『もう一つの腕』
その存在は、リリィがすぐに察知した。
警報音を鳴らし、ウィルベルに注意を促す。
〈熾天使が来ます〉
その言葉に、ウィルベルは軽く目を見開く。
ハガルのもう一つの専用機。
戦争の最中、その存在を頭の片隅に置いていた。やはり用意してあったのだ。
〈上空からの急降下です〉
眼前のハガル機からの攻撃に対し、翼を六――いや、四枚。上空から来る熾天使に対して、防御として八枚展開しようとウィルベルが指示を出そうとするが、ハガル機はウィルベルの白雪姫から離れる。
熾天使の操縦はAIによるオートパイロットにして、ハガル自身が操る智天使と挟み撃ちにされると思った。だがそうではない?
背に積んだ融合炉。
聞こえるはずのないタービンの高回転音が幻聴となって耳にまとわりつく。
出力上昇。
左右、それぞれの操縦桿に取り付けられたショートカットキーに急いでコマンドを入力していく。
下は木の海、これ以上の降下は不可能ではないがリスクが高い。
〈『もう一つの腕』の起動確認〉
「十二翼すべてを上空に展開!」
〈対衝撃姿勢をとってください〉
本来は誰かとつなぐ手。差し伸べる腕の変わりのそれが、優しさから暴力へと変化する。
――悲劇へと変貌する。
十二枚の翼が屋根のように白雪姫を守ろうと組み上がるが、〈彼女〉の悲劇武装がまるで雹のように、いや槍のように翼を叩く。
衝撃はウィルベルにも伝わり、その華奢な身体を揺らす。
圧倒的な力に、高度が下がり、下にあった木々に脚が触れる。枝が簡単に折れ、千切れ、はじけ飛ぶ。
カウンターとばかりに、翼からレーザーを放つ。
腕と光がぶつかり合う。
ウィルベルは操縦桿を限界まで横に倒し、サイドへと逃れ、その機体を視認する。
それは植物の緑に似ている。
白雪姫と同じ十二枚の翼。それらに取り付けられたリールが高速回転している。
たった今ぶつかり合った『もう一つの腕』の正体は、高硬度と靱性を兼ね備えた太いワイヤーだ。
十二の翼すべてにリールが取り付けられているが、実際何本のワイヤーを射出できるのか、ウィルベルは知らない。
だが、名前は知っている。
熾天使、ラプンツェル。
階段のない高い塔に囚われた娘。
なにも知らずに育った無垢で無知な娘。
その彼女が、パイロットを乗せないまま、無人の状態で太陽を背に佇んでいる。
《私はそのような不埒な娘ではないのです。私は何も知らなかっただけなのです》
ハガル機の開いた通信回線から、ラプンツェルに搭載されたAIトゥールの声が聞こえる。
生まれてすぐに塔に押し込められたラプンツェルは何も知らずに育った。
長く伸ばされた髪。
それは彼女を塔に閉じ込めていた魔女を塔の中へ入れるためのロープの役割も兼ねていた。
そして、その様子を見ていた王子は、同じようにラプンツェルの髪を伝い、彼女の元にたどり着く。逢瀬を重ね、ラプンツェルは子を身ごもる。もちろん、王子の子供だ。
ラプンツェルはどうすれば妊娠するかなんて知らなかった。愛がどんなものであるかも知らなかった。
AIトゥールはラプンツェル自身ではないので、無知蒙昧ではない。
だが、操縦者であるハガルは彼女のことを「売女」と言ってからかうのだ。
パイロットはいつ死ぬかわからない。死ねば、トゥールは新しいパートナーを探す。その行為は「別な男に乗り換える」とも言えなくもない。だからAIはそういう存在なのだと。トゥールに限らず、他のAIもそうだとハガルは思っている。
しかし、AIリリィに関してはその認識を保留している。
「そんなことより、そっちの損傷は?」
ハガルはトゥールに問う。
《レーザーでワイヤーを三本痛めましたけど、使えないわけではありません》
AIリリィより幼げで、それでいて落ち着いた声が告げる。
「及第点ってところだな。で、白雪姫のほうは?」
今度は自身が纏っている智天使のAIに問う。
〈翼の四枚、いえ、六枚が損傷を受けた模様。ですが、自己修復の範囲内です〉
「あんまり派手に壊すとエイジと整備部に怒られるからな」
ハガルが出動した理由。それは、熾天使級を拘束できるワイヤーを装備したラプンツェルのパイロットであるという点が大きいだろう。
「しっかし」
ハガルはシェードを上げてため息を付く。
肌にはうっすらと汗が浮かんでいる。
ウィルベルの模擬戦闘データは島からここにたどり着くまでの間に目を通していた。実戦経験のない弟。
模擬戦授業の参加数は少なかったが、データは申し分ない。失敗など一つもなかった。
多くのパイロット予備軍がそうだ。模擬戦では好成績。しかし、実際に地上戦をやらせてみれば模擬戦のデータなんてあてにならない。纏う機体を無傷の状態で帰還する新人パイロットはほとんどいない。
だが、ウィルベルはどうだ?
元エースパイロットであったハガルと互角――といっても、ハガルは本気で戦ってはいない。殺すつもりで攻撃してはいないが、ラプンツェルの上空からの攻撃は別だ。
アームの片方くらいは致し方ないと思ってAIに攻撃指示を出していた。それによりウィルベルも傷を負う可能性が十分あった。しかし、それを自己修復可能な範囲で抑え込んだ。
AIの予測演算が優れている、サポートが優秀であることも一つの要因だと思うが、AIとのコンビネーションがすこぶるいい。ハガルは今、そう判断した。
そして浮かび上がってくる逃亡の理由。
上層部はAIがそそのかしたか、ウィルベル一人の暴走だと思っているだろうが、そうではない。
――AIと結託して、同じ意志で島から逃亡したのだと、ハガルは確信にいたった。
「遺伝子に関しては人のことは言えねぇけど、ホント」
シェードを下ろし、再び操縦桿に意識を集中する。
「ありゃ、バケモノに近いな」




