温室
「寝言は寝て言えってんだ。バーカ!」
「僕がバカだったら、ハガル兄さんもバカだからな!」
クローンは知能指数まで一緒、という話しは聞いたことがない。
ウィルベルの口から咄嗟に出た言葉だったが、ハガルは一瞬息を止め、視線をそらすと「俺はもう知らねぇからな!」と言って、ウィルベルに背を向け、その場を立ち去った。
ハガルの「もう知らねぇ」は何度聞いただろう。もう世話を焼かないという意味なのだろうが、こうして小言を言うために島をせっせと歩き回っている。
言いたいことは通信で済むことなのだが、ウィルベルはハガルからの通信を徹底的に無視した。
自動再生プログラムでスピーカーから大声が流れ出しても、すぐにミュートにして無視した。
始めのうちは律義に通信に応答していたが、面倒くさくなって無視することにした。
やれ授業に出ろ。やれ適当でもいいから周りと合わせろだの。いつもハガルの口から出る内容は似たり寄ったりで、いい加減うんざりしていた。
パイロット実習は始めのうちは楽しかった。
しかし、あからさまに機嫌を取ろうとする教官や、低い判定をくらえと願っている他の訓練生たちの空気に嫌気がさし、唯一参加していた訓練もさぼるようになった。
そして、案の定ハガルがやってきて、いつもと変わらない口論と脇道にそれた言い争い。罵詈雑言の応酬で兄弟のふれあいは幕を閉じる。
「はー、疲れた」
ウィルベルは、ハガルが温室から出て行ったのを確認して、再び通路に置かれたベンチに横になる。
温室は植物のために用意されたものだが、公園のように人が利用できるよう整備されているが、温室は蚊が多いという些細な理由から利用者はほとんどいない。
いたとしても、ウィルベルに対して声をかけてくる人は皆無だし、ルサンチマンでいじめを仕掛けてくる者もいない。
ウィルベルは人の輪において、「いないもの」として扱われる。
始めのうちこそ、熾天使のパイロットとして声をかけられたり、軍師であるエイジに近づくことを目的としてウィルベルに近づく者もいた。
軍師とはいうものの、その実、島においてのありとあらゆる権限を与えられている。ウィルベルはそんなことには全く興味はなかったし、知りもしなかった。しかし、ハガルの珍しく気の利いた忠告でそのことを知った。
自分ではなく兄に興味があるのかと、始めは落胆した。その次に怒りがわいた。
軍師の弟だとか、熾天使パイロットだとか、そんなことはどうでもよかった。
純粋に友達が欲しい。
そう思っていたウィルベルを、島の存在そのものが落胆させた。
そしていつかは島を出て行ってやる。後のことはその時考えればいいと、この時のウィルベルは考えていた。
娯楽映像も娯楽本も見飽きた。
大抵は部屋に閉じこもったままだが、たまにこうして人気のない温室でただボーっと木の葉の隙間から見える空を見上げていた。
いつの間にか眠ってしまったのか、ただ気づかなかっただけなのかわからない。もしくは始めからそこにいたのか。
温室の入り口は二か所存在する。
一つはハガルが歩いて行った先。
もう一つはウィルベルの頭上、座った状態であれば左手にあたるところにある。
背の高い木々が生い茂り、手入れされていないのか、あえてそうしているのか、伸びた枝は柵を越えて通路にかかっており、その向こうにある扉の存在を隠していた。
その扉は、島で一般的なスライド式ではなく、ドアノブなんてレトロなパーツをひねって開けるタイプだった。
扉の向こうは薄暗く狭い廊下が一直線に伸びており、行った先にあるものといえば、ごみ処理施設や各種の実験施設など。要は生活に関係ない通路であり、扉自体、温室管理をする者くらいしか開けないようで、ただ「扉がある」程度にとらえて、ウィルベルは使用したことがなかった。
一度だけどこにつながっているのか気になって開けて歩いたが、壁にもたくさんの扉が並んでおり、横道もあり、ナビがなければ簡単に迷ってしまう。そう感じて入り口に表示されているプレートだけ眺めて温室へと引き返した。
