感情のかたまり
違和感が後頭部でくすぶっている。
この違和感の正体はなんなのだろうかと思いながら、ウィルベルは居たたまれなさそうに目を伏せたリスティルの顔を見る。
身長の開きは十センチ以上あるだろうか。
目を見るとなると少し見上げねばならなかった。
青みがかったグレーの瞳に、薄茶色の前髪が影を落とす。
肌は白くて血の気をあまり感じさせなかった。
下は制服の濃紺のパンツに、上は白のインナーでグレーの丈が長めのカーディガンを羽織っていた。
呼び出しに応じて、そのようにコーディネートしたのか、平素から今のような格好なのか、ウィルベルにはわからない。
左腕にはウォッチ型の通信端末。そのダークグレーのベルトを、所在なさげにいじっている。かと思えば、右人差し指にはめられた、幅広の銀の指輪、その側面を同じく右の親指でトントンと叩いた。
すると――
『ごめんなさい』
通信端末からAIとは違う、柔らかい声が発せられた。
『返事を返すことしか考えていなかったんです』
親指が指輪を叩くたびに、音声が流れる。
親指が指輪をタップする。それが信号として端末に送られて音声を発しているのだと理解した。
<リスティルはこのように、端末を使って意思疎通はできますし、私とのやり取りには何ら問題はないので、私もしゃべれないということを失念しておりました>
彼女のAIが補足するように告げる。
「だったら」
ウィルベルはホッと息をつく。
「問題ないじゃないか。別に謝ることでもないと思うよ」
そう、謝ることではない。
頭にひっかかっていた違和感の正体にようやく気が付いた。
それは、リスティルと彼女のAIが「しゃべれない」ということを「謝っている」ことだった。
「理由はわからないけれど、しゃべれないならそれはしょうがないんじゃないかな。僕はわざわざ謝ることではないと思うよ」
まっすぐ瞳を見つめるにはまだ勇気が足りない。
だが、しっかりと彼女の顔を見て告げた。
ウィルベルの言葉に、リスティルは少し驚きに似た、それでいてあっけにとられたような顔をして、ゆっくりと、ぎこちなく、肩から力を抜くように微笑んだ。
それと同時に、一筋の涙が白い頬を伝った。
初めてウィルベルがここで彼女を見たときもそうだった。
彼女は肩を震わせて泣いていた。
安心したのもつかの間。ウィルベルは一拍置いて驚き、泣かせてしまったと動揺した。
「ご、ごめんなさい! 僕何か悪いこと言った?」
人付き合いの経験値がビギナーなウィルベルにとって、目の前で泣かれたのは痛烈な一撃だった。
こんな時はどうしたらいいのだろうかと、腕の端末で検索しようとすると。『大丈夫』という音声が聞こえた。
視線を上げれば、リスティルは緩く波打つ髪を揺らしながら首を横に振っていた。
短くて細い指で己の涙が拭う。
『うれしいです』
白かった頬は赤く染まっている。
『だから謝らなくて大丈夫です』
「でも、泣いてるから」
『うれしい時も涙は出ます。涙は感情のかたまりなんです』
感情のかたまり。
だとしたら、彼女はあの時、どんな感情をこぼしたのだろう。
ひとしきり涙を拭うと、リスティルのほうからベンチに座ろうと言った。
ウィルベルはその時初めて、二人掛けのベンチに、二人で座った。
座った時、リスティルに会った本来の目的が、太ももを押した。
少し腰を上げ、ポケットからハンカチに包んだそれをリスティルに差し出す。
「これ……」
ウィルベルの掌の上でハンカチが開いて、鈍く光る勲章が姿を現す。
リスティルはそれにゆっくりと手を伸ばす。
「なんで、落としたの?」
ウィルベルの言葉に、彼女の手が止まる。
それは、本人にとっては無邪気な問いだった。だが、聞かれた方としてはあまり答えたくない問いだった。
一度は勲章に伸ばした手が止まったものの、リスティルはゆっくりとウィルベルの手から勲章を持ち上げた。
そして、先ほどと同じように人差し指のリングを親指で器用にタップして答える。
『もらいたくなかったから』
「……どうして?」
『勲章とは証だから。やったことの』
リスティルは勲章を両手で持ち、その表面を見つめる。
ウィルベルから促したわけではないが、彼女は自然と言葉を紡いでいく。
『これは数日前の作戦の結果で与えられたもの。物資を手に入れるために国と仲良くしなければならなかった。だけど仲良くしてもらえなかった。それで強引に奪うことになった。私は勝った。だけど相手を殺してしまった』
相手というのは交渉を反故した国の人間だろう。
兵器パイロットである限り、何かしらの命を奪うことにはなるだろう。直接的にも、間接的であっても。
防衛のためというのは、相手を排除することで自身を守るという逃れ文句だ。
中立国や平和主義国はあるが、いざという時のために傭兵や武力を持っていたり、同盟国に攻撃させるなど、防衛とは結局のところ攻撃に違いないのだ。
平和を謳うのであれば、一切武力を持たず、決して戦わない。それを徹底しなければならない。
だけど、それができるほど国家は他国を信頼していないし、国の首脳も民も、心は強くない。だからこそ武器に頼るのだ。
結局のところ、みんな死にたくない。これに集約されるのだ。
『勝ったから、同盟国にも分けなければいけないけれど、所有権を手に入れた。それは私が勝ったから、勲章を与えると』
――だけど、欲しくはなかった。




