリィはこの世界に取り残されてしまった。
生き延びてしまった。
だから残された者同士、一緒に生きようって決めたんだ。
リリィ、独りぼっちで寂しくないかな。
リリィ……。
……。