だからその扉の近くに人がいるなんて思わなかったし、いたとしても温室管理の人間だと思っていた。
しかし違った。
温室の通路は砂利を固めたような感じで、一般的に支給されているゴム底の靴では足音は響かない。加えて、近くに温度調整器があり、稼働音が常時低く唸っているので小さい音はそれにかき消されてしまう。
なので、その金属の乾いた音はその場で異質だった。
ウィルベルは始め、自分が身につけている何かが落ちたのだと思ってベンチから身を起こしたのだが、地面を見たところで何も落ちてはいない。
聞き違いか、なんらかの着信かと腕の端末を見るが、スリープ状態で黒い鏡面に自分の寝ぼけ顔が映るだけだ。
奥のドアから誰か入ってきたのかと、立ち上がって枝の向こうを見た。
そろそろ自室に戻ろうか。そんなことを考えていた。
刹那、思考が停止する。
覗いた先に、人が立っていた。
ウィルベルに対して背を向けていた。
濃紺の制服。その背中が震えている。
その足元に何か、光るものが落ちている。
だが拾うような気配はない。
頭はパニックというわけではないが、考えがまとまらない。
見なかったことにするか、声をかけるべきか。
目の前の人物は落ち着いているようには見えない。感情が高ぶっている。それが喜びか、怒りか、後ろ姿だけではわからない。
そっと元の場所に戻ろうとした時、彼女のペールブラウンの髪が、フワッと宙を舞った。
間はどれくらいの距離だっただろう。
その瞳の色まで確認することはできなかった。
それよりも目元の輝きが目に入った。
彼女はウィルベルの姿を確認するなり、すぐさま扉に駆け寄り、慣れた手つきでドアノブをひねり、その向こうへと姿を消してしまった。
ほんの一瞬の出来事が、とても長く感じられた。
ウィルベルは茫然自失し、しばらく伺い見るような態勢のまま固まっていた。
やがて、浅く息を吐き、大きく吸って、背を伸ばした。
「なんだったんだ」
誰に聞くわけでもない。独り言がこぼれる。
泣き顔を見るのが初めて、というわけではない。
操縦訓練でウィルベルに対し、理不尽な怒りをぶつけながら涙をこぼした訓練生の少女の顔が脳裏によぎる。
少し年上だったと思う。だが、先ほどの人物はその少女よりも年上のように見えた。
人との付き合いが少ないのもあるだろうが、ウィルベルは大人が泣くのを見たことがなかった。
扉の向こうから再び彼女が戻ってくるのではないかと不安になりながら、ウィルベルは足を前へと進め、それの前にしゃがみ込む。
落ちていたのは銀色のメダルだ。
ウィルベルの手に収まる程度の大きさだが、小さいということはない。
メダルに付属しているのは赤に金のラインが入ったリボンと服につけるためのピン。
――勲章。
これが、彼女の物であるかはわからないが、彼女が持ってきたというのは確かだろう。
彼女が着ていた紺色の制服は知っている。
授業にはでないものの、ウィルベルはグレーを基調とした学習生としての制服に身を包んでいる。
だが、紺色の制服も持っている。
濃紺の制服はパイロットとして認められた者に与えられるものだ。
ウィルベルはまだ訓練生ではあるが、適正検査において熾天使AIに選ばれた。
熾天使に搭載されたAIは独特でパートナーとなるパイロットを自分たちで選ぶ。それは熾天使シリーズに限った話で、他の機天使の場合は、パイロットに合わせてAIをインストールする。
多くの場合は、普段の生活において何かとサポートしてくれるAIをそのままインストールし、戦闘や各種ジョブについての知識を学習させるのだという。
地面で鈍く光る勲章を見つめながら、ウィルベルは自身のパートナーAI、熾天使「白雪姫」のAIを呼ぶ。
「……ブランシェ」
<はい、なんでしょう?>
少しの間も置かず、ブランシェは応答する。
その声は左手の端末から発せられる。
「落とし物って、どうしたらいいのかな」
そんな簡単な質問をAIに聞いた。
それくらい戸惑っていたのだ。
理解できなかったから。




