午前零時の白雪姫
「カタパルトレーンへの通路を緊急閉鎖! 至急応援を寄越せ!」
薄暗い鉄の格納庫に緊急警報ベルと、緊急放送が鳴り響き、危険を知らせる赤いランプが点滅する。
〈どこに行きますか?〉
女性の電子ヴォイスがフルフェイス型ヘルメットの耳元で囁く。
「どこに行こうか」
答える声はまだ幼さが残る。
成長途中の少年の身体、その四肢と背にまとうのはハーフタイプの人型機獣。本来この機獣――機天使を纏う際に着用する専用スーツに着替えている暇はなく、勝手に支給される学生服のままだ。
少年は右手のアームでつかんだ漆黒の大口径の電子砲を格納庫の何もない壁に向ける。
その様子を見た周りの格納庫職員が一斉に逃げ出す。もしくは近くのパイプに捕まり、腰にぶら下げたカラビナを慣れた手つきで同じくパイプに引っ掛ける。
「退避ー!」
「壁に穴が開くぞ!」
職員たちが声を荒げるのと、セーフティー解除とエネルギー充填はほぼ同時だった。
少年が操縦する機天使が手にしているのは、この科学の島の誇る悲劇武装。
――ルートヴィヒ・グリムのドライポイント『グリムバレット』
最大出力は全長百五十メートル級空中戦艦ワイバーン級の主砲と負けず劣らずといったところ。
一般的な機天使が使用する場合は二体で支えてやっと撃てるかという大物だ。
だが、少年が纏う機天は通常機天使「デュミナス」五体分の出力を誇る。
「ファイア」
軽い声でグリムバレットから放たれた光が、壁がまるで紙かなにかで出来ていたかのように簡単に消し去る。
同時に、その場に生じた気圧変化によって、壁に開いた穴から軽いものが外に吸い出されていく。
少年も、それらと一緒に外に飛び出す。
そしてリンゴが木から落ちるように、自然と落下する。
夜の闇の中、月光に照らされて純白の機体のシルエットが徐々に確かになっていく。
科学の島が生み出したハーフタイプ機獣。
それは五段階に分けられる。
ランクの低いものから順に述べる。
一般兵の使うプリンシパリティから始まり、無人機もしくは機械人形が操るエクスシア、次にデュミナス、ケルビム、そしてセラフィム。
〈ウィル、エンピレオ外周警備型エクスシアが追ってきます〉
少年――ウィルベルが操る熾天使「白雪姫」に組み込まれたAIリリィが告げる。
ウィルベルはその言葉に動揺もせず、グリムバレットを腰のウェポンホルダーに取り付ける。
「数は?」
〈五機。それと、エンピレオからの熱源および飛翔機起動音を感知しました〉
ウィルベルはアーム内部に取り付けられた操縦桿を握り直す。
ヘルメット内部に映し出された高度計は順調に数値を下げていく。
本来ならば高山病になりそうなものだが、身体が外から認識できる半機獣でも身体を守るための機能は生きている。
科学の島は海面からおよそ十二キロの地点に浮いた、面積十五キロ平方メートルに及ぶ浮遊島。
そこでの生活で、地上との気圧変化に慣れるための訓練も受けている。
高度七キロ地点に達して、ウィルベルは口を開く。
「鏡六枚をエクスシアに。飛翔機を狙って」
〈Yes. My Dear〉
白雪姫が背負う十二翼。そのうちの六枚がブレードを構えた五機に向かって走る。
白雪姫の落下は止まらない。
その眼前に、一体のエクスシアが銃口を構えて容赦なく撃つが、鏡がそれを遮る。
何を作るにしても資源は必要。銃弾にしたってそうだ。
なので、資源をうみだすことが重要課題である科学の島の武器で実弾を使用しているものは少ない。
放たれたのはビーム砲。
白雪姫の鏡の前では無意味。
反射され、一度に二機がオレンジ色にスパークし、自由落下していく。
残り三機。
白雪姫の性能インストールが完了したのだろう。三機は銃ではなく、ブレードを向かってくる鏡に向けて振りかざす。
――だが、その鏡こそが剣なのだ。
一糸乱れぬ連携。
それが仇となる。
三機は六枚の鏡という名の剣にすでに囲まれている。
全方向からの攻撃に三機は呆気なく敗れ去る。
「オートマティック解除、マニュアルに切り替えて。後ろはお願い」
三機の残骸を縫うようにビーム砲が白雪姫に迫る。
ウィルベルはそれを身体を捻ってかわす。
天から地へと身体を反転させる。
純白の機体は木々の海すれすれを飛ぶ。まるで海鳥のように。
まっすぐ飛ぼうとするのを妨害するように上空からのビーム砲は止まない。だが、それを軽やかにかわす純白はとても戦いの最中とは思えない。
「追手の機体は?」
ウィルベルのヘルメットモニタでは機体が認識できない。
〈ケルビムです。飛翔機の音からほぼ間違いありません。光学迷彩をかけていますが〉
「ビーム砲の軌道ですぐに場所がわかるね」
ケルビム側の操縦者が何かに気づき天を仰ぐ。
だが遅い。
先ほどエクスシアを撃墜したブレードの二枚が上空から両方のアームを切り落とす。
〈こちらも迷彩をかけますか?〉
「いいよ。個人的に迷彩は好きじゃないんだ」
〈そうでしたね〉
役目を終えた六翼が白雪姫本体に戻ってくる。
残りのケルビム二機は光学迷彩の意味がないと判断したのか、同時に迷彩を解除する。
軽い警報音がヘルメット内に響く。
〈追尾弾来ます。注意してください〉
――資源の無駄遣い。
ウィルベルは心の中でつぶやく。
直後、後ろから音が発せられる。
背後を映すモニタからもマズルフラッシュが見て取れた。
後ろの四翼を前に回して、前方に向かって噴射する。
それがブレーキとなるが、今度は白雪姫に取り付けられた飛翔機のすべてを地に向けて吹かす。
突然の方向転換と急上昇。いくつかの追尾弾が方向転換を誤り誤爆する。
白雪姫は天に向かって舞い上がる。
ケルビムの操縦士たちはその姿を見た。
科学の島で生み出した機天使、その最上位機、熾天使シリーズ。性能はもちろんだが、デザインも美しいとされ、セラフィムのパイロットになりたいという兵は多かった。
だが、セラフィムシリーズはパイロットが選ぶのではなく、セラフィムがパイロットを選ぶ。
科学の島からの逃亡者、ウィルベルはセラフィム「白雪姫」に選ばれたパイロット。
セラフィムに選ばれておきながら島と袂を分かった反逆者でしかない。
だが、半月を背に舞い上がるその姿は、戦闘兵器とは思えないほど美しかった。
追尾弾が一直線について来たところで白雪姫が反転する。
インメルマンターン。
上位機だからこそ決められる百八十度ループ。
またしても追尾弾のいくつかが脱落する。
見とれていたケルビムのパイロットたちはそこで気が付く。
このままでは自分たちが後ろをとられると。
いや、すでにとられている。
急いで飛翔機で前進するが、その横を白雪姫が通り過ぎる。
パイロットたちの背に悪寒が走る。
だが、ケルビムたちに自らが放った追尾弾が当たることはなかった。
白雪姫が横切る直前でチャフを散らしていたからだ。
だが、その爆風で飛翔機のいくつかはコントロール不能に陥り、これ以上の追撃も困難になった。
白雪姫は逃げていく。
木々の海の上を羽ばたきながら。